バトンは引き継がれた
「マイルズ!」
外で待機していたマイルズを呼び、大急ぎで歩き出した。
「殿下、先ずは安全な場所へ移動してください!」
「状況を確認したい」
「でしたら私が。殿下の御身にまで何かあってはーー」
「今指揮を取れるのは私しかいない」
ウィルロアは足を止めることなく前を見据え、拳を強く握った。
「マイルズ、私を支えてくれ」
ここから先は予測できない状況下で、敵、味方入り混じっての攻防が予想される。
手探りの中で進むウィルロアにとって、側で支えてくれるマイルズの存在が必要不可欠だった。
己の覚悟と同じにマイルズにも覚悟するよう問いかけた。
「勿論です」
主の意を汲み取った返事に頷くウィルロア。
「殿下!」
そこへウィルロアの身を案じたロイが剣を下げたまま駆けつけた。
「ロイ無事か! さっきは助かった」
「はい。殿下も御無事でよかったです」
心臓に拳を捧げて騎士の礼をとる。その手と顔には死闘を潜り抜けて来た返り血が浴びせられていた。
「状況は?」
「要人は全て避難して、聖堂内の賊はほぼ制圧しました。今は城内に範囲を広げて安全を確保してるところです」
「そうか。サイラスは?」
「団長は聖堂で指示を出してます。殿下の安否を心配して俺が来ました」
朗報に胸を撫で下ろすが、ロイは苦い顔をしていた。
「襲撃犯ですが、毒を仕込んでいたらしく捕縛されるとほぼ全員が自害しました。ローデン将軍も、サックスとの死闘の末勝機は無いと悟るや、喉を掻っ切って自害しました」
ローデンが、死んだ……。
「……奴も駒に過ぎなかったか」
「ですね。指示役は他にいると思います」
「それこそ軍師ファーブルが怪しいのでは?」
確かにマイルズの言う通り、襲撃に関わったローデンやアズベルトとの関係が深い軍の総司令官であるファーブルが一番怪しかった。
だが確証が持てない。ローデンが生きていれば証言を得られたかもしれないのに何とも忌々しい。
「被害状況は?」
「まだ分かりません。だけど死んだ奴はいなそうです」
「あに、アズベルトは?」
既に逆賊と成り果てたアズベルトを、臣下の前で兄と親しく呼ぶことは許されないと思い言い直した。
「そっちも自害しないよう捕縛して、証言を得るため尋問部屋に移動したようです」
唯一事情を知るのはアズベルトだけとなった。
「大聖堂には私とロイで行く。マイルズは先に父上の容態を確認しに行ってくれ」
安全な場所に移動するつもりは毛頭ないと告げる。襲撃の直後に主の元を離れるのを躊躇するマイルズに、ロイが「俺が付いてるから大丈夫だ」と声をかけた。
「……畏まりました」
マイルズが駆け足で去って行くのを確認して、ウィルロアは声を落としてロイに密命を与えた。
「無駄足に終わるかもしれない。今から私の言う通り、秘密裏に動いてほしい」
「それはサックスやマイルズにも悟られないようにします?」
「そうだ」
「了解です」
「サイラスにだけは協力を仰いでおく」
「分かりました」
ウィルロアは口頭でロイに指示を出すと、二人は何もなかったように再び大聖堂へと急いだ。
ウィルロアが大聖堂に戻ると、ロイの報告通り襲撃犯は近衛騎士の活躍によって討伐され、至る所に死体が積み上がっていた。
逆賊だとしても多くの死体を見るのは初めてのことで、漂う鉄の匂いに吐き気がした。
視界の隅で指示を出しているサックスの無事も確認し、ほっと胸を撫で下ろす。
討伐された者達をざっと見回すと、デルタ兵に扮した者も数人いた。
確かにあの時デルタ側からも悲鳴が上がり、キリクも怪我を負っていた。
自国の王子が起こした騒動で友好国の王太子に怪我を負わせてしまうとは、事実として大変憂慮すべき事態だった。
「サイラス」
「殿下! ご無事でしたか!」
険しい顔で指示を出していたサイラスは、ウィルロアの姿を見るや泣きそうに顔を歪め、胸に拳を当てて礼をとった。
