第60話 血飛沫舞う予算委員会と、絶望の給与明細
「失礼します。――『カチコミ』に参りました」
財務省の重厚な鉄扉を、アーサーが蹴り破る。 土煙と共に私たちが踏み込んだのは、壁一面が金庫で埋め尽くされた要塞のような執務室だった。
部屋の中央、書類の山の上に鎮座するのは、財務大臣イチヨウ。 彼女は背負っていた巨大な「黄金の算盤」を床に突き立て、冷ややかな殺気を放っていた。
「……何用どす? アポ無しの訪問者は、即時『損金処理(排除)』することになっとるんやけど」
「経理課のコーデリアです。騎士団の食費増額申請……すなわち**【ステーキ代】**の決裁をいただきに来ました」
私はアタッシュケースを盾のように構え、申請書を突き出す。 イチヨウの片眼鏡がキラリと光った。
「却下どす」
彼女の指が、算盤の珠を弾く。 パチンッ!!
その乾いた音は、銃声だった。 弾かれた算盤の珠が、音速を超える散弾となって私たちに降り注ぐ。
「伏せろッ!!」
ガラハッドが大盾を展開する。 ガガガガガガッ!! 重機関銃のような衝撃音。盾の表面が削れ、火花が散る。たかが算盤の珠一つ一つが、徹甲弾並みの威力を帯びている。
「なっ……!? これが予算審議か!?」 ランスロットが悲鳴を上げる。
「ウチの国に余分な金はあらへん! 欲しけりゃ力尽くで奪ってみなはれ! ――**『予算執行・自動防衛システム』**起動!」
イチヨウが算盤を振り下ろすと、床のタイルが捲れ上がり、無数の**【金庫型ゴーレム】**が出現した。 鋼鉄のボディに「赤字」「削減」とペイントされた殺戮兵器たちだ。
「総員、戦闘開始! 予算をもぎ取れ!!」
私の号令と共に、狭い執務室が戦場と化した。
「邪魔だあぁぁッ!!」 アーサーがネクタイを剣に変え、金庫ゴーレムを一刀両断する。 断面から溢れ出るのはオイルではなく、シュレッダーにかけられた紙幣クズ。
「速さなら負けません!」 ランスロットが壁を蹴り、弾幕のように飛来する算盤の珠を回避しながら肉薄する。 双剣がイチヨウの喉元へ迫る――が。
「遅い」
ガギィン!! イチヨウは巨大な算盤を軽々と振り回し、ランスロットの一撃を受け止めた。 か細い腕のどこにそんな怪力があるのか。彼女はそのまま算盤を回転させ、遠心力でランスロットを壁に叩きつけた。
「ぐはっ……!?」
「ウチはな、毎日『国家破綻』という名の怪物と戦っとるんや! 現場上がりの新人が、舐めた口きかんといて!」
イチヨウの咆哮と共に、黄金の算盤が変形する。 枠が外れ、中の桁が蛇腹剣のように伸び、鞭となって部屋中を薙ぎ払う。
《財務奥義・緊縮財政ウィップ》
ヒュオオオオッ! 鋼鉄の鞭が、机を、本棚を、そしてガラハッドの盾さえも切り裂いていく。
「くっ、重い……! これが『増税』の重みか……!」 ガラハッドが膝をつく。
圧倒的だった。 彼女はただの事務屋ではない。金を、数字を、物理的な質量兵器に変えて戦う、歴戦の武人だ。
「終わりや。あんたらごときに払う金(命)はない!」
イチヨウがトドメの一撃を振り上げる。 その隙を、私は待っていた。
「今よ! トリスタン(ネクタイ)!」
私はアーサーの胸元からネクタイを引き抜き、イチヨウの懐へと特攻した。 彼女の鞭が私の頬をかすめ、血が飛ぶ。 だが、止まらない。私は元PMとして、数々の修羅場を「強引な突破」で乗り越えてきた。
「なっ……!?」
イチヨウが驚愕に目を見開く。 私は彼女の目の前まで滑り込み、武器の代わりに**「一冊の黒いファイル」**を、彼女の算盤の隙間にねじ込んだ。
「――御社の『闇』、見つけましたよ!!」
バヂヂヂッ!! ファイルが挟まり、変形しかけていた算盤が機能不全を起こして火花を散らす。
「こ、これは……!?」
