迷いの森の天使②
城は騒然となった。
まともに歩けないほど身体の弱い王子が、丸一日行方不明となった。城中探しても、街中探しても、どこにもいない。
と思ったら突然、城門の外から歩いて帰ってきたのだから。素朴な、生成の服を着て。
「レイノル。一体何があった」
王である父には、繰り返し何度も説明をした。
いきなり拐われ、迷いの森に置き去りにされた。死にかけた時に、森に住む兄妹に助けられた。そして歩いて帰ってきたと。
「それは分かった……拐われた件については詳しく調査をしよう。私が聞きたいのは、その……お前の身体に起こったことだ。何故そのように歩けるように……」
父が驚くのも、もっともだった。
姿を消す前まで、ほとんど寝たきりのような生活を送っていた私が、いくら歩いてもケロリとしている。息も上がらず、咳も出ない。以前の私を知る者から見れば、これは信じられない変化である。
「森で倒れていた所、少女が治癒魔法をかけてくれました。するとこのように体質まで改善されて」
「そのような少女が、迷いの森に……?」
父は少女に礼をすべきだと、すぐさま迷いの森を捜索した。迷わぬよう、転移魔法を使える魔術師などを連れて、森の隅々まで。……しかし。
「レイノル。あの森にはそのような兄弟も、不思議な家も見当たらぬ」
「そんな、まさか……」
それでは、私は夢でも見たというのだろうか。
いや、あれは夢ではない。夢のように不思議な出来事だったが、確実に自分の身に起きたことだった。
鮮明に覚えている。あの優しいぬくもりを。甘い香りを。あの家で過ごした、穏やかな時間を。それに、いきなり健康になった身体。これが何よりの証拠だ。
私は諦めきれなかった。国中に捜索の通達を出し、もし見つけた者には褒美まで用意した。
すると偽物は沢山現れた。王妃の座が目当てなのか、それとも褒美が目当てなのか……髪をホワイトブロンドに染め、治癒魔法をなんとか習得し、「娘はいかがでしょう」と差し出す親のなんと多いことか。
父直々の捜査で、私を拐った犯人は見つかった。当時発言権の大きかった、大臣の手の者だった。どうやら私を亡き者にした後、大臣の身内を側室に上げ、更なる権力を得たかったようだ。犯人が捕えられたことで、城には平穏が訪れた。
しかし私が求める少女は一向に現れない。
見つからない間、私は勉学に、魔法の習得に励んだ。彼女に貰った丈夫な身体で、今まで臥せっていた時間を取り戻すかのように。彼らの隣に並んでも恥ずかしくないように……
「レイノル。魔法学園に、転移魔法を扱う少年が入学したらしい」
あの日から三年後の春。
依然として少女は現れない中、父から聞いたのは、嘘のような夢のような情報だった。
三年間探し回ってなんの手掛かりも無かったというのに、あっさりと現れた『転移魔法を扱う少年』……迷いの森の彼と重なる。年齢的にも、彼はちょうど魔法学園へ入学する年頃になっているだろう。
どうしても、その『転移魔法を扱う少年』と接触したかった。私は魔法学園への編入を願い出た。本来なら王族は魔法学園などへ通うことは無いため、始めは渋い顔をしていた父も「正体を隠し通すなら」との条件付きで入学を許してくれた。
そうして『レイ・クレシエンテ』としてマルフィール魔法学園へと入学した私は、彼を探した。
転移魔法を扱う少年。
それはきっと……『天使』の兄。
その人物は、探すまでも無く見つかった。小麦畑のような金色の髪。きらりと覗く八重歯。三年経った今も、変わらず動物を侍らせている。
間違いなく、彼だ。
「こんにちは」
私は彼に声をかけた。
しかし、振り向いた彼の顔には「誰だこいつ」と書いてあった。どうやら、私の事を覚えていないらしい。
いや、覚えていないというより、分からないのだろう。三年前の私と今の私は、見た目も中身も別人だ。
当時、私は骨が目立つまでに痩せていて。周りに迷惑をかけているという負い目から、常におどおどとした少年だった。おまけにあの時は顔も体も泥まみれ。彼に分かるはずがなかったのだ。
最初は警戒していた彼も、徐々に心を開いてくれるようになった。彼の名はオンラード・コバルディア。森に住んでいるため、転移魔法で通学しているという。
その森が『迷いの森』だということを、私は知っている。そして、天使のような妹がいることも……
「妹? 茶髪で、眼鏡かけてる地味な奴だよ」
さりげなく『妹』について尋ねてみても、オンラードはさりげなくはぐらかした。家に行ってみたいと伝えても、のらりくらりとはぐらかす。
見た目には分かりにくいが、彼はとても警戒していた。『妹』を世間の目に晒さないために。おそらく私が国中に出した通達のせいだろう。それほどまでに、王家に見つかってしまうことを避けるのか……
かくなる上は転移魔法を習得するしかないのかと考えあぐね、さらに二年経ったある日。
「レイ。うち来たいって言ってただろ? 今日来るか?」
願ってもないオンラードからの招待に、私は耳を疑った。何故急に?
