行軍
各国の重鎮が集まる中で起こったラステマでの襲撃事件は、駆け抜けるように大陸中に広まった。
ウィルロアが計画した和睦反対組織の暗躍は思ったほど広まらず、変わって襲撃犯を手引きしたのがラステマの王太子アズベルトで、彼の手によって国王が瀕死の状態だという話がセンセーショナルに広まっていた。
「先手を打たれたか……」
噂が広まるのが早すぎる。組織的に意図してラステマの不利になる噂を流した者がいるのは明白だった。それはデルタか教皇庁か、反対組織か周辺諸国か。全てに疑心暗鬼になりそうだ。
これは政治に不慣れなウィルロアの明らかな落ち度だった。情報戦略はスピードが命だというのに、悠長に構えず大衆紙でもなんでも利用するべきだったと後悔し、己の未熟さが忌々しかった。
ラステマ、デルタの両国間は依然緊張状態で、国内は大きな不安に包まれていた。
状況が動いたのはそれから三日後のこと。
会議の間で朝を迎えたウィルロアの元へ伝令がやって来た。
「デルタより使者が到着しました!」
思ったよりも早い。デルタは王城へ到着する前に使者を送ったようだ。
ウィルロアは着の身着のまま謁見の間へ急ぎ移動した。
使者はオルタナ将軍の直属の部下で、ウィルロアもデルタ城で何度か見た顔だった。
謁見の間に入ると、デルタからの親書を掲げ一言一句漏れないよう大きな声で読み上げた。
「ラステマ国内において貴国の王太子アズベルト王子による謀反により、多くの血が流れた。我が国も国王はじめ、王族他多数の国民の安全を脅かす事態となったことは大変遺憾であり、許せるものではない。我が国は貴国との和睦並びにカトリ王女との婚姻を白紙にし、ここに損害賠償を請求することとした」
予想はしていたが、突きつけられた文書に顔をしかめ口を引き結んだ。
「一、賠償金1000万ジェル。ニ、プルト山の地権及びプルトニア領の一部。三、ハスト病の治療薬と研究資料。四、むこう十年間の鉱山資源の利権30%。以上。尚、この条件を受け入れない場合は、我が国は武力を持って行使する」
ウィルロアは厳しい顔で拳を握った。
あまりの内容に謁見の間にいたラステマ人全員が言葉を失っていた。
デルタが責任を追及し、大きく出るとは思っていた。結果、和睦も結婚も白紙、賠償請求で履行されない場合は戦争も辞さないと脅しまでかけるという、予想を超えた最悪な反応だった。
「これでは我が国だけが大損ではないか」
一人の嘆きを皮切りにラステマから不満が噴出した。
「被害は出ていないというのに何の賠償だ!」
「ハスト病の件は和睦締結後の条件に組み込まれていたはずだ」
「貴国は利益だけ根こそぎ奪っていくのか!?」
なるほど。デルタは本来和睦が締結された後に得られた利益を、賠償という形で上乗せしようという魂胆か。
レスターに目配せし、皆を黙らせる。ウィルロアはデルタの使者へ返答した。
「……その条件を全てのむことは出来ない。先ずは二国間で話し合いの場を設けたいと思うが如何か」
「いいえ。我が国は貴国と対話の席につくつもりはありません。条件がのめないのならそのように伝え帰ります」
「ではせめて我が国から謝罪と斥候案を提示させてほしい」
「……分かりました。明日までにご用意願います」
使者を丁重にもてなし、ラステマは急ぎ親書の作成に取り掛かった。
使者が折衷案を持ち帰ってから更に三日が経った。
ウィルロアはもう一週間近くベッドで寝ずに夜を明かしていた。
父は未だ意識が混濁しているし、アズベルトは黙秘を続けている。世論も好転しないし貴族からの反感は日に日に増すし国民の不安は拭い去ることが出来なかった。
疲労と寝不足で頭が朦朧としてくる。少し休まないと駄目かもしれない。
レスターの元へ向かうと、会議の間に慌ただしく連絡係が飛び込んできた。
報告を受けたレスターの表情が徐々に曇っていく。
「デルタに動きがありました」
一同手を止めて耳を傾けた。
「デルタ軍が国境へ向けて行軍を開始したそうです」
「なんだと!?」
間諜からの報告では、デルタがラステマとの国境付近に大規模な軍を配備しようとしているという。
一同に緊張が走った。
先日デルタに対話の意思と賠償の折衷案を送ったはずだ。その答えがこれなのか?
