第77話 絶対拒絶の門と、浸食する管理者権限
光の階段を登りきった私たちは、天空の城の正門前に立っていた。 城壁は白い大理石――に見えるが、近づいてよく見ると、無数の白いサーバーラックが隙間なく積み上げられてできている。 城門は物理的な扉ではなく、青白い光の壁が揺らめく**「巨大な障壁」**だった。
きれいな場所だけど……生命の気配がまるでしないわね。 スカーレットが煙管をふかすが、煙はすぐにデジタルの風に流されて消えてしまう。
ここが、総理の居城。 私はアタッシュケースを握りしめた。右手の痺れは、今は肘のあたりまで広がっている。 手袋の下で、私の腕はもはや人間の肌ではなく、明滅するノイズの塊になりつつある。
行きましょう。ノックはいらないわ。 私が歩き出すと、光の門がブウン! と唸りを上げた。
『ピー、ガガッ。……認証を開始します。』
門の上空に、巨大なホログラムが出現した。 それは、無機質な笑顔を浮かべた女性の顔――「受付嬢」のようなAIアバターだ。
『IDを提示してください。……スキャン中……』 『エラー。該当する社員番号はありません。』 『警告。未登録のデータ(ウイルス)を検知。排除プロトコルを起動します。』
受付嬢の目が赤く染まる。 同時に、光の門から数体のゴーレムがせり出してきた。 全身が半透明の赤色で構成された、盾を持った巨人たち。
《セキュリティ・ゴーレム(ファイアウォール型)》。
排除します。 ゴーレムたちが機械的な声で告げ、巨大な盾を構えて迫ってくる。
また門番かよ! 親方譲りの一撃で粉砕してやる! イグニスが鉄パイプを振り上げ、炎を纏わせて特攻する。
燃え尽きろォォッ!
ドォォォン!! 渾身の一撃がゴーレムの盾に直撃する。 だが、手応えは「ガンッ」という硬い音ではなく、「ビヨヨン」という間の抜けた弾性音だった。
なっ!? 弾かれた!?
物理攻撃無効化。……衝撃を吸収されました! ランスロットが叫ぶ。
ガラハッド、お前の盾で押し返せ! アーサーが指示を出すが、ガラハッドの顔色が悪い。
無理です。……あいつらの盾、私の「六法全書シールド」と構造が似ています。 あれは「拒絶」の概念そのもの。こちらの攻撃リソースを全て「アクセス拒否」として無効化しています!
つまり、正攻法じゃ破れないってことね。
私は歯噛みした。 ここは総理の庭。ここでは総理の定めたルール(セキュリティ)が絶対なのだ。 ゴーレムたちが盾を振り下ろす。 衝撃波だけで、イグニスと騎士たちが吹き飛ばされる。
ぐはっ……! 近づけねぇ!
『ウイルス駆除、進捗率30%。……フォーマット(初期化)を推奨します。』 受付嬢のホログラムが冷徹に告げる。
どうする、コーデリア! このままじゃジリ貧だぞ! スカーレットが叫ぶ。
(……やるしかない)
私は震える右手を抑えた。 この腕は、バグ。この世界にとっての異物であり、同時にシステムに干渉できる唯一の鍵。 使えば侵食が進む。 でも、ここで止まるわけにはいかない。
みんな、下がって!
コーデリア様!?
私はゴーレムの前に飛び出し、右の手袋を口で食いちぎった。 露わになったのは、肘まで黒いノイズに覆われ、指先が完全にピクセル化して崩壊しかけている「異形の腕」だった。
な……その腕は!? イグニスが絶句する。
見ないで。……これは、ただの「合鍵」よ!
私はノイズの走る右腕を、ゴーレムの赤い盾に突き刺した。
グギギ……! 熱い……!
腕が焼けるような激痛。 システムが私という異物を拒絶しようと、高電圧のような負荷をかけてくる。 だが、私は叫んだ。
アクセス……承認ッ! 《強制権限・書き換え(オーバーライド)》!!
バチバチバチバチッ!! 私の右腕から放たれた黒いノイズが、ゴーレムの赤いボディを一瞬で黒く染め上げる。
『エ……ラー……。権限……委譲……確認……。』 『味方……認定……。』
ゴーレムの動きが止まり、その瞳の色が赤から緑へと変わった。
え? アーサーたちが目を丸くする。
ゴーレムは私の命令に従い、巨大な盾を側面へ向けた。 そして、後ろに控えていた他のゴーレムたちに向かって、シールドバッシュを放ったのだ。
ドガァァァン!! 同士討ち。 私がハッキングした個体が、他のセキュリティを排除していく。
『内部エラー発生。セキュリティ・システム、ダウン。』 『ゲート……開放します。』
ホログラムの受付嬢がノイズと共に消滅し、光の門がゆっくりと開いた。
はぁ……はぁ……ッ!
私はその場に膝をついた。 右腕の感覚がない。 恐る恐る見ると、ノイズの侵食は二の腕まで達していた。 皮膚が剥がれ落ち、その下に見えるのは肉ではなく、空洞のような黒いデータ領域。
コーデリア様! 騎士たちが駆け寄ってくる。
大丈夫よ。……ただの職業病(腱鞘炎)みたいなものだから。 私は無理やり笑って、予備の手袋をはめた。
その腕……治らないのですか? ガラハッドが痛ましげに尋ねる。
ええ。この世界に近づけば近づくほど、私は壊れていくみたい。 ……でも、進むわよ。 私の身体が消えるのが先か、総理を殴るのが先か。……競争よ。
私の覚悟を聞き、騎士たちは何も言わずに頷いた。 だが、その目には以前のような「従順なNPC」の色ではなく、もっと人間らしい「悲しみ」と「意志」が宿り始めていた。
行きましょう。
私たちは開かれた門をくぐった。 《アヴァロン》の内部。 そこは、無限に続くサーバーの迷宮だった。 通路の両脇には、カプセルに入った「何か」がずらりと並んでいる。
……なんだ、あれは?
イグニスがカプセルの一つを覗き込み、息を呑んだ。
液体の中に浮いているのは、人間だった。 現代的な服装をした、サラリーマンや学生、主婦たち。 彼らは皆、頭にヘッドギアを装着され、眠っているように漂っている。
これって……まさか……。
私は理解した。 これはNPCではない。 現実世界の人間たちの「精神データ」の保存庫だ。 総理が言っていた「箱舟」の正体。
ようこそ、人類の保管庫へ。
通路の奥から、拍手の音が響いた。 現れたのは、白いスーツを着た糸目の青年。 総理の秘書であり、最強の側近。
《特務秘書官・シロガネ》。
ここから先は、社長室です。 アポのない面会は、お断りさせていただきますよ?
シロガネが指を鳴らすと、通路の床が抜け、私たちは真っ逆さまに落下した。
うわぁぁぁぁッ!?
ようこそ、地獄の地下迷宮へ。 まずはそこで、死ぬまで残業してくださいね。




