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第28話 地下への潜入


 八月二日、土曜日の夜八時。落合巡査部長は、湾岸区福栄町東通りに建つビルの二階にいた。元々喫茶店だった空間は現在空きテナントと化しており、室内のあちこちに薄く埃が積もっている。それでも、次の契約先に対する管理会社の配慮が行き届き、部屋自体は比較的きれいな状態だ。捜査の一環で拝借するには充分な広さも有している。

「この部屋がたまたま空きテナントで好都合でした。向かいのビル、ばっちり見えるでしょう」

 スーツ姿の小柄な男——県警捜査二課の諸伏直生刑事が、ブラインドの隙間に指を挟み外を覗いている。その先にあるのは、立体駐車場と居酒屋の間に押し込められた灰色の建物だ。落合たちがいる部屋から見て、時計の十一時の方向に位置する三階建ての細長い雑居ビル。汚れがこびりつき所々の塗装も剥がれた外壁は、五十年以上の築年数を物語っている。それでも、ビルに設置された三つの袖看板のうち二つには店名が入っており、不動産物件としてきちんと機能していることが確認できた。

「一階部分は雀荘、二階はソープランド、三階はテナント無しの空室です。雀荘もソープランドも正規の手続きを経て経営している真っ当な店ですが、問題はビルの地下に存在する()()()()()()です」

「ビルの地下までは、エレベーターが通っているんだろ」

「ええ。ですが、エレベーターの横に『設備の不具合のため地下へ降りません』と注意書きが貼られています。秘密の部屋の存在を知る者だけが、その張り紙を無視して地下へのボタンを押すわけです」

「秘密の部屋、ねえ……で、今からその秘密の部屋で秘密の競売が開かれるってか」

 呟きながら、周囲をそれとなく見回す。室内には落合と諸伏のほかに、K県警刑事部捜査二課の面々が険しい顔つきでノートパソコンと睨めっこしていた。画面には、対象のビルを各所から映した監視カメラの映像が流れている。地下競売とは無関係の立浜市民も含め、多くの人間が警察の目に見られているとも知らず映像の中を往来していた。

「秘密の部屋って言ってるけどよ、あのビルの所有者は地下室の存在を知っているんだろ」

「それがどうにも怪しいんです。あのビルの持ち主は濱田という市内在住の老人で、本人の言によると父親の代から受け継いだ相続物件だそうです。ただ、自分は不動産の知識に疎いため管理については息子に任せ、名前だけ貸している状態なのだとか。それで今度は、濱田老人の息子を名乗る四十代の男に会って話を聞きました。たしかに管理業務についてはスラスラと話してくれましたが、こちらも胡散臭さが残る人物でして」

「胡散臭さ?」

「そもそも濱田の息子はかなりの自由人で、周囲の関係者によれば一つの場所に留まれない性分らしいのです。海外をぶらりと巡ってはその地その地で食い扶持を得るような生き方をしていたらしく……それが、半年ほど前に突然帰国して父親の代わりにビルの管理業務を始めたそうです。帰国の理由は『父親の体調が思わしくないため、心配になって帰ってきた。いつ倒れてもすぐ駆けつけられるように不動産管理を傍で手伝うことにした』と。ですが、こちらが父親の容態について詳しく訊ねようとすると妙にソワソワし始めたんです。返事も要領を得ないといいますか、父親についてはあまり触れられたくなさそうでした」

「濱田の爺さんと息子は実在しているのか」

「どちらも戸籍上は間違いなく存在しています。ただ、二課が対面で話を訊いた濱田老人とその息子の写真を関係者に見せたところ、本人だと断定した人物は一人もいませんでした」

「一人も?」

「ええ。関係者とはいっても長らく顔を合わせていない人たちばかりで、誰かからの又聞きだったり、メールのやり取りだったりで二人の近況を知ったという具合です」

「なるほど。()()()()の標的にはお誂え向きだな」

 犯罪等の目的で他人の戸籍を乗っ取る行為は「背乗り」と呼ばれている。特に、身寄りのない者や行方不明者、社会との関わりが希薄な者の戸籍は、犯罪の隠れ蓑として悪用されやすい。諸伏をはじめとする捜査二課は、濱田老人と息子のケースも背乗りではないかと疑っているようだ。

「濱田さんは交友関係自体そこまで広くないようですし、息子に至っては気まぐれに世界を放浪するようなタイプですからね。長い間会っていないのなら、『顔を忘れられたのだろう』なんて嘯いても自然です。年齢が近く、見た目がある程度似ている人物を用意すれば、戸籍はもちろんビルごと乗っ取ることも難しくはないかと」

「赤の他人に成りすますのが、こんな簡単にできる時代が来るとはな……ところで件の地下室だが、もちろん二課は実際に自分の目で確かめているんだろう」

「エレベーターで地下に行ったところ、部屋の扉には鍵がかかっていて暗証番号を入力するパネルが設置されていました。エレベーターを出たすぐの廊下に監視カメラがありましたので、間違えて地下へ降りた客を装いその場で退散しましたよ」

「番号を知る者だけが入室を許される部屋、か。確かにきな臭い感じはするな」

 諸伏に倣って、ブラインドの隙間に指を突っ込み外の様子を窺う。スーツを着こなした男がまた一人、濱田ビルの入り口へと吸い込まれるように消えていった。この一時間で、既に四十人ほどの人間がビルへ入るのを監視カメラもしっかりと捉えている。黒スーツでめかし込んだ男らが、場末の雀荘やソープランドに客として入室するとは俄に想像しがたい。目的が他にあると考えて間違いないだろう。問題は、その目的が何なのか。

