その胸へ受け止めて
白いカーテンが、ふわりとふくらむ。
柔らかな風を頬に受けて、神官長サビオは薄く目を開けた。
「サビオ様! お目覚めになりましたか!」
「フローラ様……」
「お加減はいかがですか。今、お水をお持ちしますね!」
ちょうど部屋へ訪れていたフローラは、サビオの目覚めに気付くと、神官達と手を取りあって喜んだ。
神官長が目を覚まさぬまま数日間。毎日のように治癒魔法を施し、皆で交代しながら夜通し見守って……彼の目覚めを今か今かと待っていたのだ。
周りが歓喜に湧く中で、サビオはこの状況を飲み込めないまま、しばらくぼうっと部屋中を眺めていた。
そしてやっと自身の身に起こったことを思い出したのか、ベッドからフラつく身体を持ち上げる。
「駄目ですよサビオ様。まだお目覚めになったばかりじゃないですか」
「しかし、フローラ様にこのようなことをさせては……」
「私が、好きでしていることです。どうかそのまま横になっていてください」
フローラがたしなめてやっと、神官長は再びベッドへ横たわる。『聖女』に看病させるなど、神官長にとっては有り得ない事態なのだろう。気まずげな彼はあたりを見回すと、フローラに話を切り出した。
「……レイノル殿下は」
「マルフィール王国へ帰国致しました。どうしても予定が詰まっておりまして」
「そうですか……長の私がお見送りもできず、申し訳ありませんでした」
「何を仰るんですか。レイ様も、サビオ様のことを気にかけておりました。どうか早く目覚めますようにと……目が覚めたら、よろしくお伝えくださいと」
レイは、数日前にマルフィール王国へと帰国した。『帰りは一人で帰れます』と自ら転移魔法を放ち、一人きりで旅立った。護衛もカロンも、フローラのために大神殿に置いたまま。
「……フローラ様を引き留めるために私が仮病を使っていたとしたら、などとはお考えにならなかったのですか。レイノル殿下は」
「これは仮病などではないでしょう? 未熟な私でも、見ればわかります」
「ですが……」
サビオの表情は、どこか納得がいかないというようなものだった。
ぼんやりとフローラを見つめる瞳には、わずかに動揺が見られて。
「──申し訳ありませんでした」
サビオはゆっくり息を吐くと、覚悟を決めたように口を開いた。
「私達は、フローラ様とレイノル殿下を引き離そうとしました。嫉妬に駆られて、子供じみた真似を」
「……はい」
「なのに何故あの方は、フローラ様を残して帰ったりするのです?」
神官長達にも、罪悪感はあったのだな……と、フローラは思った。故意にレイとフローラに距離を作り、神官達でフローラを囲い込み。それもこれも、彼等にはレイへの悔しさがあったから。
あのようなことをされたレイは、たとえ怒ったとしても悪くない。故意であったことが明るみになった時点で、フローラを連れて帰国してもおかしくないはずなのに。それをしなかったレイを、サビオは不思議に思うのだろう。
「レイ様は……私のことを信じて、待ってくださっているのです」
彼の『信じたい』という言葉は、フローラの背中を押してくれるようだった。
「だから私は残りました。まだ、こちらですべきことがあると思うから」
倒れてしまったサビオを癒やすために。残された神官達の不安を、少しでも取り除くために。
それに……先代の『聖女』とは違う自分を、もっと知ってほしいから。
サビオが目覚めるまでの数日間、神官達と少しずつ協力をしながら距離を縮めた。
少しずつ良くなってゆく神官長の顔色に、彼等と喜びを共にした。
神官達も、徐々に分かってくれたのではないだろうか。聖女フローラが、先代の聖女とはまた違う人間であることを。
「私、もう少しだけこちらでお世話になろうと思います。せめて、サビオ様が完治なさるまで」
聖女の有無を言わさぬ笑顔に、神官長は息をのむ。
フローラは腕まくりをすると、再び看病に取り掛かったのだった。
****
季節は本格的な春を迎え、マルフィール城の庭園にも色とりどりの花が咲き誇る。
華やかな庭園とは裏腹に、執務室にはレイのため息が響いた。
彼がマルフィール王国へと帰国してからというもの、彼は溜まっていた仕事を端から片付けてゆく日々を送っている。
片付けても片付けても、仕事は上から降ってくる。自分が、少し城を空けていただけで。
「はあ……」
いつかまたフローラと旅をしようと、そう心に決めたものの……これでは先が思いやられる。次はもっと計画的にしなくては……彼女の笑顔を見るためにも。
側近により再びドッサリと降ってきた仕事に、レイが頭を抱えたときだった。
執務室が白い光に溢れたのは。
(これは……?!)
顔を上げてみれば、部屋を埋め尽くす転移魔法の光。
前触れもなく、レイの執務室に転移してくる人物など限られている────
「レイ様!」
「……フローラ」
白い光から現れたのは、大神殿から戻ってきたフローラ達だった。フローラの後ろにはカロン、護衛達、そして何故か分からないがエラディオまで。
フローラはレイを見つけると、我慢できないとでもいうように一直線に駆け寄った。
「……ただいま戻りました」
「おかえり、フローラ」
彼女の笑顔を目にした途端、連日の疲れが引いてゆく。癒しの力を使わなくとも、レイの心は癒されてしまう。フローラの微笑みだけで、これほどまでに。
大神殿から戻ったフローラは清々しい表情を湛えている。
『聖女』として羽ばたいた彼女を、レイはその胸へと抱きしめた。
次回で完結いたします。
お付き合い下さった方々、ありがとうございました!




