第72話 禁忌の基盤と、剥がれ落ちた空
三人の大臣の葬儀と組織再編を終え、いよいよ地上への逆侵攻作戦が始まろうとしていた矢先。 私は科学技術省のラボに緊急招集されていた。
ボス、出撃前にどうしても見てほしいものがある。
ネット大臣が、酷いクマを作った顔で手招きする。 彼の目の前にあるのは、第70話で破壊した機甲のアイゼンの胴体パーツ(残骸)だ。
アイゼンの解析結果が出たのですか?
ああ。動力炉の中枢を分解してみたんだが……意味が分からないんだ。
ネットは首を傾げながら、ピンセットで摘まんだ「小さな緑色の板」を私に見せた。 それは、魔法陣が描かれた魔石などではない。 無機質なシリコンと金メッキで構成された、超微細な電子回路だった。
これだ。アイゼンの思考と動力を制御していたコアパーツだ。 ……魔力が一切通っていない。代わりに、電気信号で動いていた形跡がある。 こんなナノ単位の加工技術、ドワーフの国宝級職人が百年かけても不可能だ。それに……。
ネットが拡大鏡を私に手渡す。
ここの刻印を見てくれ。古代語か? 僕のデータベースにはない言語なんだ。
私はスコープを受け取り、その小さなチップの表面を覗き込んだ。 そこにレーザー刻印されていた文字を見て、私の心臓が早鐘を打った。 それは古代語でも、異世界語でもなかった。
『PROPERTY OF US MILITARY - CLASSified』
……US、ミリタリー? 私が震える声で呟く。
なんだ、ボスは読めるのか?
ええ。……『合衆国軍・所有物・機密』と書いてあるわ。
は? なんだその国は。地上の新興国か?
いいえ……もっと遠い、別の次元の国よ。
私は冷や汗を拭った。 私の予感は確信に変わった。 新魔王軍の正体は、魔族ではない。 現実世界の「軍事兵器のデータ」が、何らかの方法でこの世界に転送され、実体化したものだ。 だからこそ、こちらの魔法や物理法則が通用せず、ネットのハッキング(電子戦)だけが有効だったのだ。
ネット。このチップのことは他言無用よ。 ……これは、パンドラの箱だわ。
解析を続けるネットを残し、私はラボを出た。 廊下を歩きながら、私は拳を握りしめた。 敵の中身は「現実世界のシステム」そのものだ。 葛城総理が目論む「対・神戦争」。その意味が、恐ろしいほどの解像度で理解できてきた。
◇
数時間後。 地上への逆侵攻作戦の準備が整った。 メンバーは私、食卓の騎士団(アーサー、ランスロット、ガラハッド)、二代目親方イグニス、そして案内役のスカーレット大臣。
準備はいいか、野郎ども! イグニスがガンテツ親方のヘルメットを叩いて気合を入れる。 彼の背中には、親方が使っていた巨大ツルハシが背負われている。
問題ありません。……有給休暇を取り消された怒りを、全て敵にぶつけます。 アーサーが殺気立った目で剣を点検する。
では、行きましょう。
私たちは、ネット大臣が修理した業務用エレベーターに乗り込み、地上を目指した。 ガガガガ……。 重い駆動音と共にエレベーターが上昇する。 地下深くから、地上の光へ。
チン。 扉が開くと、そこは先日制圧したスラム街《灰色の市街地》の外れだった。 かつては薄暗い曇り空が広がっていた場所だ。
だが、エレベーターから降り立った私は、空を見上げて絶句した。
……な、何よ、あれ。
空が、割れていた。 いや、雲の切れ間ではない。 青空の一部が正方形に欠落し、その向こう側に「黒い格子状の空間」が剥き出しになっていたのだ。 まるで、ゲームのテクスチャが読み込めずにバグった画面のように。 空の一部が【表示エラー】を起こしている。
空が……変ですね。妙に四角い雲が多い気がします。 アーサーが怪訝そうに眉をひそめる。
雲? あれが雲に見えるの?
ええ。少し不自然な形ですが……ただの雲でしょう? ランスロットも首を傾げる。
(……見えていないの?)
私は戦慄した。 彼らNPC(住人)の認識フィルタでは、あれはただの「変な気象現象」にしか見えていないのだ。 だが、転生者である私にははっきりと見える。 この世界の「外壁」が剥がれ落ち、データの裏側が露出している光景が。
世界が……壊れ始めている。 新魔王軍(現実世界)の侵食により、このファンタジー世界の容量が限界を迎えているのだ。
おい、あれを見ろ。 スカーレットがキセルで前方を指した。
地平線の彼方に、禍々しい要塞がそびえ立っていた。 かつて聖女が管理していた聖域。 今は、新魔王軍の本拠地となっている場所だ。
でも、あれは……城じゃないわ。
私は目を凝らした。 遠目には城に見えるが、その壁面は石材ではなく、無数の「サーバーラック」と「冷却パイプ」で構成されていた。 ファンタジーの城郭と、現実のデータセンターが悪魔合体したような、異様な建造物。
あそこが、新魔王軍の本拠地……《バベル・サーバー》よ。 スカーレットが忌々しげに言う。
あの中に、地上を汚染する毒の発生源も、アイゼンのような兵器の生産ラインも、全てがあるわ。
上等です。 私はアタッシュケースを握りしめた。
あそこを制圧し、この世界のバグを修正します。 ……総員、突撃準備!
イエス・マム!!
私たちは、バグり始めた空の下、異形の要塞へと足を踏み出した。 ここから先は、剣と魔法だけでは戦えない。 現実と虚構が入り混じる、狂った戦場の幕開けだ。




