第81話 終わった世界と、電子の箱舟
光の洪水が収まると、私たちは広大なドーム状の空間に立っていた。 そこは、社長室というよりは、巨大なプラネタリウムのようだった。 天井も壁も床もなく、全方位が「映像」で覆われている。
よく来たね、わが社の優秀な社員たち。
空間の中央に、一脚の白い革張り椅子が浮いていた。 そこに座り、優雅に足を組んでいる男。 現・内閣総理大臣であり、この世界を支配する管理者。 葛城。
総理……! 私は声を絞り出す。 右手のノイズが、彼に反応して激しく疼く。本能が告げている。目の前の男は、人間ではない。膨大なデータが人の形をしているだけだ、と。
あなたは……一体、何をしたの? 現実世界の兵器を持ち込んだり、空をバグらせたり……この世界を壊す気!?
壊す? 心外だな。 葛城は薄く笑い、指を鳴らした。
私は「救済」しているのだよ。……見てごらん、コーデリア君。これが、君が帰りたがっている「現実」の姿だ。
彼の周囲のスクリーンが一斉に切り替わった。 そこに映し出された映像を見て、私は息を呑んだ。 イグニスや騎士たちも、言葉を失って立ち尽くす。
これは……地獄か? イグニスが呟く。
映し出されていたのは、灰色の空と、黒い海。 林立する高層ビルは半ばから折れ、赤い鉄骨を晒している。 地面は見渡す限りの瓦礫と砂漠。緑は一本もなく、生物の気配もない。 かつて渋谷だった交差点には、巨大なクレーターが穿たれ、放射能を示す標識が埋もれていた。
嘘……でしょ? 私は後ずさる。 私の知っている日本は、平和で、満員電車があって、深夜まで明かりが消えない国だったはずだ。
嘘ではない。これは現在の「東京」のライブ映像だ。 葛城が淡々と告げる。
君がこの世界に転生してくる直前、地上で何が起きたか覚えているかね? 第三次世界大戦、そして環境制御システムの暴走。 人類は、自らの手で地球を住めない星に変えてしまったのだよ。
そんな……。 私の記憶がフラッシュバックする。 過労で倒れ、駅のホームから落ちた瞬間。 あの時、電車が来る前に……空襲警報が鳴っていなかったか? 遠くで閃光が見えなかったか?
そう。君が死んだ(転生した)瞬間、旧世界もまた死んだのだ。 葛城は両手を広げた。
だが、私は諦めなかった。 肉体が滅びるなら、精神だけを生き延びさせればいい。 政府は極秘裏に、全人類の意識データをサーバーにアップロードする計画を進めていた。 それが、このファンタジー世界……【デジタル・アーク計画】だ。
アーク……箱舟? 私が呟く。
そうだ。この世界はゲームではない。 人類に残された最後の居住区なのだよ。 地下の住人も、魔族も、そして君たちも……元は全て、避難民のデータだ。
嘘だ! イグニスが叫ぶ。 俺たちが……データだと? 俺には血も涙もある! 親方との思い出だってあるんだ!
それは高度なAIによって再現された記憶に過ぎない。 葛城は冷たく切り捨てる。
しかし、この箱舟も定員オーバーでね。 サーバーの容量が足りないのだ。だから私は「魔王軍」という脅威を作り出し、戦争を起こさせた。 データを間引き(削除)し、システムを軽量化するためにね。
戦争……間引き……。 そのために、ガンテツ親方は死んだの? カルテやイチヨウは、容量確保のために消されたの?
私は怒りで視界が真っ赤に染まるのを感じた。 右手のノイズが暴走しそうになる。
ふざけるな……! 人の命を、ファイルの容量みたいに扱うな!
落ち着きたまえ。 葛城は表情一つ変えない。
君には特別に選択肢を与えよう、コーデリア君。 君は「異物」として稀有な力を持っている。 どうだ、私の部下にならないか? この箱舟の管理者として、永遠に続く楽園を一緒に運営しよう。 現実(地獄)に帰るより、ずっと幸せなはずだ。
葛城が手を差し伸べる。 スクリーンの向こうには、荒廃した現実の東京。 目の前には、美しく管理された(狂った)ファンタジー世界。
帰る場所なんて、もうどこにもない。 総理の言う通りかもしれない。 あんな瓦礫の山に戻って、何になる? ここで管理側になれば、もう誰も死なせずに済むかもしれない。
……コーデリア様。 背後から、アーサーの声がした。
迷わないでください。 あなたの帰る場所は……ここにあります。
え? 私が振り返ると、騎士たちとイグニスが、私を取り囲むように立っていた。 彼らは剣を構え、総理を睨みつけている。
俺たちはデータかもしれない。偽物の記憶かもしれない。 でも、あんたと過ごした時間だけは……本物だ。 イグニスがニカっと笑う。
あなたが「帰りたい」と願った場所は、あんな廃墟ではありません。 あなたが求めていたのは、平和で、明日への希望がある場所のはずです。 ランスロットが双剣を構える。
なら、作りましょう。 ガラハッドが盾をドンと突く。 このふざけた箱舟を乗っ取って、誰も間引かれない、新しい世界を!
みんな……。
私は涙を拭い、総理に向き直った。 迷いは消えた。 私の帰るべき「現実」は、過去の東京じゃない。 今、私の隣にいる仲間たちがいる場所だ。
お断りします、総理。 私はアタッシュケースから、辞表(離反状)を取り出し、彼に投げつけた。
私はブラック企業の管理職なんて御免です。 ……私は、この世界ごと「独立(MBO)」させていただきます!
交渉決裂か。残念だよ。 葛城がため息をつき、椅子から立ち上がった。 その瞬間、彼の背後の空間が裂け、巨大な機械の龍――サーバーケーブルの束で構成された「神」のごとき姿が出現した。




