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121:小さな、けれどとても大きな

「将希の様子はどう……かな?」


 おずおずとしたのぞみの問い。

 これに傍らでデータベースを整理していたベルシエルが、作業を中断して確認をとる。


「どうやら、無事回復したようですな。医療スタッフのアーガがチェックしたところ、体に異常は見られないと言うことですな」


 ここはスリリングディザイアの会議室。

 今は重機の駐車場に現れたジャンクヤードダンジョン、それを二重に攻略した翌日である。

 第一を攻略直後に出現した第二ダンジョン。その中核として利用されていた、のぞみの実弟である手塚将希を救出。それから気絶したままの彼を探索者おきゃくさま向け医務室に寝かせて様子を見ていたのである。


 それが悪化することもなく回復したと言う報せに、のぞみは豊かな胸に手を乗せて安堵の息を吐く。


「そ、そう? ひとまずは、よかった……ヘヒッ」


「はいですな。アーガの問診の途中に質問を求めたり、空腹の訴えもあったり、無欲の脱け殻になっているような様子も見られなかったようですしな」


「まあそうだな。そこは良かった。良かったよ」


 しかしベルシエルが補足するのに続いて、浮かないというべきか、ノリの悪い声が上がる。


「ヘヒッ!? どうか、した? なんか心配事? かな?」


 のぞみは手を置いた胸元を見下ろして問いかける。

 そこで頬杖をついているのは眉をひそめたボーゾである。


「おーう。ちょいと心配ってかよ。気がかりってのかよ? 引っかかってるところがあんだよ」


「むん? 何なのですかな? いったい何が気がかりだというのですかな? たしかに情けのかけすぎだ、というのはその通りですな。しかしそれでもとオーナーが願ったことで、いまさらな話ではないですかな?」


