第73話 処理落ちする戦場と、当たり判定の魔女
私たち一行は、異形の要塞を目指して、荒野を進んでいた。 要塞に近づくにつれ、私の視界はおかしくなっていく。
地面の草木が、遠くから見るとただの「緑色の板」に見える。 岩肌の解像度が粗くなり、モザイクのようにぼやけている。
(……ひどい。世界のリソースが枯渇しかけてる)
私は寒気を覚えた。 この世界の描画処理が追いついていない。 おそらく、あの要塞が周囲のデータを吸い上げているのだ。
コーデリア様、足元に気をつけてください。 ここら一帯、強力な結界が張られています。……地面があるのに、踏むと足が沈む場所がある。
ランスロットが警告する。 彼には「結界」に見えているようだが、私には分かっていた。 それは結界ではない。**「当たり判定」**の消失だ。
全員、私の歩いた場所をトレースして! 一歩でも踏み外したら、裏世界(奈落)へ落ちるわよ!
私が先導し、見えない穴を避けて進む。 そして、要塞の正門――巨大な冷却ファンが回転する門の前にたどり着いた時だった。
カカカ……。よく来たわね、バグ(異物)ども。
空間が歪み、ノイズと共に一人の女が現れた。 蜘蛛のような多脚の下半身に、貴婦人のドレスを纏った魔族。 だが、その姿はどこか不自然だった。 彼女の輪郭だけがギザギザしており、動きに合わせてカクカクと残像を引いている。
新魔王軍四天王、最後の一人……**《編纂のスピンドル》**よ。 この世界を美しく最適化するのが、あの方から頂いた私の使命。
スピンドルが指を振るう。 すると、私たちの周囲の空間に、赤く光る蜘蛛の巣――いいや、**「赤色のグリッド線」**が展開された。
最適化? ふざけたことを! ガラハッドが大盾を構えて突進する。 邪魔だ、どけッ!
無駄よ。……あなたはそこで『停止』する。
スピンドルが空中のキーボードを叩くような仕草をする。 瞬間。
ガッ……!?
ガラハッドの体が、何もない空間で急停止した。 まるで、見えない壁に激突したかのように。
な……動けない!? 盾が……空間に固定された!?
私の糸は、この世界の座標を定義する。 ……そこを『通行不可エリア』に設定したわ。今のあなたたちは、壁にめり込んだNPCと同じよ。
スピンドルが冷笑する。 座標固定。物理法則を無視して、対象の「位置情報」をロックする権能。
次は、あなたたちを『削除』してあげる。
彼女の背中の蜘蛛足が、鋭利な刃となって襲いかかる。
させねぇよッ!!
横からイグニスが飛び出した。 彼はガンテツ親方の形見であるツルハシを、炎で赤熱させて振り下ろす。
親方譲りの土木根性だ! その見えない壁ごとブチ壊す!!
ドガァァァン!!
イグニスの一撃が、赤いグリッド線を叩く。 火花が散り、空間がきしむ音がするが……割れない。 いや、割れないどころか、ツルハシがスピンドルの身体をすり抜けた。
なっ!? 手応えがねぇ!? 幻影か!?
いいえ。……そこには『被ダメージ判定』が存在しないのよ!
私が叫ぶ。 今のイグニスの一撃は無効化されたのではない。システム的に「攻撃が当たらなかったこと」にされているのだ。
正解よ、賢いお嬢さん。 ……さようなら。
スピンドルの刃が、動けないガラハッドの首に迫る。 絶対絶命。 だが、私は彼女の「カクつき」を見て、一つの仮説を立てていた。
(彼女、強いけど……動きが重い。この空間操作、相当なメモリを食っているはず!)
イグニス! スカーレット! 全力で『エフェクト』を出して!
は? エフェクトだと?
炎でも煙でも何でもいい! この空間を、無駄な情報量で埋め尽くしてッ!!
わけが分からねぇが……了解だ! イグニスがツルハシを地面に突き立てる。
《過剰演出・爆炎乱舞》!!
ドオオオオオッ!! イグニスが必要以上の魔力を放出し、無意味に派手な爆炎と粉塵を巻き上げる。 視界が真っ赤に染まり、火の粉が舞い散る。
さらにスカーレットも加勢する。
お安い御用よ。 《紫煙・無限増殖》!
彼女のキセルから、濃厚な紫の煙がモクモクと吐き出され、戦場を覆い尽くす。
炎、煙、光、塵。 無数の粒子が、スピンドルの展開したグリッド空間の中を飛び交う。
な、何よこれ!? 目障りな……!
スピンドルが苛立ち、腕を振るう。 その瞬間。
ガガッ……ピ、ー……。
彼女の動きが、コマ送りのように止まった。
(かかった! 処理落ちだ!)
この世界は今、ただでさえリソース不足で不安定だ。 そこに、座標計算が必要な大量のパーティクルをばら撒けば、処理が追いつかずにラグが発生する!
今よ! アーサー、ランスロット! 彼女の『再描画』が追いつく前に、本体を叩いて!
合点承知!!
アーサーとランスロットが、フリーズした空間を駆け抜ける。
お客様! 動作環境の確認不足です! アーサーの剣が、スピンドルの胴体を捉える。
今度は当たり判定があるぞ! ランスロットの双剣が、彼女の蜘蛛足を切り落とす。
ギャアアアッ!? な、なぜ……私の計算速度が……追いつかない……!?
スピンドルが悲鳴を上げ、ノイズと共に吹き飛ぶ。 彼女の身体から、ポリゴンのかけらがボロボロと剥がれ落ちる。
おのれ……! バグ風情が、管理者に逆らうなッ!
スピンドルは半身を失いながらも、要塞の中へと逃げ込んだ。 ゲートが閉まる直前、彼女は捨て台詞を吐いた。
中に入れば……貴様らも絶望するわ。 そこで待っているのは、貴様らの『オリジン』なのだから!
ガシャンッ! 重厚なゲートが閉じ、戦闘が終わった。
ふぅ……。なんとか追い払ったわね。 スカーレットが煙を晴らす。
ガラハッド、大丈夫?
ええ。拘束が解けました。 ……しかし、恐ろしい敵でした。私の盾が全く意味を成さないなんて。
ガラハッドが冷や汗を拭う。 彼らには、今の攻防が「高度な空間魔法の応酬」に見えているだろう。 だが、事実はもっと無機質で、絶望的だ。
行きましょう。 ……あの中にある『真実』を確かめに。
私はゲートの制御パネルに、ネット大臣から預かったハッキングツールを接続した。 電子ロックが解除され、バベル・サーバーの入り口が開く。




