決裂
軍師ファーブルに規律違反の処分を言い渡す予定が、王太子アズベルトの臣下を庇う切実な訴えで風向きが変わった。
アズベルトの姿に心を打たれた国王は、軍もファーブルも厳重注意で実質お咎めなしとなった。勿論アズベルトに対しても。
国王が退出すると、アズベルトは臣下に囲まれた。
皆が王太子の帰還を歓迎し、身を挺して臣下を庇った行動を口々に称賛していた。
その中に俺に媚び売った裏切り者がたくさんいるけどなー。お前の悪口言ってたやつたくさんいるぞー。
ファーブルがレスターと共に謁見の間を去って行くのを横目に、影武者説を拭い去ったウィルロア部屋の隅で恨めしく様子を眺めていた。
俺が待ってんだからお前ら気を利かせてとっとと去れよ! 挨拶一番最後になったじゃん!
内心の苛立ちとは変わって、微笑みを浮かべて臣下に囲まれる兄を憧れの眼差しで見ている体を装う。
人の波が落ち着くのを見計らって声をかけた。
「兄上!」
謁見の間を出た大階段の前、周囲が気を利かせて二人きりにしてくれたので、兄弟水入らずの再会を果たせた。
「お帰りを心よりお待ちしておりました」
心弾ませ駆け寄るウィルロア。
兄を慕う弟の姿は、傍から見ればエーデラルの件や王位争いが起こりかけたことを、微塵も感じさせない完璧王子の手腕だ。
対してアズベルトは、体を横に向けたままこちらを見ようともしない。
あ? 何だてめえその態度は。人の婚約者にあんな贈り物寄越して嫌がらせしといて。それでも心の広い俺様が許してやったんだぞ。それともあれか。俺が王位を奪おうとしたと勘違いしているんだろう? それな、ほんとお前がもっとしっかりしてれば起きなかったから。俺は継ぐ気ないってあんなに言ってたんだから、これはもう俺の責任じゃねーよ。お前の人徳の無さが原因です!
ウィルロアに対する素っ気ない態度に呆れながらも、微笑んでもう一度自分は害のない男だと説明しようとした。
「兄上――」
「皮肉なものだ」
ようやく口を開いたかと思えば、アズベルトは顔だけウィルロアへ向けて冷笑を浮かべた。
「あんなに嫌悪していたお前のやり口を真似たら全てがうまくいった。初めからこうしておけばよかった」
「……え?」
何の話をされているのか分からなかった。アズベルトは体をゆっくりこちらに向けると、蔑むような眼でウィルロアを見下した。
「表向きでは温和で心優しい王子を演じながら、腹の底では人をこき下ろしていたのだろう?」
ウィルロアはぎくりとした。
まさかアズベルトにやさぐれ王子の姿を見られてしまったのかと思ったからだ。
「私が不在なのをいいことに、仲間を増やすとは実に狡猾で抜け目ない男だ」
「仲間?」
「私を城から追い出し、その隙に自らの地位を盤石なものにしようとしたではないか」
会食や面会やらと、やたら群がって来た連中のことか?
そこでようやくアズベルトが勘違いをしているのだと分かった。
「誤解です。あちらが勝手に――いいえ、私は玉座に興味が無いと伝えるためにーー」
「軍の改革を進め、私が成し得なかったことをして自らの存在と力を誇示しようとした。王籍を外れると言い、俺を油断させ王位を掠め取ろうとするとは。危うくお前の作戦に騙されるところだった」
「ち、違います! それは兄上がお戻りになった時やり易いようにと考え――」
「黙れ!!」
必死に説明を試みたが怒声で怯んでしまう。
人気のない大階段には、アズベルトの一際大きな声が木霊した。
「お前はいつもそうだ! 私のためと! 自分は王にはならないと! 私こそが王にふさわしいと! そうやって私を持ち上げておきながら、腹の底ではいつだって私を馬鹿にしていたのだ!」
「!」
ウィルロアは鈍器で殴られたように頭がくらくらとした。
「わた……しは……」
衝撃で言葉が続かない。
アズベルトは委縮する弟に歪んだ笑みを浮かべ、「この簒奪者め」と吐き捨てた。
「全てを奪おうとするお前から、全てを守るために戻って来た。王になるのはこの私だ。お前ごときに渡すものか!」
アズベルトの瞳には燃えるような怒りが孕んでいた。
アズベルトの言葉が頭の中で反芻し、揺れるような感覚に吐き気がした。
違う、そうじゃない。
反論しなければと思うのに言葉が出てこない。
何が違う? 違わないだろう。
あまりの衝撃に頭の中は混乱し、それでもこのままでは駄目だという漠然とした感覚だけで縋るように手を伸ばした。
「あ、兄――」
「やめろ」
ウィルロアの手はアズベルトの袖を掴む前に空を切った。
「もう兄などと、馴れ馴れしく呼ぶな」
はっきりと向けられた敵意と拒絶に、これ以上は一言も言葉にできなかった。
時には冷たく、苛立ち、厳しかった懐かしく聞きなれた声が、この時ばかりはやけに静かで冷徹に聞こえた。
アズベルトは愕然とするウィルロアを意に介さず階段を下りていく。
ウィルロアはその場にしばらく立ち尽くしていた。
刺されてもいないのに鈍い痛みが胸を打ち、抗うように押さえつけた。