イチヨウが動きを止める。 挟まったファイルの表紙には、私が徹夜でハッキング(ネット大臣のサーバー経由)して集めた証拠が記されていた。
【他大臣による経費横領・不正流用リスト(証拠写真付き)】
「スカーレットのホスト通い、ネットのフィギュア爆買い……。これを総理に提出して、彼らの予算を凍結すれば、私たちの食費くらい捻出できるはずです!」
私は息を切らしながら、イチヨウを睨みつけた。
「どうしますか、大臣? 私を殺してこの証拠ごと揉み消しますか? それとも……この『正義のコストカット』を受け入れますか!」
一瞬の静寂。 部屋には、破壊されたゴーレムの残骸と、荒い息遣いだけが響く。
イチヨウは震える手でファイルを抜き取り、中身を一瞥した。 そして――狂ったように高笑いした。
「アハハ……! アハハハハハ!」
彼女は算盤を元の形に戻し、背負い直した。
「おもろい。……まさか、物理攻撃やなくて『内部告発』という武器で殴り込んでくるとはな」
彼女は懐から決裁印を取り出し、私の出した血まみれの申請書に、バンッ! と叩きつけた。
「承認したる。……その度胸に免じてな」
◇
その夜。 社員寮の食堂は、肉の焼ける匂いと歓声に包まれていた。
「うおおお! 肉だ! レアだ!」 「生き返る……! 経理課万歳!」
ボロボロになった騎士たちが、涙を流してステーキにかぶりついている。 実力行使で勝ち取った肉の味は格別だった。 私も包帯だらけの身体でワインを啜り、勝利の余韻に浸っていた。
そこへ、サキョウ長官の部下が封筒を持って現れた。
「新人諸君。今月分の【給与明細】だ。精々励むように」
「おお! 初任給!」 「あれだけの激戦を潜り抜けたんだ、さぞかし弾んでいるはずだ!」
騎士たちが色めき立つ。 今日は命がけだった。危険手当もついているはずだ。 私は期待に震える手で封筒を開封した。
【支給額:銀貨3枚(約3,000円)】
「…………は?」
時が止まった。 見間違いではない。ステーキ一枚分にも満たない小銭。 震える目で内訳(控除項目)を確認する。
【基本給:金貨10枚】 (よし、ここまではいい)
【控除項目】 ・寮費・光熱費:-金貨3枚 ・制服・装備レンタル代:-金貨2枚 ・裏国家共済組合費:-金貨1枚 ・総理への忠誠税:-金貨2枚 ・地下空気清浄税:-金貨1枚 ・財務省・器物破損弁償代:-金貨1枚(New!)
【差引支給額:銀貨3枚】
「……っ、ふ……」
プツン。 私の中で何かが切れた。
「ふざけるなぁぁぁぁッ!!」
私が叫ぶと同時に、隣でアーサーが泡を吹いて気絶した。 ランスロットは明細を握りしめたまま、彫像のように固まっている。
「き、器物破損って……あれは正当防衛だろ!?」 「手取りが……子供のお小遣い以下……」
ガラハッドが眼鏡を光らせ、絶望的な声で呟く。
「……これが、この国のシステムです。衣食住を与え、命がけで働かせ、その対価を『税』と『経費』で回収する。……我々は、死ぬまで搾取される永久機関(電池)にされたのです」
食堂の熱気が、一瞬で極寒の絶望へと変わる。 ステーキの味が、砂の味になった。
私は銀貨3枚を握りしめ、血が出るほど唇を噛んだ。
「……上等じゃない」
私の目に、戦いの炎が宿る。
「イチヨウ……サキョウ……そして葛城総理! こんなふざけた給与体系、私がぶっ壊してやる!」
「係長……! やりましょう、ストライキを!」 「いや、まずは【労働組合】の結成だ! 武装蜂起も辞さない構えで!」
怒れる社畜たち。 私たちの戦う相手は、魔物から「会社の搾取システム」へとシフトした。 まずは出世だ。出世して権力を握り、給与規定を書き換える。 そうでなければ、私たちは一生、この地下で3000円のために命を削り続ける運命なのだから。




