第62話 魔のプレゼンテーションと、命を削るトマト
翌朝。財務省の重厚な鉄扉の前には、異様な集団が整列していた。 私、コーデリアを先頭に、食卓の騎士団、そしてボロボロの衣服を纏った50名の亜人たち。
「いいですか、皆さん。これから会うのは、この国で一番『金』にうるさい鉄の女です」
私は亜人のリーダーたち――狼獣人のボルグ、エルフの長老、ドワーフの親方に念を押した。
「ですが、怯む必要はありません。あなたたちには『技術』がある。堂々と振る舞ってください」
「お、おう……。でもよ、本当に人間が俺たちの話を聞くのか?」 ボルグが不安げに尻尾を丸める。
「聞かせます。……物理と論理の両面で」
私はアタッシュケースを開き、分厚いファイルを片手に、鉄扉を蹴り開けた。
「失礼します! **『新規事業計画書』**の提出に参りました!」
◇
執務室の空気は、昨日以上に凍てついていた。 財務大臣イチヨウは、咳き込みながら書類の山と格闘していた。彼女の顔色は土気色で、机の上には半分残したカップ麺が冷え切っている。
「……またあんたか。今日は何の用どす?」
イチヨウは顔も上げずに言った。
「本日は、我が国の慢性的なリソース不足を解決する、画期的なソリューションをお持ちしました」
私は合図を送る。 ぞろぞろと入室してくる亜人たちを見て、イチヨウの手が止まった。
「……汚い恰好やな。廃棄区画の不法占拠者どすか? 排除命令を出したはずやけど」
チャキリ。 彼女が背負った黄金の算盤が変形し、戦闘態勢に入る。 ボルグたちが殺気に当てられ、「ひっ」と後ずさる。
「排除? とんでもない。彼らは本日付けで私が採用した**『高度専門職』**です」
私は一歩前に出て、イチヨウの視線を遮った。
「彼らを正規雇用し、各省庁に配属することで、我が国の生産性は劇的に向上します。つきましては、彼ら50名分の**『人件費』と『設備投資予算』**を承認してください」
「……寝言は寝て言え」
イチヨウの目が冷たく光る。
「どこの馬の骨とも知れん連中に払う金はない。それに、異種族を入れたら現場が混乱する。……リスク管理もできんのか、新人は」
「リスク? いいえ、これは**『先行投資』**です」
私は不敵に笑い、エルフの長老に目配せをした。
「長老。……見せてあげて」
「う、うむ」
エルフの長老がおずおずと前に進み、イチヨウのデスクの上に「枯れた観葉植物」の鉢植えがあるのを見つけた。 彼はその鉢に手をかざし、静かに詠唱する。
《精霊魔法・豊穣の息吹》
ボウッ! 枯れていた植物が一瞬で緑を取り戻し、さらには真っ赤な実――トマトのような果実をたわわに実らせた。 部屋の中に、瑞々しい土と野菜の香りが広がる。
「な……っ!?」
イチヨウが目を見開く。 地下帝国では、新鮮な野菜は金以上の価値がある。太陽がないため、魔法による育成しか手段がないが、それには莫大な魔力コストがかかるからだ。
「彼らエルフ族の魔法を使えば、地下農場の生産効率は300%向上します。……そして、これだけではありません」
次はドワーフの親方だ。 彼はイチヨウの背後にある、故障して火花を散らしている空調魔導具に近づいた。
「ふん。配線がイカれてやがる。……貸してみな」
ドワーフは工具も使わず、バン! と魔導具を叩き、素手で配線を繋ぎ直した。 ブゥゥゥン……。 異音を立てていた空調が、静かで滑らかな稼働音を取り戻す。
「科学技術省のネット大臣に修理を頼めば、高額な技術料を請求されますが……彼らなら、現場の廃材だけで直せます」
最後に、獣人のボルグ。 彼は部屋の隅に山積みになっていた「未処理の伝票」の山(高さ2メートル)を一瞬で持ち上げた。
「俺たちの脚力なら、このビルの最上階から地下最下層まで、5分で荷物を運べるぜ」
「物流コストの削減、および業務効率化」
私は畳みかけるように、イチヨウの目の前に「試算表」を叩きつけた。
