51:歓迎しよう。盛大にな!
「す、スリリングディザイアへ、ようこそ……へヒヒッ」
石造りの大広間。
その天井に開いた大穴から落ちてきたお客様を、のぞみは引きつった笑顔で迎える。
だが固い石畳の床に落ちた猫耳の女王は、大の字に倒れ伏したまま何の反応も示さない。
「ヘヒッ? あれ? もう倒れちゃった?」
立ち上がり、怒鳴りかかってくるでもなく倒れたまま。
それにのぞみは、首を傾げて様子をうかがう。
「いや、こーれーは、声が小さすぎて聞こえてねえんだろ? もっとハキハキ! 大きな声でもう一回! さんはい!」
だがその胸元に納まったボーゾは挨拶が悪いのだとやり直しを要求。
「ヘヒッ!? も、もっかい? マ? これマ?」
「さんはい!」
のぞみがこの意味不明なやり直しに目を白黒させるのに、しかしボーゾは有無を言わせる気がない。
「うー……す、スリリングディザイアへ、よ、よよ……ようこそ! ヘヒッ」
「まだ声が小さい! ハイもう一回!」
「スリリングディザイアへ、よ……ようこそッ!」
「まだまだぁあ! どうしてそこで恥ずかしがるんだそこで! もっと欲望出していけよ! また来よう、そう思ってもらいたいって思えよ! もっと欲しがれよォオッ!」
「スリリングディザイアへようこそッ!」
「違う違うやけっぱちで欲しいもんが手に入るか!? 捨て鉢な態度でお客さんが寄り付くかよ!? もう一度、欲を込めてぇえ!」
「いい加減にせんかぁああッ!?」
このやり取りにセクメットはさすがに耐え兼ね、声を張り上げつつ跳ね起きるや、のぞみへ飛びかかる。
金の杖を片手に、涙目になって迫る猫耳女王。
これにボーゾはのぞみの胸の谷間でほくそ笑む。
「この程度でむかっ腹とは、ちょいとカルシウム足りてないんと違う? のぞみ、やっちまいなー!!」
「へヒッ! そ、そっか……そゆこと」
倒れたふりを警戒しての挑発。
唐突に始まった挨拶の熱血指導はすべて敵の動きを誘うため。
それを理解したのぞみは、頬をひきつらせながらゆらりと後退り。
すると下がった足の下で、カチリとスイッチがオン。床石が立ち上がり壁になる。
「んなッ!?」
畳返しに現れた壁にセクメットはとっさに杖の向きを逆にしてブレーキ。
壁を踏む形で衝撃を和らげる。
が、着地したその壁がまたすぐ元に戻ったために下敷きになる。
「んぎゃあぁああッ!?」
床材とその下の地面との間から断末魔じみた悲鳴が上がる。
しかしそれはセクメットのものではない。
持ち主につっかえ棒として利用された黄金の杖からのものだ。
「お、重! これ重い! 殺意がおもぉい! これを支えろなど、むごい! あまりにむごい仕打ちではありませぬかッ!?」
「やかましい! わらわが死なばそなたも同じ! 黙って堪えておればよいのじゃ!」
セクメットは押しつぶされる役を押し付けた杖の恨み節を一蹴し、ゲートを展開。
炎のと風の二体の魔人を近くに呼び寄せ、圧し掛かる石板をひっくり返させる。
「小賢しいマネをしおってからにッ! だがこれでわらわも手札が揃ったぞッ!」
そして仕返しだとばかりに、のぞみに向けて呼び寄せた魔人たちをけしかける。
二体の魔人が放つ炎と風。
それが渦を描いて寄り集まり、螺旋を描いて穿ち貫こうとのぞみへ。
「ヘヒッ」
しかしのぞみは手元のコンソールをポチッとな。
すると床下から暴風が吹き荒れ、鋭い炎を更なる渦で吹き散らす。
だが飛び散る炎を隠れ蓑に、風の魔人が暴風にまぎれてのぞみの背後に。
風の魔人相手では、配置済みの風閂も蜘蛛の巣ほどの役にも立たない。
これにはのぞみも息を呑む。
だが風の魔人が振るった旋風の刃はのぞみが無意識に張った障壁にぶつかり折れる。
しかしのぞみが頬を緩めたのも束の間。
立て続けに炎の魔人が炎を叩きつけようと襲いかかってくる。
燃え盛り迫る拳に、のぞみはすくんで動けない。
だがその拳ものぞみの纏う障壁を破ることはできない。 しかし炎の魔人は砕けた拳を引かず、さらに障壁に押し付ける。
「おいおい、こいつは……蒸し焼きにしようってのか?」
ボーゾの言葉を肯定するように、火炎魔人は障壁に抱きつくようにしてのぞみを包む。
さらにその外側から風の魔人が覆い被さり、炎が、熱が広がらないように、と閉じ込める。
「あ、熱い……暑いを通り越して、熱い……ッ」
障壁を解除して動こうにも、そうすれば四方からの炎で焼き尽くされるのみ。
完成した炎の牢獄の中、のぞみは噴き出る汗で濡れた顔をゆがませて喘ぐ。
