第64話 崩落する親方と、血と泥の防衛ライン
「緊急事態だ。……地上の『新魔王軍』が、我が国の地下ゲートへ侵攻を開始した」
官房長官サキョウの声が、指令室に響く。 モニターには、地下への入り口に殺到する、漆黒の鎧を纏った魔族の大軍勢が映し出されていた。
「敵の指揮官は、魔王族**《鮮血のヴァーミリオン》**。……旧魔王軍とは比較にならん精鋭だ」
「数は?」 私が問うと、スカーレットが煙管を噛みながら答えた。
「先遣隊だけで3,000。対するこちらの防衛部隊は、新人の騎士団と、急造のゴーレム部隊のみ。……抜かれるわよ」
「抜かせはせん」
重苦しい声と共に、財務大臣イチヨウが、分厚いジェラルミンケースをテーブルに叩きつけた。
「これが今回の防衛予算(軍資金)どす。……全額、使い切りなはれ」
「イチヨウ大臣、その顔色は……」
私は息を呑んだ。彼女の着物の袖口は、隠しきれないほどの吐血で黒く染まっていた。 彼女の背負う「黄金の算盤」が、以前より輝きを失っている。自身の生命力を魔力(予算)に変換しすぎているのだ。
「……気にせんといて。ウチは金庫番や。金庫が空になるまでが仕事どす」
彼女は震える手で茶を啜り、私から視線を逸らした。 死期が近い。……誰の目にも明らかだった。
「……感謝します。必ず、無駄にはしません」
私はケースを掴み、現場へと走った。
◇
【地下帝国・第1防衛ライン(入り口トンネル)】
「オラァッ! 杭を打てぇ! 敵が来るぞ!!」
ドワーフのガンテツ大臣の怒号が轟いていた。 彼は、崩落しかけたトンネルの天井を支えるため、自ら重機のように動き回っていた。
「親方! もう限界だ! コンクリが乾いてねえ!」 イグニスが叫ぶ。
「魔法で乾かせ! ……来るぞ!!」
ズズズズ……ッ! トンネルの向こうから、赤いオーラを纏った魔族の集団が現れた。 先頭に立つのは、真紅の貴族服を着た男――鮮血のヴァーミリオン。
「フン。ここがネズミの巣か。……汚らわしい」
ヴァーミリオンが指を振るう。 それだけで、真空の刃が飛び、設置したばかりのバリケードが紙屑のように切断された。
「ひっ……!? つ、強すぎる!」 「旧魔王軍とはレベルが違うぞ!」
作業員たちが恐慌状態になる。 イグニスたち元四天王が応戦しようとするが、建設作業で魔力を使い果たしており、膝をつく。
「消えろ、労働者ども」
ヴァーミリオンが掌をかざす。 巨大な血の球体――**《ブラッド・ノヴァ》**が生成される。 直撃すれば、トンネルごと防衛ラインが消滅し、背後の居住区まで火の海になる。
「しまっ……逃げろォォォッ!!」 イグニスが叫ぶ。
だが、間に合わない。 破滅の光が放たれた、その瞬間だった。
「――現場を、ナメんじゃねえぞッ!!」
ドゴォォォォォン!!
爆音と共に、巨大な岩盤が落下し、血の球体を受け止めた。 いや、岩盤ではない。 それは、自らの肉体を鋼鉄の壁へと変貌させた、ガンテツ大臣その人だった。
「お、親方!?」
「グググ……ッ! 重てぇな、エリート様の攻撃はよぉ……!」
ガンテツは、全身から血を噴き出しながらも、仁王立ちで攻撃を受け止めていた。 彼の固有能力**《人柱》**。 自らの命を建材として捧げることで、物理法則を超越した絶対強度の壁を作り出す、土木系最期の奥義。
「親方! 何やってんだ! それを使ったらあんたは……!」 アースが悲鳴を上げる。
「へっ……。言っただろ? 俺の命は、図面の線一本より安いってな」
ガンテツの身体が、足元から徐々に石化していく。 彼は、背後にいるイグニスたち、そしてその奥にいる地下帝国の住民たちを背中で守りながら、ニカっと笑った。
「イグニス、アース、アクア、ウィンド。……お前ら、いい職人になったな」
「親方……やめろ、やめてくれぇぇ!!」
「このトンネルは……俺が『栓』になる。……あとは、頼んだぞ」
ガンテツは、ヴァーミリオンを睨みつけた。
「ここから先は……通行止めだァァァッ!!」
ガギィンッ!!!!
ガンテツの咆哮と共に、彼の全身が完全に鋼鉄の岩盤となり、トンネルの入り口を完全に塞いだ。 ヴァーミリオンの魔法が弾かれ、崩落する瓦礫がガンテツ(壁)と一体化して、難攻不落の要塞壁が完成する。
シーン……。
戦場に静寂が戻る。 そこには、巨大なドワーフの形をした「壁」だけが、無言で立ちはだかっていた。
「お……親方ァァァァァァッ!!!」
イグニスたちの絶叫が響く。 国土交通大臣・ガンテツ。殉職。 享年158歳。 彼はその身を捧げ、地下帝国への侵入ルートを物理的に遮断したのだ。
◇
【裏国家本部・指令室】
モニター越しにその光景を見ていた私は、拳を握りしめすぎて爪が食い込んでいた。 隣では、イチヨウ大臣が目を閉じ、静かに手を合わせていた。
「……アホな男や。もっとマシな死に方があったろうに」
イチヨウの声は震えていた。 彼女もまた、口元から新たな血を流している。
「……サキョウ長官」 私は、震える声で尋ねた。
「これが……総理のやり方ですか? 幹部を使い捨ての『建材』にするのが」
サキョウは表情を変えなかった。 だが、その握りしめた拳は白くなっていた。
「……我々は『NPC』だ。役割を全うして消えるなら、それは本望だろう」
「ふざけないでッ!!」
私は机を叩いた。
「彼らには心があった! 魂があった! ……あんなの、ただの『処理』じゃない!」
「ならば、どうする?」
サキョウが冷徹な眼差しを私に向けた。
「泣いている暇があるなら、彼が命懸けで作った時間を無駄にするな。……敵はまだ外にいる。そして、イチヨウの命も、そう長くは持たんぞ」
私はハッとしてイチヨウを見た。 彼女は、ガンテツの死を悲しむ間もなく、次の防衛予算(自分の寿命)を計算し始めていた。
「……くっ」
私は涙を拭った。 今は怒っている場合じゃない。ガンテツ親方が守ってくれたこの場所で、次の手を打たなければ。
「……イグニスたちに伝令! 親方の作った壁を拠点に、迎撃陣地を構築せよ! ……弔い合戦よ!!」




