52:渇望さえも奪うもの
枝葉の隙間から日差しの差し込む山林。
ほどよい風が吹けば、さぞ涼しくさわやかな気分になるだろう光景である。
もっとも、襲ってくる的としてモンスターが現れるので、ハイキングとしゃれこむには、少々スリリングで落ち着きのない山道であるが。
だが、それも常人であればこその話だ。
「おのれ……おのれぇええ……!」
太い幹を背にもたれ掛かるセクメットには、景色を楽しむどころではない。
木漏れ日を浴びた褐色の肌は煙を上げて焼け焦げ、風に枝葉が擦れて焼かれる場所が変わるその度苦悶の声が漏れる。
日除けになるものが充実していようと、セクメットにとっては、身を焼かれることに変わりはない。
「ぐ、くぅ……せめて日の届かぬ場所へ……」
呻きながらもスクロールを開き、転移を発動させる。
「あぁああああああああああッ!?!」
だがそうして跳んだ先は目の前の日向であった。
体中を火がつく様な勢いで焼かれ、木蔭へと文字通りに転がり逃げる。
「……やはり、すでに本拠への帰還は邪魔されておる……ッ!」
ボーゾたちから逃げてこの山道に出たこと、そして先ほどの日向への超短距離転移。
このことからセクメットは、自分がスリリングディザイアに閉じ込められていることを確信する。
「おのれ、おのれぇえ……あの陰気臭い亡霊もどきの醜女めがぁ……! よくもわらわをこのような牢獄に……ッ!」
そしてうずくまり、のぞみに対する怨嗟の声を吐き出す。
だが、本拠地の岩窟神殿にワープしたところで、あの場所はすでに崩落を起こしている。
仮に何の妨害もなく戻れたところで、逃げ場もなく砂漠の太陽に晒されるだけ。
それならば、まだ木蔭の多いこの山道の方がまだマシな環境であることだろう。
もっとも、それを指摘する側近は、セクメット自身が逃げる時間を稼ぐための生贄に捧げてしまったのであるが。
「このままでは済まさぬ……この報いは必ず……しかるべき報いを、きゃつらにッ!!」
セクメットは黄金の瞳に憎しみをたぎらせて、寄りかかった幹を殴りつける。
「しかし、問題はその報いをどうしてやるかじゃ……」
八つ当たりでわずかに熱が抜けたのか、猫耳女王は苦々しげに唸る。
そもそも直接対峙して、不利を悟って撤退したのである。
再び立ち向かいに戻ったところで、同じことの繰り返しにしかならないのは目に見えている。
ならばどうすべきか。
そう悩みながら光に焼かれる体を修復していたセクメットは、ふと閃きを得て顔を上げる。
「そうじゃ……あの醜女がやっていたことを、あの行いをそっくりそのまま……!」
つぶやき、セクメットは猫の耳を羽ばたかせて口の端をゆがめる。
「ククッ……フフフ……きゃつらがわらわから盗んだように、今度はわらわが……きゃつらから奪ってくれる……ッ!」
その思い付きにほくそ笑みながら、セクメットは魔法陣を展開した手のひらを地面に押し当てる。
「ぎゃあッ!?」
だが次の瞬間、セクメットは悲鳴を上げて飛び上がる。
「う、腕が……わらわの腕が……ッ?!」
黄金の猫目が見つめる先。そこにあるスリリングディザイアを侵食しようと仕掛けた手は、枯れ枝のように乾き萎んでいた。
はじけるように瑞々しかった、褐色肌の娘の腕。それが棺と保護布から暴かれたミイラのものになっていた。
「ひぃい……! い、イヤじゃ! せっかく蘇ったと言うのに、棺に、むくろに戻るのはイヤじゃぁあッ!!」
ミイラそのものに、本来の姿になったおのれの腕に、セクメットは半狂乱になって目を背ける。
そう。セクメットの蘇生はダンジョンボスとして、アンデッドモンスターとして起こったもの。
力を無くせば元のミイラに、復活を信じ願って保存された遺骸に戻るのは道理である。
セクメットはそうして、目の当たりにした再びの死を拒む。
が、侵食を仕掛けたことで反応したモンスターが現れる。
草むらをかき分けるようにして現れたのは、二本足で立ち上がったネズミのような小柄な獣人だ。
鉈や短い槍で武装した彼ら、ラットマンたちは甲高い声を交わし合うと、セクメットにその簡素な武器を向ける。
「な、なんじゃッ!? 薄汚いネズミどもめが! 不敬な……ケダモノ臭いものをわらわに向けるでない!」
セクメットは刃を突き出すネズミ獣人へ歯を剥き、鋭く喉を鳴らして威嚇する。
だが猫そのままな威嚇に対してもラットマンたちは怯むことなく武器を突き出し、包囲を崩さない。
薄汚い、などとの罵声を浴びせられているが、ラットマンたちはネズミと言ってもハムスター寄りで、きれい好きな亜人型モンスターである。
今は完全な外敵を前にしているがゆえに、問答無用に刃を向けている。
だが本来の、お客さん探索者に対しては物々交換などの取引をすることもある種族なのだ。