「障壁とザリシャーレの仕込みをした装備で軽減してこれかよ……!」
「ぼ、ボーゾは……谷間にいるから、だと思う……!」
「バカ言え、俺は元とはいえ欲の神だぞ? この程度でへばるか。お前とリンクしてるからだよ!」
「え、ええー……」
のぞみとボーゾは揃って汗だくに肩を喘がせながらも、余裕ある言葉をかわしている。
「フフフ……せめてもの強がりのようじゃが、もはや打つ手はあるまい。詰みというやつじゃな」
だがそれをただの見栄と見て、セクメットは勝ち誇る。
「しかし貴様、先ほど自分のことを欲の神と申したな? まさか、欲望の魔神ボーゾだと?」
「おう、いかにも。そう言うお前は……見覚えがあるな。たしか英雄君の取り巻きの一人、だったか?」
どこかあやふやなその言葉を、セクメットは鼻で笑い飛ばす。
「フン! 取り巻きとは見る目の無い! あの方の正当な妻! 黄金の王国の神聖女王セクメットである!」
「おーおー。そうだったそうだった。で、俺がボーゾでコイツがその相棒だとして、見逃してやろうってか? 昔手を貸してやった誼でよ?」
ボーゾの問いかけを、しかしセクメットは再びの鼻息で吹き飛ばす。
「ぬかせ! 貴様らはもはやわらわの目的のための踏み台、養分に過ぎん! 見逃す道理などないのじゃ!」
勝利を確信したが故の傲慢か、過去の恩を報いるつもりもなしの供物扱いである。
「それにしても、よもや貴様までもがこちらで動き出しておるとはな……それもそんなに縮んで……だがこれは、わらわの計画の実現を裏付けるよき発見じゃ」
そして炎の檻に閉じ込められたのぞみとボーゾを眺めながら満足げな笑みを浮かべる。
「……その計画、って……なん、です……かね? ヘヒヒッ」
そんなセクメットへ、のぞみは尋ねる。
取り囲む熱に喘ぎ、弱々しく笑うその姿が、憐れで滑稽に見えたのか、猫耳の女王は嘲笑を返す。
「なに、特別複雑なこともない、単純な話じゃ。愛しいお方を蘇らせる。それだけのことじゃ」
そうしてセクメットは自分の計画を語る。
世界を管理する神に至り、世界と共に滅んだだろう、愛しい愛しい英雄の復活計画を。
「彼を探し、彼を呼び戻す力を蓄えるため、我が世界の断片をかき集めていたわけじゃが、今回のはなかなかの儲けモノじゃったわ!」
「この欲望……マジか。本気でアイツの復活を望んでやがるか」
高らかに笑うセクメット。
その身から放たれる欲望の強さから、ボーゾは猫耳女王の願いの強さを感じとる。
「無論本気じゃ! この願いを叶える力の一端となるのだから、欲望の魔神としては本望であろう? その醜女の持つダンジョンコアもろともに取り込んで、わらわの内でこの強く良き願いに満たしてやろうぞ!」
セクメットは褐色の胸を張り、来るが良いとばかりに勝利を宣言する。
「いやーお断りだわ」
だがボーゾは、その強い欲望の渦巻く心を拒否する。
「なにをッ!? 死を越える欲望だぞ!? 貴様の大好物であろうがッ!?」
「確かにな。お前の欲望は強い。強いが、キツイんだよなー……何を踏み台にして潰しても構いやしない。そういうキツさがなー」
「なにを言う!? それが欲望というものだろうが!?」
ボーゾが嫌悪感を滲ませるのに、セクメットは訳が分からないと頭を振る。
「それはそうだ。だがとにかく、お前の防腐剤臭い胸はお断りだ。こっちの汗の匂いの方が居心地が良いだろうからな」
ボーゾは言いながら、自分の収まったのぞみの豊かな胸にぺちぺちと手を弾ませる。
「わらわよりも……わらわよりも、そのような醜女の方が良いと言うのか……ッ!?」
唸るセクメットの顔は、歯を剥く雌獅子の如し。
「一蓮托生に生きるなら、お前なんかよかよっぽどだぜ、俺たちののぞみはよ」
「ヘヒィイ……ちょ、ちょま……ッ! やめ、恥ずぃい……」
このボーゾの返しはあまりに堂々としすぎていて、のぞみの方が恥ずかしさに顔を覆ってしまう。
これにセクメットは深呼吸をひとつ。獰猛な怒り顔を押さえ込む。
「……ふん! なんと言おうと所詮は負け惜しみよ! その醜女のダンジョンコアはわらわの物。そして欲望の魔神、貴様自身もこの手の内じゃ!」
おのれの勝利に変わりはないとの改めての宣言。
それは自身に言い聞かせ、挑発に乗るなと、落ち着かせようとしているようにも見える。
「さて、本気でそう思ってるとしたら、マジでおめでたいヤツだな」
「ふん……! 口の減らぬヤツじゃ!」
負け惜しみをまだ言うか。と、セクメットが吐き捨てた刹那、彼女の体を暴風が吹き飛ばす!
