第80話 白い悪魔と、決裁権限の強奪
非常階段の出口を蹴り破ると、そこは先ほど落とされたエレベーターホールのすぐ真上、役員フロアの廊下だった。 清潔すぎて不気味なほどの白い空間。 だが、その空気はピリついている。
まさか、ゴミ箱から這い上がってくるとはね。 前方から、呆れたような声が聞こえた。
白いスーツに、一滴の汚れもない革靴。 特務秘書官シロガネが、優雅に紅茶を飲みながらそこに立っていた。
計算外ですよ。あの廃棄場は、一度落ちればデータが細断されるはず。 ……誰か、内部に協力者でもいましたか?
ええ、いたわ。 私は右手のノイズを握りしめ、彼を睨みつけた。 あなたがゴミとして捨てた、かつての騎士がね。彼の執念が、道を開いてくれたのよ。
そうですか。 シロガネは興味なさそうに紅茶のカップを空間に捨てた。カップは床に落ちる前に、デジタル信号となって消滅した。 なら、今度は私が直接、跡形もなく消去して差し上げましょう。
シロガネが眼鏡の位置を直すと、彼の手元に光るキーボードが出現した。
【Admin Command: Delete /target: All】
彼の指がエンターキーを叩く。 瞬間、私たちの足元の床、周囲の壁、そして空気さえもが、白く漂白されるように消滅し始めた。 物理攻撃ではない。存在そのものを「無かったこと」にする、強制削除の権能。
消えなさい。私のスケジュールに、あなたたちの相手をする時間は入っていません。
来るぞ! 防御陣形! ガラハッドが前に出て盾を構える。
無駄です。 シロガネが冷たく告げる。 私の権限は特級。君たち一般社員(NPC)の防御スキルなど、稟議を通さず却下できます。
ガラハッドの盾が、白い光に触れた端から透明になっていく。 覚醒した彼の力をもってしても、管理者権限の壁は厚いのか。
ガラハッド!
このままでは全滅する。 その時、私の右手がドクン、と大きく脈打った。 肘まで侵食していた黒いノイズが、二の腕を駆け上がり、肩口まで達しようとしていた。
(……これなら、いける!)
私は迷わず前に飛び出した。
コーデリア様!?
私は侵食された右腕を、迫り来る「削除の光」に向かって突き出した。
却下なんてさせない! これは……現場からの緊急動議よッ!
私の右腕が、白い光と接触する。 ジジジジジッ!! 空間が激しく明滅し、耳障りな不協和音が響き渡る。 私の腕が焼けるように熱い。 だが、白い光は私の腕を消去できず、逆に黒いノイズに押し返されていた。
な……何ですか、その腕は!? シロガネが初めて表情を崩した。 私の削除コマンドを……弾いている? いや、書き換えているのか!?
私の体はもう、半分バグってるのよ! 正規のプログラムじゃないから、あなたの管理下にはない!
私は叫び、さらに踏み込む。 右腕のノイズを鞭のように変化させ、シロガネの目の前に展開された光のキーボードを叩き割った。
パリーン!!
キーボードが砕け散り、削除の光が霧散する。
ぐっ……! 管理者権限を……物理的に破壊しただと!?
今よ! みんな、やって!
私の合図と共に、騎士たちがシロガネに殺到する。
よくもガラハッドの盾を! アーサーが剣を振るう。 【社畜剣技・休日出勤】! 目にも止まらぬ連撃が、シロガネの白いスーツを切り裂く。
あなたの計算など、現場の熱量には勝てません! ランスロットが双剣でシロガネの退路を断つ。
そして、イグニスが鉄パイプを振りかぶる。
これが最後だ、優男ァ! 親方の分、トリスタンの分、まとめて払いなッ!
ドガァァァァン!!
鉄パイプがシロガネの腹部に直撃し、彼を役員室の扉ごと吹き飛ばした。 ズザザザ……! シロガネは床を転がり、壁に激突して止まった。 白いスーツはボロボロになり、口元からは赤い血ではなく、青いオイルのような液体が流れている。
ゴホッ……バカな……。 私が……たかがNPCごときに……。
シロガネが震える手で眼鏡を直そうとするが、眼鏡は割れて地面に落ちた。
終わりよ、シロガネ。 私は彼の前に立ち、右手のノイズを収めた。 これ以上使うと、私自身が消えてしまいそうだったからだ。
……ククッ。 シロガネは力なく笑った。
おめでとうございます。私を倒しましたか。 ですが……残念でしたね。
何が?
時間稼ぎは、完了しました。 あの方の準備は……もう整っていますよ。
シロガネの視線の先。 吹き飛ばされた扉の奥から、まばゆい光が溢れ出していた。 そこから漂ってくるのは、圧倒的な重圧。 もはや生物の気配ではない。 巨大な演算装置が発する熱気と、神々しいまでの静寂。
入りなさい、コーデリア。 そして、絶望するといい。
シロガネはそう言い残すと、光の粒子となって分解され、消滅した。 最期まで、冷徹な秘書官としての役割を全うして。
私たちは顔を見合わせた。 ついに、たどり着いた。 この光の奥に、全ての元凶がいる。
行くわよ。 これが最後の出勤だわ。
私は大きく息を吸い込み、光溢れる「社長室」へと足を踏み入れた。




