第74話 T字の姿勢の死者と、無限ロード地獄
重厚なゲートを潜り抜けた先。 そこは、石造りの冷たい廊下ではなく、無機質な白い壁と、眩しすぎるほどの蛍光灯が続く「近代的な通路」だった。 空気は乾燥しており、絶え間なくブォォォン……という低い駆動音が響いている。
な、なんだここは? イグニスがツルハシを構えたまま、周囲をキョロキョロと見回す。
松明がないのに、昼間みたいに明るいぞ。それに、この床……ツルツルしてやがる。 ワックスのかかったリノリウムの床で、彼の安全靴がキュッキュッと音を立てる。
警戒してください。 ランスロットが双剣を抜く。 敵の気配が……あそこにいます!
彼が指差した先。 長い廊下の真ん中に、数体の「兵士」が立っていた。 新魔王軍の鎧を着ているが、彼らは動かない。 剣を真横に突き出し、両足を揃えて直立不動の姿勢をとっている。 いわゆる、**【Tポーズ】**だ。
……なんだあいつら? 案山子か? イグニスが怪訝そうに近づく。
おい、通すのか通さないのか、はっきりしやがれ!
イグニスが怒鳴っても、兵士たちはピクリとも動かない。 瞬きもせず、呼吸もしていない。 ただ、その目は虚空を見つめ、不気味なほど静止している。
待って、イグニス。触らないで。 私が止める。
コーデリア様、これは……?
……読み込みエラーよ。 私は冷や汗を拭った。 彼らのAI(人工知能)が起動していない。 あるいは、メモリ節約のために「動作」を省略されているのだ。
この要塞、外観だけじゃなく中身もバグだらけね。 兵士を動かすリソースすら残っていないなんて。
その時だった。 私たちが彼らの横を通り過ぎようとした瞬間、 カクッ。 先頭の兵士の首が、あり得ない角度で回転した。
ア……アア……。 排除……排除……。
兵士が、Tポーズのまま、足も動かさずにスーッと地面を滑るように近づいてきた。
うわぁぁ!? なんだコイツら、気持ち悪ぃッ! イグニスが悲鳴を上げ、反射的にツルハシを振り回す。
寄るな! 化け物がッ!
ドガァッ!! ツルハシが兵士の頭部を粉砕する。 だが、飛び散ったのは血肉ではなかった。 キラキラと光るポリゴンの欠片となって、兵士の体が一瞬で消失したのだ。
消え……た? ガラハッドが盾を構え直す。
死体すら残さないのか。……不気味な連中だ。
先へ急ぎましょう。 私はアタッシュケースを抱え直した。 ここに長居すると、私たちまで「バグ」に巻き込まれそうな気がしてならなかった。
◇
私たちは要塞の上層階を目指した。 階段はなく、存在するのは巨大な搬送用エレベーターのみ。 しかし、そのエレベーターホールには、先ほど逃げ込んだ**《編纂のスピンドル》**が待ち構えていた。
しつこい客ね。……ここは関係者以外立ち入り禁止よ。
スピンドルは、欠損した半身を無数のケーブルで壁の端子に接続し、急速充電を行っていた。 彼女の周囲には、空中に浮かぶ複数のディスプレイが展開されている。
ここから先は通さない。 ……発動せよ、《無限回廊》!
スピンドルがエンターキーを叩く。 瞬間、私たちの目の前の景色が歪んだ。 エレベーターへの扉が遠ざかり、代わりに同じ景色――白い壁と蛍光灯の廊下が、無限に続くように見え始めた。
走っても走ってもたどり着かないわよ。 この空間は、永遠に「読み込み中」のままループする。 貴様らの寿命が尽きるまで、そこで彷徨うがいい!
クソッ! 幻術か!? アーサーが走り出すが、どれだけ進んでもスピンドルとの距離が縮まらない。 まるでランニングマシンの上にいるようだ。
物理的な距離じゃない。空間の座標を繋ぎ直されたんだわ。 私は分析する。
どうしますか、コーデリア様! このままでは干上がってしまいます!
落ち着いて。 どんなプログラムにも、必ず「抜け穴」があるはずよ。
私はアタッシュケースから、ネット大臣特製の**【解析用ゴーグル】**を取り出し、装着した。 視界が緑色のワイヤーフレームに切り替わる。 無限に続く廊下。その継ぎ目を凝視する。
……見つけた。 あそこの壁、テクスチャが少しズレている。
イグニス! 右斜め前、壁のシミから数えて3枚目のパネル! そこが、このループ空間の継ぎ目よ! 全力で叩いて!
おうよ! 理屈は分からねぇが、叩けばいいんだな!
イグニスが燃え盛るツルハシを構え、壁に向かって突進する。
ここかぁぁぁッ!!
ドゴォォォォン!!
衝撃音と共に、白い壁に亀裂が走る。 ピキ、ピキピキ……パリーン!! ガラスが割れるような音を立てて、無限回廊の幻影が崩れ去った。
な、にぃぃ!? 私のアルゴリズムを、物理で突破しただと!? スピンドルが驚愕する。
バグが見つかったなら、叩いて直す。 ……それが現場(昭和のエンジニア)の流儀よ!
私は、呆然とするスピンドルの目の前まで歩み寄った。
さて、スピンドルさん。 さっきの続きをしましょうか。
貴様……!
スピンドルがケーブルを引き抜き、襲いかかろうとする。 だが、そこへスカーレットが忍び寄っていた。
遅いわよ、おばさん。
スカーレットのキセルから放たれた紫煙が、スピンドルの身体にまとわりつく。 煙は実体を持ち、鎖となって彼女を拘束した。
《紫煙縛り・強制シャットダウン》
ぐっ……体が……動か……な……。
スピンドルの動きが止まる。 私は彼女の胸元にある、青く光るコアに手を伸ばした。
悪いけど、あなたの管理者権限(ID)、貰っていくわね。 この先のエレベーターを動かすのに必要だから。
私がコアを引き抜くと、スピンドルは「あ……あの方に……栄光あれ……」と呟き、ノイズと共に完全に消滅した。
新四天王・編纂のスピンドル。撃破。 私たちは彼女のIDカードキーを手に入れ、最上階へのエレベーターに乗り込んだ。
上昇する箱の中で、私は窓の外を見た。 眼下に広がる地上世界。 そのあちこちで、地面が黒く欠落し、空が四角く切り取られている。
世界が、虫食いのように消えていく。 急がないと。 この世界が「サービス終了」を迎える前に、元凶を叩かなければ。
チン。 エレベーターが最上階に到着した。 扉が開いた先。 そこに広がっていたのは、玉座の間ではない。
巨大なサーバータワーに囲まれた、一人の男が待つ**【メイン・コントロール・ルーム】**だった。
よく来たね、イレギュラーたち。
回転椅子を回してこちらを向いたのは、赤い軍服を着た男。 新魔王軍の総司令官――《鮮血のヴァーミリオン》。 だが、彼の顔の半分は、機械のインプラントで覆われていた。