「んなぁ!?」
セクメットは驚き声を上げながらも、しかし猫のように身を翻して着地。
しかし同時に、彼女はあらぬ方向へ滑り出す!
床そのものに運ばれるかのように滑走するセクメット。
その姿を見ながら、のぞみは掌に指を走らせる。
「う、うまく……いった!」
「おう。勝ったと思い込んでるヤツの目を盗むのは難しくないからな」
そう。のぞみはあのやり取りの中で、すでに最後の仕込みを終えていたのだ。
そのままセクメットを滑る床で振り回し、自分達のところへたどり着くようにレールを繋ぐ。
「ま、魔人たち! 止めよ! 助けよッ!?」
そして目前に迫る炎の檻へ、それを作る手下モンスターに救助を命じる。
だが炎と風はラリアット。
檻を作るのをやめ、太い腕をセクメットの首の高さに交差させて振り抜いたのだ。
「ぐえ!?」
首を引っかけられた猫耳女王は、打点を軸に回転。
滑る床の勢いにも助けられ、その場で車輪のごとく回って、前面から床に落ちる。
「な、なぜ、じゃ? どうして……?」
したたかに打ち付けた顔と首とを押さえながら、セクメットは呻き声を洩らす。
「いやいや、なんでもなにも、ここはのぞみの本拠地だぜ? こんな細いつながりで出しとくとか、使ってくれって言ってるようなモンだろ?」
ボーゾの言葉にうなづくように、炎と風の魔人たちは、のぞみを守るようにその両脇に侍る。
精鋭と信じていた配下モンスターの裏切りに、セクメットは顔を上げる。
「な!? バカなッ!?」
「そ、そう言われても……すぐ、こっちに誘えたし……ヘヒヒッ」
のぞみの言ったとおり、二体の魔人の鞍替えは非常に早いタイミングで起きていた。
障壁と接触し、炎と風の檻を完成させた時には、すでにもう彼らはスリリングディザイア側に加わっていた。
つまりのぞみを焙っていた高熱は手加減されたもので、セクメットを欺くための仕込みであったのだ。
「ダンジョンマスターが相手ってことで、直にぶつかるようなトコは幹部連中を避けたが、こいつは余計な心配だったかな?」
「ゆ、油断は……よく、ない……ヘヒッ」
のぞみは胸の谷間の相棒にそう返して、マジックコンソールをタッチ。
セクメットの両脇の床が立ち上がり、挟み込みにかかる。
「おのれぇえッ!?」
だがセクメットは、またもやスフィンクスを象った杖をつっかえ棒に迫る床を防ぐ。
そして作った間隙にゲートを展開。その中へ飛び込む。
「私を捨てゴマにして……ッ!?」
その時間を稼ぎだした黄金の杖は恨み節を皆まで言う間も無く、立ち上がった床石の間で折れ潰れる。
「に……逃げ、られた……?」
手に持ち携えるほどの腹心であるはずの者。それをあっさりと切り捨てる。
のぞみは、自分ではとうてい出来もしないだろう扱いに、呆然となる。
「おい! 逃げられた、じゃないだろ!? 逃がすかだろうが!」
「ヘヒッ?! そ、そう! そう、だったッ! 閉じ込めてる、から……まだ、中にいる、はず……ッ!」
だがパートナーに喝を入れられ、慌ててスリリングディザイア内部に探査の手を走らせる。




