第82話 神のコマンドと、無法のバグ
私の背後にある空間から現れたのは、巨大な機械の龍だった。 鱗の一枚一枚がサーバーラックで構成され、血管の代わりに極太の光ファイバーが脈動している。 その咆哮は、生物の声ではない。 耳をつんざくような、不快な電子ノイズと駆動音の奔流だった。
【System Call: Gravity = 10.0】
葛城が指先で空を弾く。 その瞬間、ドォン! という衝撃と共に、私たちの身体が床に叩きつけられた。 重力が10倍になったのだ。
ぐ、ぁ……ッ! 重てぇ……! イグニスが呻き、床に手をつく。 骨がきしむ音がする。生身の人間なら即死レベルの圧力だ。
ほう。まだ動けるか。 やはり君たちのデータ密度は異常だね。通常のNPCなら、ポリゴンが潰れて消滅しているところだよ。 葛城は重力の影響を受けず、宙に浮いたまま私たちを見下ろしている。
全員、動かないで! 私が叫ぶ。 私は右手のノイズを解放し、床に突き立てた。 私の右腕はもう、肘から上が完全に黒いデータ欠損(void)になっている。
書き換え(オーバーライド)……開始ッ! 【Local Setting: Gravity = Normal】!
バチバチッ! 私の周囲に黒い波紋が広がり、重力場を中和していく。 ふっと体が軽くなり、イグニスたちがガバッと起き上がった。
助かったぜ、コーデリア! イグニスが鉄パイプを構え直し、跳躍する。 重力操作なんてインチキ使いやがって! そのドヤ顔、ひっぱたいてやる!
イグニスが葛城に肉薄する。 鉄パイプが振り下ろされる直前、葛城はあくびを噛み殺した。
【Object: Ignis_Weapon / Delete】
シュッ。 イグニスの手から、鉄パイプが消滅した。 破壊されたのではない。最初から持っていなかったかのように、データごと削除されたのだ。
なっ……!? 俺の武器が!?
物理攻撃は無意味だと言ったはずだよ。 私はこの世界のルールブックそのものだ。 君が何を振るおうと、私はその「当たり判定」を消せばいい。
葛城が指を振るう。 背後の機械龍が大きく口を開けた。 口腔内に、青白い光が収束していく。
【Format Breath(初期化の吐息)】。 さあ、綺麗さっぱり消えなさい。
ズドォォォォン!! 極太のレーザーが私たちを飲み込もうと迫る。 熱量も衝撃もない。触れた空間を「白紙」に戻す、絶対虚無の光。
させませんッ! ガラハッドが前に出る。 彼は盾を持っていなかった。先ほどの戦いで失ったからだ。 だが、彼は両手を広げ、生身で光の前に立ちはだかった。
ガラハッド! 避けて!
いいえ! 私の役目は、守ること! たとえ盾がなくても……この身が砕けようとも!
ガラハッドの全身が黄金色に輝く。 システムに定義されていない、未知のエネルギー。
【聖騎士権限・絶対守護領域】!!
カッ!! ガラハッドの体が光の壁となり、初期化のレーザーを受け止める。 ジジジジジッ! 空間が悲鳴を上げ、ガラハッドの体が足元から徐々に透明になっていく。 データの消去と、彼の魂による再生が拮抗しているのだ。
ぐ、うぅぅ……ッ! まだだ……まだ、耐えられる……!
ガラハッドのHPバーが高速で減少していく。 だが、彼は一歩も退かない。
ほう。 葛城が少しだけ目を見開いた。 削除コマンドに耐えている? ただのセキュリティ・ソフトの成れの果てが……自我だけでシステムに抗うというのか。
今です! コーデリア様! ランスロットが叫ぶ。 ガラハッドが防いでいる間に、本体を叩くしかありません!
分かってる! 私は走った。 葛城の周囲には、見えない防御壁が幾重にも張り巡らされているはずだ。 だが、私の右腕なら――この世界を否定するバグの腕なら、こじ開けられる!
【Target Lock: Katsuragi】 【Attack: Force Quit(強制終了)】!
私は跳躍し、黒く変色した右拳を葛城の顔面に叩き込んだ。
ガィィィン!!
硬い音がして、私の拳が空中で止まった。 葛城の目の前に、半透明のウィンドウが出現し、私の拳を受け止めていたのだ。 ウィンドウには『Access Denied(アクセス拒否)』の文字。
惜しいね。 葛城が私の目の前で微笑む。 君のバグは強力だが、私の管理者権限の方が、優先順位が上だ。
ウィンドウから強烈な衝撃波が放たれる。
きゃあっ!?
私は吹き飛ばされ、床を転がる。 右腕が激痛を訴えている。これ以上使えば、私の自我まで崩壊してしまう。
コーデリア! アーサーが私を抱き起こす。
強い……。 攻撃が通らないし、近づくことさえできないなんて。 これが、神と戦うということなの?
絶望的な空気が流れる中、葛城が冷徹に告げる。
遊びは終わりだ。 サーバー負荷が増大している。まとめて処理しよう。
機械龍が咆哮し、その身体を分解させた。 無数のサーバーケーブルが蛇のようにうねり、部屋全体を埋め尽くす。 逃げ場はない。全画面攻撃だ。
【System All Reset】。
視界が白く染まる。 万事休すか。 そう思った瞬間、私の懐で「何か」が熱く脈打った。
これは……?
私が取り出したのは、第1章で死んだ勇者ハルトから奪い、ずっとアイテムボックスの肥やしになっていたもの。 伝説の聖剣【エクスカリバー】。 その刀身が、今までにないほど激しく明滅している。
『……コーデリア……聞こえるか……』
頭の中に、懐かしい声が響いた。 ちょっと生意気で、でもどこか憎めない、あの少年の声。
ハルト……?
『俺の剣を使え。 ……あいつの権限を破れるのは、この世界で唯一、「勇者」のIDだけだ』
聖剣が勝手に浮き上がり、私の右手に吸い込まれるように重なった。 バグに侵食された私の右腕と、聖剣の輝きが融合していく。 黒と金が混ざり合い、新たな刃を形成する。
これは……。 私は理解した。 ハルトは死んでいなかった。彼のデータはこの剣の中にバックアップされ、ずっとこの時を待っていたのだ。 管理者に対抗できる、もう一つの特権ID。
ありがとう、ハルト。 借りるわよ、あなたの力!
私は立ち上がった。 右腕には、禍々しくも神々しい、バグと聖なる力が融合した剣。
イグニス! アーサー! ランスロット! ガラハッド! 道を開けて! あいつの懐まで、私を運んで!!
おうよ! イグニスが笑う。 任せときな、社長! 最高の花道を作ってやるぜ!
反撃開始。 システム対バグ。 神対社畜。 そして、新旧の勇者の力が、最強の管理者に牙を剥く。




