32:自分を巡って取り合いになるとか初めてだからどうしろと?
「何故ですッ!? 何故マ……スターが入場禁止なのですか!?」
受付に掴みかかる勢いで食ってかかるのはウケカッセだ。
ここは件の新しいダンジョンパーク、アドベンチャーランド。その出入口である。
そこでのぞみの探索者カードを読み取った受付職員に、ストップをかけられてしまったのだ。
「なんでオーナーはいけないの? ねえ、どうして?」
「ちゃんと説明しないと食べちゃうぞー! ぎゃおぎゃおー!」
ウケカッセに続いて、ザリシャーレとベルノも圧力をかける。
それに若い男の受付は、ワタワタと手のひらを盾にする。
「い、いえ! ですから自分は、ダンジョンの内部に入るのはご遠慮下さい。と、申し上げただけで……」
「それが出入り禁止とどう違うのですかッ!?」
「どう違うのかしら?」
「素材の油で揚げて食べちゃうぞー!」
「……で、ですからぁ……」
まるで話の通じない三人の魔神たちに、受付の男性は助けを求めるように視線をさ迷わす。
「まあまあ……みんな、ここは一つ冷静になりましょ?」
助けの求めに応えるように、艶やかな声が場をなだめにかけられる。
「イロミダ……」
「ここは落ち着いて、ワタシに任せて、ね?」
しっとりと濡れたような黒髪を垂らした美女は、仲間たちからこの場を請け負い前に出る。
落ち着いて冷静に見える人物の登場に、受付の男は安堵の息をこぼす。
しかし次の瞬間、目の前に迫っていた色白な細面に、ホッとした表情がギョッと色を変える。
息が絡むほどの至近距離。どちらかがほんの少し前に出れば、唇と唇が触れ合ってしまいそうな間合い。そこで厚く艶やかな唇がゆっくりと開く。
「……ねえ、どうか見逃してくださらない?」
「う、え……?」
「出入りを遠慮して、なんて言わないで……通して下さらない? お、ね、が、い」
イロミダの言葉は緩やかな吐息とともに、男の首に絡みくすぐる。
身震いし、鼻の穴を膨らませる男に、イロミダは微笑み襟元を緩める。
そうして露わになった谷間に、男の目は釘付けになる。
「ここはどうか、通して下さらない? ね?」
この怒涛の誘惑に、受付の男は生唾を飲む。
その血走った目は瞬きもせず、広がった鼻はイロミダの色香を残さず味わおうとするかのように深く空気を吸い込む。
「はーいはい! そこまでにしてやれって! お前が本気で仕掛けたら可哀そうだろ?」
そうして受付の男が完全に飲まれ溺れたところで、しかし呆れ半分の制止の声がかかる。
それは後ろに控えて黙っていたのぞみの、肩に乗ったボーゾからのものであった。
「ふふふ……本気で、だなんて人聞きの悪い。この程度軽い小手調べですわよ?」
イロミダはそう言ってチロリと舌を出しながら男から身を引く。
男は餌にかかった魚のようにそれに釣られる。が、机に引っ掛かった拍子に正気を取り戻す。
「こ、これで……小手調べ、とか……じょ、冗、談……ッ!?」
「やだもー、のぞみちゃんまで……ホントにかるーくイタズラしただけなのよ? ワタシが本気になったなら、こんなに簡単に解けたりしないんだから」
「ヘヒィイイ……」
わずかな間とはいえ正気を奪って起きながら、サラリと言い放つ色欲に、のぞみは戦慄する。
「お前のイタズラ度合いはどうでもいいんだよ。それよりもちゃんと落ち着いて説明させてやれって」
のぞみがガタガタと震える一方で、その肩に乗ったボーゾはため息まじりに話が進まない、と。
そんな元締めの一声があって、ようやくウケカッセたちもひとまずは矛をおさめる。
どうにか場が落ち着いたことで、受付男は疲れを吐き出すように深呼吸をする。
「では落ち着いて聞いていただきたいのですが……私どもとしては、最初に申し上げましたように、中の設備は是非お楽しみいただきたいのですが、ダンジョンへは立ち入りをご遠慮していただきたいのです」
「……またおんなじことを言う……!」
またもや繰り返された言葉に、腹ペコが「食べちゃうぞー」の構えに入ろうとする。
「ま、まま待った! ベルノ、タンマ……ッ!」
「ほよ? のぞみちゃん?」
だがそれはのぞみが羽交い締めにして止める。
「え、えと……ココは、ウチと違う……だと、思う。全部が全部、ダンジョンじゃ……ない……ッ」
「あ!」
後ろから捕まえながらののぞみの言葉を受けて、ベルノをはじめとした魔神の面々に気づきが走る。