 窓から離れた落合は、薄暗がりの中をそろそろとした足取りで進む。室内の明かりが外に漏れると不審に見られる虞があるため、部屋の光源は床に置いた懐中電灯のみだ。ノートパソコンや機材などを蹴散らさないように注意しながら、諸伏刑事のところに戻ってスーツ越しに華奢な肩をぽんと叩く。

「手筈は万全か、詐欺専門の敏腕刑事(デカ)さん」

 ノートパソコンの画面から一ミリも目を逸らさないまま、小柄な後輩は頭だけをほんの少し動かした。

「揶揄わないでください。今夜の張り込みには捜査二課の威信がかかっているんです」

「威信、ねえ」

 気合い十分の諸伏とは裏腹に、部屋に集った総勢六名の刑事たちからは一様にやる気の無さが窺われた。うち一人から落合が聞き及んだところによると、

『主力の連中はあらかた談合事件に回されたから、今ここにいるのは二課の残り者ばかりさ。名無しの権兵衛によるタレコミなんて、二課の中でもほとんどの奴らが見向きもしてないってのに。談合事件の捜査に入れられなかったから躍起になっているんだよ、お坊ちゃんは』

 代々資産家の家系に生まれた諸伏は、二課の中では「お坊ちゃん」と呼ばれ異質な扱いを受けているようだった。刑事畑を長らく歩んできた強者たちにとって、諸伏が必死になって手柄を立てようとしている様は“刑事ごっこ遊び”に見えるのかもしれない。

「——手柄に身分なんて関係ねえっつうの」

 お坊ちゃん刑事が画面から顔を上げ、「何か言いました?」と落合を振り返る。「何でもねえよ」と頭を振ってから、後輩の隣にゆっくりと座り込んだ。

「オークション開始まであと三十分か……そろそろ、()()()が来る頃合いだな」

 腕時計にちらと目を向けた瞬間、諸伏が耳元にさっと手を当てた。イヤホンの向こうで何か動きがあったようだ。

「寛さん、()()が来ましたよ」

 ノートパソコンを覗き込む。画面に映った濱田ビルの出入り口付近に、品の良いダークスーツを着こなした男が現れた。

「沖野さん、聞こえますか? 県警捜査二課の諸伏です。今からビルの地下へ入ってもらいますが、今日の貴方はあくまで“絵画好きのコレクター”であり“オークションの参加者”です。過度に我々を意識する必要はありません。沖野さんがかけている眼鏡には小型カメラが仕込まれていて、カメラに録画された映像データはリアルタイムでこちらも確認できます。ビルへ入る前に、イヤホンは耳から外して傍にある自販機のゴミ箱に捨ててください。万一、入室の際にボディチェックを受けたとき怪しまれないためです」

 淡々とした口調で、マイク越しに指示を出す。ものの一分程度でやりとりが終わると、お坊ちゃん刑事(デカ)は小さくため息を吐いた。

「大丈夫ですかね。寛さんのスジですから信用はしていますけど、相手は裏社会に生きる連中です。僕たちが犯罪者を直感的に見分けるように、奴らも異分子を見つける能力に長けている。もし沖野さんの正体が奴らにバレたら」

「相変わらず肝が小さいな。心配すんなって、あいつ自身も半分裏社会に足を突っ込んでいるようなものだから。何よりハムのスジとして十年もやってきた男だ。潜入技術に関しては俺らより上だよ」

 沖野はK県警公安一課が抱える協力者(スジ)の一人で、落合とはスジになるより以前からの付き合いがある。そして今回、落合が二課の捜査に協力するにあたり隠し玉として使ったのが沖野の存在だ。地下競売へ潜入するスパイを二課に提供する代わりに、捜査で得た情報を公安一課に提供する——それが、落合と諸伏の間で交わされた協約だった。

「寛さんの交渉術には敵いませんよ。絶対に『嫌だ』と言わせないんですから」

「交渉ってのは、相手に一度でも嫌と言わせた時点でゲームオーバーなんだよ……お、どうやら会場に入ったみたいだぜ」

 パソコンの液晶画面は、濱田ビルの映像からいつの間にか切り替わっていた。人間の後頭部がずらりと映し出されている。沖野が会場内の座席に着いたようだ。画面の奥には、スポットライトに照らされたステージが小さいながらも確認できた。競売人(オークショニア)用の台が舞台の端にぽつんと置かれ、ガベルと呼ばれる小槌もセッティングされている。

「さすがに参加者の顔まで一人ひとり確認するのは難しいですね。あまりキョロキョロすると挙動不審で怪しまれるでしょうし」

「ま、今回は潜入できただけでもラッキーだと思うんだな。入室用のパスコードをゲットするのだって苦労したんだろ」

 オークション会場に入る際のパスコードは参加者にのみ知らされている。捜査二課の刑事たちが地下競売の密告者とコンタクトを取り、手間取りながらも何とかパスコードを聞き出したのが二日前のことだ。

「しかし、こんな寂れたビルの中でアングラな商売が行われていたとはな」

「競売自体には違法性はありません。問題なのは競にかけられている品です。出品物が競売に持ち込まれるまでのルートを特定できれば、違法性の有無も確かめられるのですが」

「気の遠くなる作業だな——ん?」

 気も漫ろになりかけていた落合は、ふと液晶画面に目を凝らす。沖野が会場内を見回しているのだろう、参加者たちの顔がちらちらと画面に映り込んでいた。突然黙り込んで映像に見入る落合を、諸伏刑事が怪訝そうに眺める。

「寛さん、誰か気になる人物でも映っていましたか」

 後輩の言葉は、そのときの落合の耳には届いていなかった。画面をほんの一瞬だけ過った男の横顔に、見覚えがあったからだ。


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