「彼らを雇えば、初年度だけで金貨5,000枚のコストカットが見込めます。対して、彼らの人件費は金貨500枚。……差し引き4,500枚の黒字です」
私は机に手をつき、イチヨウの顔を覗き込んだ。
「どうですか、財務大臣? この『金の卵』をみすみす逃しますか?」
イチヨウはしばらく沈黙していた。 彼女は震える手で、エルフが実らせたトマトを一つもぎ取り、口へと運んだ。
シャクッ。
瑞々しい音。 口いっぱいに広がる甘味と、凝縮されたマナ。 それは、カップ麺とサプリメントで命を繋いでいた彼女にとって、劇薬のような生命の味だった。
「…………」
イチヨウの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。 彼女は慌ててそれを拭い、片眼鏡を直した。
「……美味いな」
「ええ。彼らが丹精込めて育てた命ですから」
「……分かった」
イチヨウは懐から決裁印を取り出した。 そして、私の提出した「新規事業計画書」に、力強く、バンッ! と捺印した。
「承認したる。……ただし!」
彼女は鋭い目で私を射抜いた。
「彼らの管理責任者はあんたや。もし問題を起こしたら、あんたの首を飛ばす。……それと」
彼女はトマトをもう一つもぎ取り、愛おしそうに眺めた。
「このトマト……毎日、私のデスクに届けること。……これが条件や」
「契約成立ですね」
私はニヤリと笑った。 この鉄の女も、やはり飢えていたのだ。本物の「生」に。
◇
「よし! 全員、仕事にかかれ!」
予算を獲得した私たちは、直ちに行動を開始した。
【国土交通省・第1土木課】
「おう、新入りか! 使えるんだろうな?」
ガンテツ大臣の現場に、ドワーフ族と元四天王が並ぶ。 最初は睨み合っていたが、作業が始まると空気が変わった。
「おい炎の兄ちゃん! そこ溶接頼む!」 「おうよ! 任せろ!」 「へへっ、いい腕だ! 気に入ったぜ!」
土木魔法のプロである元四天王と、精密加工のプロであるドワーフ族。 両者の技術が噛み合い、トンネル工事の進捗は爆発的に加速した。
【厚生労働省・衛生管理課】
「まあ♡ 珍しい身体構造ね」
カルテ大臣は、獣人たちのしなやかな筋肉を見て目を輝かせていたが、彼らがテキパキと医療物資を搬送する姿を見て、考えを改めたようだ。
「解剖するのは後回しにしてあげる。……あなたたちのおかげで、薬品の在庫管理が楽になったわ」
【第99区画・新区画】
エルフたちは、広大な地下空洞を「農場」へと変貌させていた。 キノコの光に照らされた緑の畑。 そこで採れた野菜は、食糧難にあえぐ地下帝国の住民たちに配給され、皆に笑顔が戻りつつあった。
◇
数日後。 私は、寮の自室で「給与明細」を確認していた。
【支給額:金貨5枚(約50,000円)】
「……ふぅ。まだ少ないけど、銀貨3枚よりはマシね」
手取りが増えた。 それは、私が勝ち取った「役職手当(人事部長代行)」と、各省庁からの「業務改善ボーナス」のおかげだ。
「係長! 見てください!」
アーサーが興奮して部屋に入ってきた。 彼の手には、ドワーフたちが打った新品の剣と、エルフたちが織った強化繊維のローブが握られていた。
「装備が更新されました! これで、本来のスペックの30%くらいは出せそうです!」
「よかったわね。……でも、油断しないで」
私は窓の外、活気づく地下帝国の街並みを見下ろした。
「組織が大きくなれば、必ず『歪み』が生まれる。……そして、それを面白く思わない連中も出てくるわ」
私の予感は的中していた。 ビルの最上階、総理の執務室のさらに奥。 そこでは、私たちの急速な勢力拡大を冷ややかに見つめる「影」が動き出していたのだ。
「……調子に乗るなよ、新人」
モニター越しに呟く、フードを被った男――科学技術大臣ネット。 彼の指が、キーボードに「排除プログラム」を打ち込んでいた。