 のぞみの願い通りに進んでいることを聞きながら曇った顔を見せるボーゾに、ベルシエルも眉を寄せつつ問う。

 これにボーゾは悩ましげな顔のまま首を横に振って答える。


「いや、そりゃ良いんだよ。そこに文句なんかねえって。のぞみの助けたいって欲望がかなったってーのは何よりだぜ。俺にしたって願ったりかなったりってもんさ」


「では何がなのですかな?」


 重ねて尋ねるベルシエルに、ボーゾはため息をついて目をやる。


「そりゃ助けた坊主をこれからどうするのかってことさ」


 相棒がはっきりと口に出した疑問を受けて、のぞみは喉を詰まらせる。


 ボーゾが指摘したとおり、将希が回復したのは良い。だとしても、これからどう接していくのか。それは問題となる。


 手塚家の父母も、将希と同じくダンジョンに捕らわれた状態から帰宅できている。

 だが、二人も十中八九将希と同じく巻島マキに紐付けされていることだろう。

 そんな家に帰せばどうなるか。

 今回助けた甲斐が無くなってしまうのは、火を見るより明らかというものだ。


「だーが、のぞみと坊主……ってか、実家とは折り合いが悪いんだよなー」


 だからのぞみも、どうするのかと問われて詰まらせたのだ。

 普通の……いや、不仲でない家族であれば、姉として住居のシェアは可能だ。近況から多少都合が悪かったりすることはあっても、選択肢として挙げられるものだろう。


 しかしのぞみたち手塚家はそうはいかない。

 のぞみの意向でスリリングディザイア側が援助を申し出たところで、手塚家の面々が素直に受けとるなどあり得るだろうか。

 のぞみからすれば、どれだけ都合よく考えたところで、どうしてもそんな様子は想像できなかった。


 しかしだからといって、好きにしたらいいと放り出すことはできなかった。

 そこに身内の負担を無駄にしたくない。という、のぞみの勝手な都合も確かにある。

 ここで見捨てるような人間になりたくないという欲望も。

 だが、それを含めてみすみす誰かの奴隷にされるのを見過ごしたくない、というのがのぞみの願いである。


「……回復できたってことは、もう先伸ばしに、とはいかない状況だぜ?」


「なるほど、それは心配に顔も曇るとなるわけですな」


 欲望の魔神であり、パートナーであるボーゾにはその辺りは当然お見通しである。相反する、逃げたいという欲求も込みで。


 突きつけられた状況。そして自身の板挟みの欲望。

 これにのぞみは、引きつり固まった顔を汗で濡らす。


「ここがそうだなッ!?」


 しかし葛藤に決着が着くのを待ってはくれず、状況は動く。

 今まさにのぞみを悩ませている将希がノックもなしに部屋へと乗り込んできたのだ。


「無礼な!」


 だがのぞみはともかく、その手の者たちはこれ以上の狼藉を許可するほどに甘くはない。控えていた黒服のアガシオンズに取り押さえられる。


「くっそ! 何しやがるッ!? 合図もなしに飛び込みはしたが! だが……まだなんもやってないだろうがッ!?」


「何を言うか!? オーナーの命を狙った前科者を、ここまで自由にさせただけでも温情だろうがッ!?」


「それをこっちが許したとでも思ってんの!? ホントは今すぐにでも叩き出してやりたいんだからねッ!?」


 とっくにやらかしていたところを突かれた将希は、ぐうの音を返すどころか、恐怖に青ざめる。


「ヘヒッ……し、心配してくれたのはありがたい……けど、あんまり……強く抑えないでやって、くれない?」


「庇いだてのつもりかよ!? 余計なお世話だッ!? 手下に取り押さえさせといて、姉貴面するんじゃあないッ!!」


 拘束を緩めるように言うのぞみであったが、将希に歯を剥いて拒否され、肩を震わせることになる。

 この態度に、拘束していたアガシオンズは眉を吊り上げて、将希への圧力を強める。


「わ、私は……気にしてない、から……あんまり乱暴には……ね? ヘヒヒッ」


「……これ以上いけない、とおっしゃるならば……」


 それでものぞみがとりなすのを受けて、抑え込みにかかっていたアガシオンズは、不服そうにしながらもその圧力を弱める。

 しかし弱めるとは言っても拘束はそのまま。暴れだせないように警護のシオンの一人が捕まえたままである。


 そんなスタッフに感謝の例を送って、のぞみは改めて弟へ目を向ける。


「えっと……目が覚めて、よかったよ……ヘヒヒッ」


 そして引きつった顔で回復を祝う言葉を口にする。

 が、これに将希は舌打ちを返す。


「はいはい、どうもありがとうございましたねおねーさ……ッぐぉうッ!?」


 しかし続く皮肉を込めた言葉を、シオンが締めて塞ぐ。


「だ、だめだよ……? むやみやたらに締め上げたら、ね?」


「それは分かっています。いますが……この小僧の、相変わらずな恩知らずな態度には、打ちのめしてやりたい欲望が沸いて……どうしても、どうしても抑えが利かないのです!」


「それは……マスターの、私を思ってくれてるからの欲望、なんだよね? あ、ありがとう……それで、ごめんね?」


「いえ……抑えの利かない私には勿体ないお言葉です」


 のぞみのフォローもむなしく落ち込むシオン。だがその肩に、同じ警護役の制服姿のアーガが手を乗せる。


「いやいやー、セブンティナインが絞めてなかったら私がケツを蹴飛ばしてただろうし、抑えが利かないのはアンタ一人じゃないからさ」


「エイティナイン……!?」


 優しく手を弾ませながらの同僚の言葉。これに将希を捕まえるシオンは声を震わせる。


 だがそんなアガシオンズに囲まれた将希の震えは声ばかりではない。


「いや、おい!? コイツらに捕まってると迂闊にしゃべれもしないじゃないかよッ!?」


「じゃあ迂闊なこと言わないで黙って聞いてるか、暴言吐かないように口に気を付けるしかないな?」


 そんな身の危険に震える将希に、しかしボーゾのかけた言葉は冷ややかだ。


「しかも一度は俺たちの逆鱗を突いて、腰を抜かしておいてよ。よくもまあそんなデカい態度でさえずれたモンだ。逆に感心するぜ。言っとくが、俺は聞きたくもないてめえの声を聞かされてイライラしてんだぜ?」


 いっそ跡形もなく消してやりたい。

 この欲望に素直になって行動したり、同じ欲を抱えたアガシオンズや魔神たちを煽ったり。そういう行動を起こしていないだけ、ボーゾとしては充分以上にに我慢と配慮を重ねているのだ。


 だが将希には、そんなボーゾの思いが分かるわけもない。

 猫背の姉と、その胸の谷間に納まった小人を交互に見やると、青い顔に見せつけるような嘲笑を作る。


「やっぱりそれがお前らの本音かッ!? 庇ったりなんだりしてたのは取り繕ってただけで、結局圧倒的に強い魔神様の威を借りなきゃ何も言えやしない! そんな恥知らずに使われて、お偉い魔神様とやらも人形とどう違うってんだッ!?」