デルタは当初の忠告通り、一切の譲歩を見せず武力を行使してラステマと争う姿勢を見せた。
「デルタは……戦争をする気か」
迫り来る未来に戦慄する。
「舐めた真似を!」
臣下の怒りが頂点に達した。
「我が国に非があるのをいいことに、デルタは開戦の口火を切るつもりか!」
「これが蛮族デルタの本性だ!」
「こちらも迎え撃つ準備をしましょう!」
「急ぎ軍の配備を!」
「こうなったら徹底抗戦だ!」
デルタが軍を動かしたなら一刻の猶予もない。大臣らは好戦的だが、ウィルロアは待ったをかけた。
「駄目だ」
ラステマまで軍を動かせば後戻りできなくなってしまう。戦争へとまっしぐらだ。
「皆冷静になれ。こちらに非があるのは明白で我が国は争いを望んでいない。とすれば今必要なのは戦争ではなく対話ではないのか。剣ではなく手を差し伸べるべきではないのか」
一同は戸惑い顔を見合わせていた。
過去100年という長い年月を争っていた両国が、十年かけてようやく築き上げた友好関係だ。簡単には手離せない。
ここで諦めたら和平が訪れる機会は更に先延ばしになる。その間に苦虫を噛み苦労をするのは他でもない、両国の民であるとウィルロアは分かっていた。
だからなんとしても争いは避けたかった。
「武力で解決しては更なる遺恨が生まれてしまう。かつては敵だったデルタも今では和睦を結ぼうと歩み寄った友好国だ。諦めず使者を送ろう。こちらさえ対抗しなければまだ間に合うはずだ」
「何を甘ったれたことを仰っているのです」
しわがれた声は軍師ファーブルのもので、彼は呆れながらウィルロアを真っ向から否定した。
「聞こえはいいが殿下のやろうとしていることは、国民の安全を省みず自らの都合のいいように解釈しているに過ぎません」
「なに……?」
「デルタが軍を配備したのは既にラステマを友好国として見ていないからです」
二人の間に険悪な空気が流れ、口を挟める者はいなかった。
「失礼します!」
そこへ今度はサイラス直属の部下が慌てて入ってきた。
「あの、我が軍が、王都出立の準備を始めております!」
「!?」
ラステマ軍が行軍している?
報告に来た近衛騎士も何も聞かされていないと戸惑っていた。
どうゆうことだ。何故勝手に軍が動く!?
ウィルロアは真っ先にファーブルを睨みつけた。
国王不在の今、国軍を動かせるのは長らくこの国の国防を任されてきたこの男しかいない。
「デルタ軍に動きがあった場合は進軍する旨あらかじめ準備し、命じておりました」
「勝手な事を! 私は何も命じていないぞ!」
ウィルロアは感情のままに声を荒げた。
「事後報告はお詫びしますが、殿下の決断を待ってからでは遅いのです。事態は一刻を争います。軍の統率者として国を守るため迎え撃つ準備をしたまでです」
「応戦してどうする! お前はデルタと戦争をする気か!」
「それも致し方ないかと」
ふざっけるなよ!
「今すぐ兵を引きあげよ! これは命令だ!」
頭に血が上ったウィルロアは大声でファーブルを叱責した。対してファーブルは冷ややかに視線を向けると、たっぷり間を取って首を横に振った。
「軍の采配は国王不在の折は軍師である私に全権が委ねられます。いくら殿下の命令でも、我々軍を動かすことは出来ないのですよ」
「!」
勝ち誇った顔のファーブルに己の失態に気付いたウィルロアは悔しさで体がぶるぶると震えた。
確かに今の肩書きではファーブルを打ち負かすことは出来ない。
レスターへ顔を向けて助けを求めたが、彼もまた首を振ってファーブルの正当性を認めてしまった。
ショックを隠せないウィルロアにファーブルが穏やかに諭す。
「ラステマから開戦の合図を出すつもりはありません。しかし敵意ある相手に丸裸で迎えうつのは愚行の極み。王家が民を見殺しにしたも同然なのです」
「――っ」
ファーブルに続いてレスターも追い打ちをかける様にウィルロアへ言葉をかけた。
「友好な関係を築く前に両国には長い争いの歴史があります。十年という歳月が簡単に消し飛んでしまうほど、遺恨は根深く残っているのです」
今回の騒動で不安から負の感情と歴史が呼び覚まされてしまった。そんな中で国が丸裸で応戦すれば、非難は王家に向けられるだろう。国内外から攻撃を受ければこの国は滅びかねない。
「デルタで過ごされ、誰よりも和睦に力を注がれた殿下の気持ちも理解致します。ですが今、両国の情勢は誰が見ても最悪なもの。デルタが軍を動かしたとなれば使者を送ったところで状況が好転する可能性は低く、いつ開戦してもおかしくない状況下で先ずは、国と民を守る行動をとるのが最善と考えます」
レスターの真っ当な意見に何も言い返せなかった。
「……分った」
ウィルロアも認めるしかなかった。
「宰相と軍師の言う通り、デルタ軍を迎え撃つ準備を進める。しかし、決してこちらからは手を出さないと約束してほしい」
これはお前に言っているのだとファーブルを睨みつける。
「それから、和睦の道が潰えたと決めつけるのはよくない。諦めず使者も送り争いを避けるための努力を最後まで惜しまないでほしい」
レスターとファーブルは恭しく一礼して了解したが、果たして真に受け止めた臣下がどれだけいるだろうか。
この場にいるほとんどが既にデルタとの関係修復は難しいと思っていた。会議の間にはそんな空気が流れていた。
今の俺ではこの流れを断ち切り、全員を黙らせ納得させる力はない。
「……少し休む」
騒動からまともに眠れていないウィルロアを気遣い、レスターは「後のことはお任せください」と請け負ってくれた。
ウィルロアは憔悴し、逃げる様に会議の間を後にした。