「レイの話したら妹が『会ってみたい』って言うんだよな。でも普通の家だからな? 期待するなよ?」
私は、試験で一位を取り続けてきた自分の努力に感謝した。まさかむこうから『会ってみたい』などと思ってくれるなんて。
期待するに決まっている。彼らの家へ行けることも、『妹』に会えることも────
彼の転移魔法で、私はコバルディア家の庭へ降り立った。
見渡せば、変わらず咲きほこる迷いの花。庭木には腰掛ける妖精達。
そして五年前の当時は気づかなかった……庭と森とを隔てる『結界』。
なるほど、この家には『結界』が張られてあったのだ。おそらく、彼らの両親によって。迷いの森を隅々まで捜索したところで、見つかるはずが無かったのだ。『結界』によってこの家は護られているのだから。
彼らの両親は更に普通じゃなかった。家に『結界』を張るなど、尋常ではない……
「おっ。いい匂い。レイ、ラッキーだったな。妹が何か焼いてるぞ」
辺りに広がるのは……当時と同じ、甘く香ばしい香りだった。
間違いない、『天使』はこの家の中にいる。
胸が高鳴る。手が汗ばむ。
慎重に、歩みを進める。
夢にまで見た、迷いの森の、この家へ────
板張りの廊下を通り過ぎると……
キッチンに、天使が立っていた。
焼き立てのパイにかぶりつこうとする彼女はこちらに気付き、口を開けたまま固まっている。
さらさらと流れる、眩いばかりのホワイトブロンド。水面の様に輝くグリーンアイ。透けるような白い肌……それは会いたくてたまらなかった、無垢な彼女。
あの日から五年経ち、その美しさにはさらに磨きがかかっていた。
彼女は我に返ると、オンラードを連れていき何やら小言を言っている。大方、急に客を連れてくるなだとか、そういう事を言っているのだろう。ちらちらとこちらを窺いながら彼女は急いで湯を沸かし、カップを用意し……
「よかったら、どうぞ」
テーブルの上には、湯気の立つお茶と焼きたてのパイが置かれた。
涙が出そうになった。
あの時と同じ。
温かいお茶と彼女の甘い焼き菓子が、私の心を満たしていく。
会いたかった。君に、どうしても会いたかった。
「君……名前はなんというのですか」
私は天使の名前をまだ聞いていなかった。彼女は自分のことだと思わずに、猫の名前を「ベルデ」だと私に教える。人懐っこい猫……いや、猫ではない。彼女は気づいていないようだが、これは幻獣だ。
本当に、この家はどれだけ私を驚かせようというのだろう……
彼女のこの美しい姿は、コバルディア家の者達と私だけの秘密ということになった。
「……あなたの名前は」
私は、もう一度彼女の名を聞いた。
「フローラと申します」
「フローラ……よろしくお願いしますね」
フローラ。
ずっと知りたかった、彼女の名前。
フローラ。フローラ……
私の天使。
私の幸せ。
どうか……ずっと私と共に。
私は、彼女の小さな手と握手をした。
次回からまたフローラ視点へ戻ります。