そして再び険しい顔つきに戻ると、ウィルロアを叱りつけた。
「どういうつもりですか! 王族が襲撃の真っただ中に単独で動かれるとは! 自覚が足りていません! もう気が気ではなかったですよ! 私の心臓が――」
「分かった。すまなかった。後で聞くから」
いなすウィルロアに納得のいっていないサイラスだったが、「被害状況は?」と聞くと、素早く切り替えて答えてくれた。
「今の所数名が怪我を負いましたが死人は出ておりません」
我が民に死者が出なかったのは奇跡に近い。聖堂内にある女神像に感謝した。
「それで、賊は自害したそうだな」
「はい。自らの奥歯に毒物を仕込んでいたようで、忌まわしくも自害を許してしまいました」
サイラスも苦い顔でローデンの死体を一瞥した。
「この騒動、アズベルト殿のクーデターだけのようには思えません」
「そうだな。王位欲しさで謀反を起こすならわざわざデルタの王族がいる警護が厚い時を狙わない」
「では、やはり和睦の阻止が目的と――」
「両者の利害が一致したのではないかと私は思っている」
アズベルトは和睦に反対していなかった。ただカトリとの婚姻と玉座にひどく執着していた。そこを和睦反対組織の内通者であるローデンにうまく唆されたのではないだろうか。
二人の元へ、アズベルトを聴取していた騎士が一報を届けに来た。
「報告します! アズベルト王子は『ローデンと手を組んだが奴の裏にいる黒幕は知らない』と話しています。それ以上は口を閉ざし、黙秘しています」
サイラスは騎士に引き続きアズベルトの聴取を命じ、私室や関係各所を調べ、侍従や仕えていた者も捕えて事情を聞くよう命じた。
「アズベルトでも黒幕の存在は知らないか……」
おそらく嘘は言っていないだろう。あのローデンに死を選ばせるほど、黒幕はその存在を徹底して隠しているのだから。
「事件の流れは見えているのに黒幕がつかめないのが痛いですな」
このクーデターで組織の存在と証拠が明るみにならないよう、襲撃犯たちに毒を仕込む徹底ぶりだ。
「このままではラステマにだけ非があると思われてしまいます。せめてローデンだけでも自害を止められていたら……」
「いや、あの騒動の中でよく被害を最小限に抑えてくれた。それに証拠が何も出なかったとしても、我が国はアズベルトが和睦反対組織に唆されたという立場を表明し、組織の存在を明るみにするつもりだ」
「なるほど。先に情報を流してから黒幕を捕まえるつもりですね」
「今証拠がなくても、黒幕さえ捕まえればいい。それから――」
ウィルロアは声を落としてサイラスに耳打ちした。
「ロイに密命を与えている。君の協力が必要になるかもしれない」
サイラスは直ぐに理解し、ウィルロアの信頼に答えるよう深く頷いた。
「それからデルタ側が出立の準備をしている。門兵に問答無用で城門を開けるよう指示してくれ」
「し、しかしデルタ側の兵からも逆賊が出ている以上……」
できれば王城内を封鎖して隅々まで調べたいのだろう。
「それでも、だ。この状況で足止めまでして犯人扱いしたら即刻戦争が始まる。これ以上の関係悪化は避けなければ」
デルタ側からも数人の反逆者はいる様だが、その真意は調べなければ分からない。
対して剣を掲げたのがラステマの王太子と将軍であるという事実は、皆が目撃し変えられない事実だった。
デルタの王族を招き入れたタイミングでクーデターが起こり、危険に晒しておいて更に足止めするなど問答無用だ。
既に謀反は起こり、和睦反対組織の目的は達成されてしまった。後はドミノ倒しに多方面に広がる騒動と厄介事を、先回りして食い止めるしかない。特にデルタとはこれ以上の関係悪化を避けなければ。
「レスターは?」
「陛下を医師に預け、すぐにデルタ国王を訪ねに行きました」
「私も父上の容態を確認したい。後の事は任せた」