取引ができる。交渉ができるということは、それだけの知能があるということ。
そして、話が通じるということでもある。
「ええい、散れッ! 散れと言うに! このネズミゴブリンどもめがッ!!」
「だーれがゴブリンだ!? コラァーッ!!」
魔力を込めた腕を振り上げての一言。それにラットマンらは声変わり前の少年じみた高い声で怒鳴り返す。
「しゃ、しゃべったぁあ!?」
「オレらがしゃべって何が悪いってんだッ!?」
意表を突かれて動きの止まったセクメットへラットマンたちの刃の檻が一気に狭まる。
猫耳女王は慌てて身をよじるものの、全方位からのを避けきれるはずもなく、深ささまざまな刀傷が一斉に刻まれる。
だが、そのいずれからも血は流れ出ない。
「ゾンビッ!?」
「死体かッ!?」
「グッ!? ネズミどもがぁあッ!?」
見るからに小物のモンスターに傷つけられたこと。
それらに正体を察せられたこと。
そして、自身の命を否定されたこと。
これらから湧き上がる惨めさと怒りに、セクメットは手にしていた魔力を握りつぶす。
ひしゃげ潰れた魔力の塊は爆散。
その爆風が取り囲んでいたラットマンらを吹き飛ばし、辺りの木々をなぎ倒す。
悲鳴を上げて転がるネズミ人間たち。
それらに憎しみを込めた視線を投げつけて、セクメットは刺さった刃を抜き取りつつ、影の濃い方向へ逃げ込む。
「逃がすな! オレらをゴブリンごときと同じにしたあの猫女を許すなッ!?」
「だれが、逃げておるのじゃとぉおッ!?」
身を焼く太陽から避難をしたセクメットは、枯れた腕と張りの残った腕との間に魔力をみなぎらせ、投げる!
投げ放たれた魔力は渦巻く砂と風の塊となって追いすがるラットマンたちを吹き飛ばす。
嵐に揉み潰される彼らに向け、セクメットは歯を剥いて繰り返し砂を含む風の塊を放つ。
「ネズミがッ! ネズミごときがッ!?」
嵐に揉み潰される彼らに向け、セクメットは歯を剥いて繰り返し砂を含む風の塊を放つ。
砂嵐に囚われ、さらに砂風を受けたラットマンたちは、銀色の硬貨になって風の中に散る。
セクメットはネズミたちを押し返しながらミイラ化した腕を掲げると、濃密な砂嵐を日傘とする。
そうして天敵である太陽の光を遮ると、さらに攻勢を強めようと前に踏み出す。
「どうじゃ!? わらわが少しばかり本気を出せば手も足も出まいが!? 矮小で薄汚い野ネズミどもがッ!?」
ラットマンたちを打ち落とし、踏みつぶしての蹂躙。
その繰り返しに獰猛な笑みを浮かべて、セクメットは前進を続ける。
「フフフ……遠からずあの亡霊もどき女もやってくるだろうが、もう出し惜しみはせんぞ! この砂と風の中で干からびさせてくれるッ! フフッ……フハハハハ……ガッ!?」
だがその高らかな笑い声は、半ばで引きつった苦悶の声に取って代わる。
盛大に砂嵐の魔法を操っていた、無事な方のセクメットの手が干からび始めたのだ!
それもその渇きは腕だけにとどまらず、胴や、脚にも転移し、広がっていく。
「ば、バカな……ッ!? なぜ、こんな……ッ!?」
枯渇していくおのれの体に困惑するセクメット。
だが何故も何もない。
セクメットはあくまでもダンジョンボスであり、砂原に出れば彼女自身を焼き尽くすとはいえ、その力の源はあの砂漠のダンジョンだ。
そしてその力の源であるダンジョンは、スリリングディザイアとつながったまま。それも起死回生の一手のためとはいえ、緑化による侵食もほったらかしにしてきたのだ。
さらにコアを宿したセクメット自身も、カウンターに侵食を受けている。
そんな状態で力の大盤振る舞いをすればどうなるか。
たやすく干上がるのは目に見えているというものだ。
だがセクメットは気づけなかった。
アンデッドだということもあるが、何よりも怒りに任せて自身の状態を顧みることをしなかったがために。
だから手遅れになるまで気づくことが無かった。
魔力が尽きたことで、光を遮っていた砂の日傘もまた崩れ出す。
そうしてできた隙間を抜けた光は、枯れ朽ちつつあるセクメットの身を刺す。
「あっぐぅうああッ!?」
猫耳女王は苦悶の声を上げつつも、残る魔力で少しでも光を遮ろうと術を練り直す。
だがその背中に刃が深々と突き刺さる。
「……へ?」
刺された勢いのまま押し倒されるセクメット。
その背中には、一人の女が圧し掛かっている。
それを倒れたままに振り仰ぎ確かめたセクメットの顔が驚きに固まる。
「……お、前は……ッ!?」
「いいタイミングで仕掛けてくれたわね。安心しなさい。アンタが復活させたいと願うヒトは、私が復活させてあげるから」
そうささやいて、女はセクメットの背中から刃を引き抜く。
そして砂の山に変わりゆくセクメットの体から現れたコアを掴み取るのであった。




