第70話 亡き友の薬と、鋼鉄の逃亡者
カルテとイチヨウ、二人の大臣の遺体が横たわる病室を背に、私は走っていた。 手には、カルテが命を削って精製し、イチヨウが最期まで守り抜いた解毒剤の小瓶。
(泣いている暇はない。……この薬を、浄水プラントへ!)
私の頬には涙が乾いた跡があったが、足は止めなかった。 彼女たちの「意地」を、無駄にするわけにはいかない。
◇
【地下帝国・第1浄水プラント】
「急いで! 毒が回る前に!」
私は食卓の騎士団と共に、プラントの中枢へ飛び込んだ。 だが、ろ過装置の前には、異様な巨影が立ちはだかっていた。
「ピー、ガガッ。……生体反応多数。排除プロセスを開始」
それは、全身を重厚な機械装甲で覆った、身長3メートルを超える鋼鉄の魔人だった。 新魔王軍四天王・機甲のアイゼン。 彼の背中からは蒸気が噴き出し、右腕は巨大なパイルバンカーに変形している。
「ここは通行止めだ。……おや? その小瓶は解毒剤か。無駄なことを」
アイゼンが無機質な声で告げる。
「このプラントの制御権は我々が掌握した。貴様らが何をしようと、毒の散布は止まらない」
「止めさせるわ。……この薬は、二人の大臣の命そのものなのよ!」
私はアタッシュケースから、ネット大臣が開発した「対装甲ハッキング・デバイス」を取り出した。
「騎士団! 彼の動きを止めて! 私がシステムを取り返す時間を稼ぐ!」
「イエス・マム!!」
アーサーとランスロットが左右に展開する。
「邪魔だ、鉄クズ!」 アーサーが斬りかかるが、アイゼンの装甲は魔法障壁でコーティングされていた。 カィィン! 剣が弾かれる。
「硬い……! 物理も魔法も通じない!?」
「ククク。旧式のアナログ攻撃など効かん。消えろ」
ドォォォン!! アイゼンのパイルバンカーが炸裂する。 衝撃波だけでガラハッドの盾がひしゃげ、騎士たちが吹き飛ばされる。 圧倒的な火力と防御力。これが新魔王軍の技術力か。
「……チェックメイトだ」
アイゼンが私に照準を合わせる。 だが、その時。
『――させるかよ、ポンコツOSが!』
私の通信機から、科学技術大臣ネットの声が響いた。 同時に、プラント内の照明が一斉に赤く明滅し、アイゼンの動作がカクついた。
「な、なんだ……!? 処理落ち(ラグ)……!?」
『へへっ! アイツらの弔い合戦だ! 僕の特製ウイルス【超重量級スパム】を食らえ!』
ネットが遠隔で電子戦を仕掛けたのだ。 アイゼンの動きが鈍る。
「システム……エラー……! 貴様ら、ハッキングを……!?」
「今よ、アーサー! 装甲の隙間、動力炉を狙って!」
「了解!!」
アーサーがネクタイを外し、全魔力を剣に込める。 亡き大臣たちの無念と、社畜の怒りを乗せた一撃。
「お客様! ……当社のインフラを汚すことは、規約違反ですッ!!」
《社畜剣技・強制初期化》!!
ズドォォォォン!! アーサーの剣が、動作の止まったアイゼンの胸部装甲を貫き、内部の動力炉を粉砕した。
「ガ、アァァァァッ!? 動力……停止……! 臨界点……突破……!」
アイゼンの巨体から黒煙が噴き出し、激しいスパークが走る。 勝った。誰もがそう思った。
「……見事だ、人間。まさか、ハードウェアごと破壊されるとはな」
崩れ落ちるアイゼンの体内から、不気味な声が響く。
「だが、この【ボディ】は所詮ただの器。……我の本質は、データそのものだ!」
シュバッ!!
爆発寸前のアイゼンの首が、突如として胴体から分離した。 そして、首の底面から青いバーニア炎が噴射され、ロケットのように垂直上昇したのだ。
「なっ……!? 首が飛んだ!?」
「緊急脱出。……貴様らの戦力データは頂いた。この借りは、必ず返すぞ!」
アイゼンの首(頭部ユニット)が、空中で変形し、飛行形態となる。 その技術力は、魔法ファンタジーの域を完全に逸脱していた。
「待て! 逃がすかぁ!」
ランスロットが跳躍するが、アイゼンの首はマッハの速度で加速し、排気ダクトの中へと消えていった。 致命傷を与えたはずが、常識外れのテクノロジーで逃げられたのだ。
「……速すぎる。あんな推進システム、見たことないわ」
私は歯噛みしたが、すぐに気持ちを切り替えた。 今は、逃げた敵より目の前の使命だ。
私は制御パネルに駆け寄り、ろ過装置の投入口を開けた。 カルテとイチヨウの想いが詰まった小瓶。その蓋を開け、中身を注ぎ込む。
「お願い……届いて!」
青い液体が水流に混ざり、浄水システム全体へと拡散していく。 数秒後、モニターの数値が【水質汚染:危険】から【安全】へと切り替わった。
『……確認したよ。毒素の中和、完了だ』
ネットの声が震えていた。 その場にいた全員が、その場に崩れ落ちるように安堵した。
守れた。 水源は、彼女たちの命と引き換えに守られたのだ。
「……帰りましょう」