のぞみがマスターとして管理するスリリングディザイアは、それ自体がダンジョンそのものである。
受付ロビーも、武器防具をはじめとした攻略グッズ販売コーナーも、フードコートも。
スタッフ役が友好的な精神の持ち主であるというだけで、それらのモンスターたちが活動するダンジョンなのである。
それが普通であるにスリリングディザイアの幹部たちにしてみれば、ダンジョンへの出入り=パークへの入退場である。
だが、このアドベンチャーランドは違う。
彼のランド側にしてみれば、ダンジョンとは中心ではあれど、一アトラクションに過ぎない。
そう。気づいてみれば何のことはない。
お互いの認識の違い、思い込みの生み出した誤解でしかなかったのだ。
「大変失礼致しました」
「ごめんなさい」
そうと解ればあとは早い。納得出来るかと詰め寄り、誘惑してこじ開けようとまでした魔神たちは素直に頭を下げる。
「いえ、そんな……私どもにも、言葉が足りていなかったところがありますので」
互いに非のあったところを認めて詫びれば、それでこの話はおしまいだとスリリングディザイア組は輪を描くように向かい合う。
「しかし、そうなるとどうします?」
「……わ、私は……待つ、よ? 今日は、見学……!」
今日の目的は制圧・支配では無いとして、のぞみはダンジョン以外の施設見学に集中することにする。
のぞみはたしかに、ダンジョン内部をうろつき回るだけで支配権を得てしまう。なのでランドの要求通りにした方が無難だろう。
他所で管理していて、それで氾濫せずに上手く回っているところを無理に制圧する事もない。
ヘタをすれば訴訟モノだ。
のぞみ自身はそれでいい。
しかしそうなると問題になるのが――。
「じゃあ誰がのぞみちゃんといっしょで、誰が潜りに行くのー?」
どうやって二手に分かれるか、である。
「そこはもちろん、経理担当である私がマ……スターと残りますよ」
「いやいや。ここはアタシでしょ? マスターを飾る珍しい素材が出てないか見なくっちゃ!」
「えー! じゃー私だって、のぞみちゃんといっしょに食べ歩きしたいー!」
「ワタシはマスターの決定に従うだけだわ。でもきっと、ワタシをお供に選んでくれるわよね?」
四人全員が全員、のぞみと残ることを希望し、欲するままに口に出す。
「はぁ?」
「んー?」
全員の欲望が衝突してしまう形になったことで、四人はザラリとした敵意の目を互いに向け合う事になる。
「おやおや、ココは真っ先に呼ばれた側近オブ側近である私がついているべきでは?」
「イヤだわねえ自意識過剰で。それならおはようからおやすみまでマスターを磨き続けてる、ア・タ・シ・が! お側にいるべきだと思うけど!?」
「異議あり、異議アーリ! その理屈なら私ものぞみちゃん側でいーじゃん、いーじゃん? なぜなら私がご飯たんとーだから!」
やいのやいの。我が我が。と、三つ巴になって主張を重ねる銭・飾・食。
「ヘ、ヘヒィイ……ど、どど……どうし、たら……ッ!」
「言ってみれば良いじゃねえの? やめてー、のぞみのために争わないでー……って」
「そ、それでどうなる!?」
三人の言い合いにらみ合いを、のぞみはハラハラと眺めるばかり。
そんな主のすぐそばで、色欲が手を叩く。
「ハーイハイ、そこまで。マスターが困ってるわよ」
その音と声に、三人の目が一斉にイロミダを向く。
「ならどうするのです!? お前は一抜けして譲るとでも?」
代表して問うウケカッセに、しかしイロミダはしっとりと微笑んで首を横に振る。
「いいえいいえ。まさか……ワタシがどちらに加わるかを勝手に決めるだなんて……決めるのはマスター、よね?」
「ヘヒィッ!?」
そうして向けられた流し目に、のぞみはびくりと身を震わせる。
「言われてみればそーだよね」
「そうね。マスターの選択ならみんな納得できるもの」
「では、マ……スター、選んでください。どのように組み分けをするのかを……!」
「ヘヒ、ヒィイイッ!?」
ずいずいと迫るウケカッセらに、のぞみは目を泳がせ後退り。
そんなのぞみの姿に、イロミダはうっとりと目を細める。
「ウフフ……困ってるマスターはなんて愛らしいのかしら……」
「……あのー、早く済ませては……もらえませんか。そうですか」
そしてそんな一行に、受付の男性は呆れたようにため息を吐くのであった。