ウィルロアは踵を返し、戻って来たマイルズと共に大聖堂を出て国王の元へ急いだ。
「陛下の容体は?」
「医師の見立てでは傷の深さよりも出血の多さが問題とのことです。更にアズベルト殿下の謀反に酷くショックを受けられ、興奮状態とか。安定剤を使ってもあまり効き目がないそうです」
「私が話そう。それからマイルズ、アズベルトに敬称は必要ない」
「気を付けます」
デルタとの関係修復、国内外の混乱を収めるためにも、絶対に国王の無事が必須である。今父を失うわけにはいかない。
「お待ちください!!」
「陛下!!」
ウィルロアが国王の元へ到着すると、驚愕の光景が目に飛び込んできた。
王は刺された胸を押さえながらベッドから這い起きて来たのだろう、その後ろから必死に止める宰相、医師や侍従と王妃まで加わりとんでもない状態だ。
デルタ王家を訪問していたはずのレスターが陛下の側で思い止まるよう説得している。ウィルロアに気付くと首を横に振って凶報を窺わせた。
「止めるな! 私が行かねば! すぐにでもデルタに謝罪せねば!」
やはりデルタは聞く耳を持たなかったようだ。
床には引きずった血の痕があり、立っているのもやっとだろう傷の深さにも関わらず、正気を保てていることに驚愕する。
その鬼気迫る姿に、ぞくりと足元から身震いが押し寄せた。
王とは、こんなにも――。
「殿下?」
無意識にウィルロアの足は後退した。
駄目だ。逃げるな。
逡巡したのち、ゆっくりと息を吐いて目を閉じる。閉じた瞼の奥には透き通るような白い肌と艶やかな黒髪、大きな瞳の少女が浮かんだ。
カトリを想うと、不思議と身震いは止まり前へ一歩踏み出すことが出来た。
さあ行くぞ! もう後戻りはできないからな!
「陛下、何をそんなに慌てているのですか?」
「ウィル、ロア」
国の一大事とは似つかわしくない、ゆったりとした笑顔で殊更何でもないように告げた。
「デルタの一行は既にここを出立しました。ですから陛下が無理をなさることはありません。さあ、部屋に戻りましょう。皆心配しております」
「寝ている暇などない! お前は、事の重大さを分かっていない!」
「分かっておりますとも。だからこそ最優先に陛下の身を案じているのです」
「……」
国王はウィルロアの言葉でやっとその場で動きを止めた。荒い息はひゅーひゅーと風穴が開いたように鳴り、ぽたぽたと血の滴る音がする。
父の凄惨な姿を見ただけで心が苦しいというのに、それが実兄の仕業だという事実が、今更ながら胸が押し潰されるほどに辛かった。
それでも無理を押し通す父の姿に、己の頼りなさを痛感して今までの行動を悔やんだ。
その場で深く頭を下げた。
「今までの不承不承な態度、不甲斐ない息子であり続け御心配をおかけしましたこと、心よりお詫びいたします」
この国の後継としてやっと覚悟と自覚を持ったウィルロア。その言葉には、今まで逃げ回っていたのを詫び、向き合う決意が読み取れた。
「……遅い」
「はい」
二人の様子を見守る臣下達。
言葉は少なくとも、二人の中で確かなバトンが引き継がれた。
王はままならない呼吸で「私は、少し休む」と告げた。
後を託した直後に倒れ込み、王妃や医師が駆け寄り支える。
誰が見ても限界だった。
そこにはウィルロアには到底足りない、王としての強い責任と信念があった。
ウィルロアはもう一度深く礼をして父の無事を祈りながら踵を返した。
「ウィル」
ウィルロアの足が止まる。
「……」
呼び止めたのが母だと分かった。だけど振り返ることが出来なかった。
今、どんな顔で、どんな言葉をかければいいのか。長い沈黙が二人の複雑な感情とせめぎ合いを映し出しているかのようで、その想いは似たものなのだと思わせた。
「……後は、任せました」
消え入りそうな母の声に、その背にかかる想いに、「はい」と力強く答えた。