「こいつ!?」


 そして真っ向から罵声をぶつけてくる将希に、ボーゾがのぞみの谷間から身を乗り出す。

 カチンと来たのに任せて勢い余ったボーゾの前を手のひらが遮る。

 落ちないように受け止めるのと、罵り合いを止めるの。

 一石二鳥に働いたその手は、のぞみのもの。


 売り言葉に買い言葉でぶつかり合っていたボーゾと将希は、手を割り込ませたのぞみを見て、共に声を詰まらせる。


 豊かで長く垂れ下がった黒髪の陰、そこで唇を一文字に引き結び、じっと弟を上目に見ているのだ。

 目を合わせるのが苦手で、たちまちに泳いでしまう瞳が、弟の顔を見上げたままぶれず、逃げないでいる。


「な、なんだよ……! 言いたいことが、あるなら……はっきり言ってみろよ……」


 見たことのない姉の姿、生まれて初めて向けられた姉の顔に、将希が口にするトゲ付き言葉はたどたどしい。

 普段であればすぐに打ちのめされ、折れていただろうのぞみは、しかし弟の挑発の言葉にも目を逸らすことはない。


 一方でボーゾは、弟を上目使いに見上げたまま深呼吸を繰り返すパートナーを、黙って静かに見守っている。

 じっとりと谷間に増えた汗。それがのぞみの逃げたいという欲望とせめぎ合う、別の欲望との戦いの激しさを物語る。

 こんな欲を探るまでもなく見てとれる葛藤に対して、しかしボーゾは声援をかけるでもなく、思念を送るでもなく、見守り続ける。

 ただ、自分がここにいるのだと主張するように肌に触れながら。


「……わ、私のことは……」


 やがて心が決まったのか、のぞみは一歩踏み出しながら口を開く。

 しかしそうして出た声は、緊張からかひどくかすれたものだ。


 完全に出鼻でつまづいた。

 この失敗にのぞみの顔が強ばる。

 しかし、負けるなとボーゾが撫でるのを受けて、改めて唇を湿らせて言葉を紡ぎにかかる。


「私の事はどう言っても構わない。だけど……いくら、血が繋がっていても、私の家族を悪く言うのは、やめて……!」


 遠慮がちな、しかしぶれず、揺れない瞳とともに放たれた言葉に、将希はたじろぐ。


「……なら、俺たちは違うって、家族じゃないって言いたいのかよ?」


「姉貴面するなとか言っといて、そいつは今さらだろうがよ」


 吐き捨てるボーゾに、将希は返す言葉もなく押し黙る。

 そして鼻を鳴らすボーゾを、のぞみは抑える手で包むようにして将希との間を遮る。

 あわせて目線でパートナーへ感謝を告げると、改めて弟と向き合う。


「私にとっては……実家との、いい関係っていうのは、もう無くしてたもの、だから……今も、危なくなってるのを見放すつもりはない、けれど……」


 すでに自分の中で区切りが出来ている。

 そうのぞみが目を逸らすことなく告げるのに、将希は苦い顔で目を逸らす。


「そうかい!」


 そしてそのまま踵を返して、足音も荒く部屋を後にしようとする。


「あ、ちょいと!」


 そんな弟の背中を、のぞみは慌てて引き留める。


「……なんだよ?」


 ささくれ立った声ではある。だが、それでも振り払わずに話を聞く姿勢であることに、のぞみはホッと息をつく。


「い、今……家に戻ったら、また操り人形に、される……から、家は出て……?」


「それでどうしろって言うんだよ? 父さんと母さんが救出できるまで、友達の家にでも転がり込んでろって? それとも、家族じゃないって言っといて引き取つもりなんだって言うのか?」


 ふてくされた声音で返す将希。

 これにのぞみは慌てて首を横に振る。


「ヘヒィ!? そ、それは、ない! ないから!? 安心して!? た、ただ、探索者向けのホテルとか、スリリングディザイア近くのアパートをお世話するくらいは、いいかな? って、ヘヒヒッ」


「は?」


 のぞみの口にした住居支援に、将希はたまらずふてくされた顔を崩す。

 弟の面食らった反応に、のぞみは焦りのままに身を振り手を振り髪を振り言葉を重ねる。


「あ、もちろんお金とか手続きの心配とかはしなくていい、から……! 私が……って、いうかウチは優秀なのばっか……だから、何とかしてくれるし……あっと、別にああしろこうしろとか、言いたいわけじゃなくて、将希がいいようにしてくれたらいい、から……」


「落ち着けよ、しっちゃかめっちゃかになってるぞ?」


「ヘヒィイ!?」


 正確に伝えようとしての補足に目を回すのぞみに、ボーゾが苦笑交じりに突っ込む。


 そんなやり取りをポカンと眺めていた将希だったが、のぞみが言葉をまとめるよりも早く一呼吸おいて立ち直って見せる。


「分かった。アンタがそう言うなら世話になる。ただし、かかる金は俺が自分で払うからな」


 そう言って将希は稼ぐ当てである、探索者登録証のメタルカードを出して見せる。


「う、うん……その辺は、将希が望むとおりに……ヘヒヒッ」


「ほっほーう。まあ、なかなかいい欲望なんじゃねえのか」


 のぞみに寄りかかりきりにはならない。

 そんな将希の意思を、のぞみもボーゾも素直に喜ばしいものと受け入れるのであった。

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