第68話 病室の暗殺者と、剥がされた仮面
地下帝国の水源が「腐敗毒」に汚染されて数日。 厚生労働省の集中治療室は、野戦病院のような有様だった。
「水が……水が飲みたい……」 「体が熱い……助けてくれぇ……」
毒に侵された住民たちの呻き声が響く。 カルテ大臣は、不眠不休で解毒剤の研究を続けていたが、その顔色は絶望に染まっていた。
「……ダメね。既存の術式じゃ中和できない。この毒、魔王クラスの呪いが混ざってるわ」
彼女は、ベッドで昏睡状態にあるイチヨウ大臣を見つめた。 イチヨウの容態も悪化している。このままでは、毒が回って完全に息の根が止まる。
「……っ。私がもっと優秀な医者なら……!」
カルテが悔しそうに唇を噛んだ時、病室の扉が静かに開いた。
「……失礼します、カルテ大臣」
入ってきたのは、先日新たに採用されたばかりの新人衛生兵、**「ヨルド」**という青年だった。 真面目そうな顔立ちで、キビキビと働く彼は、人手不足の現場で重宝されていた。
「ヨルド? どうしたの、こんな時間に」
「はい。……イチヨウ大臣の容態が急変したと聞いて。新しい薬剤をお持ちしました」
ヨルドは恭しくトレーを差し出した。 そこには、見たこともない黒い液体が入った注射器があった。
「これは……?」
「地上から極秘に入手した『特効薬』です。……これを投与すれば、イチヨウ様も助かるかもしれません」
ヨルドの瞳が、怪しく光った気がした。
「……ありがとう。私が打つわ」
カルテが注射器を受け取ろうとした、その瞬間。
――ザシュッ!!
鋭利な刃物が空気を切り裂く音。 カルテの手が止まる。 ヨルドの腹部から、真っ赤な鮮血が噴き出していた。
「……が、はっ……!?」
ヨルドが崩れ落ちる。 その背後に立っていたのは、昏睡状態のはずのイチヨウ大臣だった。 彼女はベッドから起き上がり、隠し持っていた短刀で、ヨルドの背後から一突きにしたのだ。
「イチヨウ様!? なぜ……!」 カルテが驚愕する。
イチヨウは喀血しながら、ヨルドの胸ぐらを掴み上げた。
「……阿呆が。ウチの目は節穴ちゃうぞ」
彼女の片眼鏡が冷たく光る。
「あんたが持って来たその薬……『特効薬』やない。**『即死毒』**やろ」
「なっ……!? バレて……!」
「ウチは金庫番や。……贋金の臭いには敏感なんや」
イチヨウが短刀を引き抜くと、ヨルドの体が痙攣を始めた。 そして、信じられない光景が繰り広げられた。
ボコボコッ……! ヨルドの皮膚が剥がれ落ち、中から漆黒の鱗と、醜悪な魔物の顔が現れたのだ。
「グギギ……! 人間風情がぁぁッ!!」
「やっぱりな。……あんた、魔族のスパイやろ」
イチヨウが吐き捨てる。
「ククク……! 見破ったことは褒めてやる!」
正体を現した魔族が、病室の中で巨大化する。 その姿は、かつて地上を恐怖に陥れた**《新魔王軍・四天王》の一角、【変幻のザイード】**。
「俺の任務は、裏国家の幹部を内部から始末することだ! まずは貴様から死ねぇぇ!」
ザイードが鋭い爪を振り上げる。 瀕死のイチヨウに、避ける力は残っていない。
「……チッ。ここまでか」
イチヨウが覚悟を決めて目を閉じた、その時。
ドォォォォンッ!!
病室の壁が粉砕され、瓦礫と共に黒い影が飛び込んできた。
「――患者に手を出すな、害虫がッ!!」
白衣を翻し、両手に巨大なメス(解体用)を構えたカルテ大臣が、ザイードの腕を切り落とした。
「ギャァァァッ!? き、貴様! 医者だろうが!」
「ええ、医者よ。……だからこそ、病原菌は徹底的に駆除するわ!」
カルテの目が、マッドサイエンティストの狂気に染まる。
「イチヨウ! あんたは寝てなさい! ……こいつの相手は私がする!」
「……フン。借りやで、ヤブ医者」




