第58話 血塗られた決算書と
配属初日。 私たちはバラバラの部署に飛ばされ、即座に「裏国家の洗礼」を浴びることになった。
【財務省・経理課】
「却下どす」
薄暗い執務室。 財務大臣イチヨウが、私が提出した申請書をゴミ箱へ放り投げた。
「なっ……! 必要な経費です! 騎士たちの装備はボロボロ、今のままでは任務に支障が出ます!」
私は食い下がったが、イチヨウは冷たく言い放つ。 「甘いこと言わんといて。……今のウチの国に、そんな余分な金はあらへん」
彼女は立ち上がり、壁一面に貼られた巨大な「国家予算グラフ」を指した。 そこには、異常な数値が示されていた。
【エネルギー備蓄費:80%】 【その他(人件費・インフラ等):20%】
「……これは?」
「総理の至上命令どす。『あっち(現実)』へ行くための莫大なエネルギーを確保するため、他の予算は極限まで削られとる」
イチヨウは、着物の袖口を押さえて、コン、コン、と咳き込んだ。 その手には、微かに血が滲んだハンカチが握られていたが、彼女はそれを素早く隠した。
「ウチの仕事はな、国民から搾り取ることやない。……総理の無茶な計画と、国の破綻の間で、ギリギリの帳尻を合わせることなんや。……そのためなら、ウチの命なんぞ安いもんえ」
彼女の顔色は、蝋のように白い。 この人は、自らの生命力すらも「コスト」として削り、この破綻寸前の国家財政を支えている。
「……分かりました。では、別案を出します」 私は食費だけをどうにか勝ち取って、逃げるように執務室を出た。彼女の「覚悟」が重すぎたからだ。
◇
【国土交通省・第1土木課】
「おいコラァ! 手が止まってんぞイグニスぅ!!」
地下深層、灼熱の現場。 ドワーフのガンテツ大臣の怒号が響く。
「あ、熱ぃぃぃ! 無理だ! 俺は炎属性だけど、マグマの中を泳ぐのは専門外だ!」
イグニスたち元四天王は、文字通り「人柱」になってトンネルを支えていた。 ガンテツは自らもツルハシを振るい、崩落する岩盤を背中で受け止めている。
「お、親方!? 死んじまうぞ!」
「へっ……。現場で死ねりゃ本望よ。……このトンネルが完成すれば、総理の悲願(現実侵攻)に一歩近づくんだ! 俺たちの命なんざ、図面の線一本より安いんだからな!」
その壮絶な狂気に当てられ、四天王たちは震え上がった。 「クソッ! やるしかねえ!」 彼らは必死で穴を掘った。このイカれた上司を死なせないために。
◇
【厚生労働省・衛生管理課】
「うふふふ……♡ 素晴らしいデータだわ」
保健室という名の拷問部屋。 白衣の美女、カルテ大臣は、拘束されたアーサーの腕に極太の注射針を突き立てていた。
「ぐ、うぅぅ……ッ!!」 アーサーが脂汗を流して耐える。
「この『強化剤プロトタイプ・アビス』……普通なら即死する猛毒なのに、あなたたちは適応している。やっぱり、異世界(外部)のデータ構造は頑丈ね」
カルテは恍惚とした表情で、注射器の中身を押し切った。 彼女の目の下には、何日寝ていないのか分からないほどの濃いクマがある。
「カルテ様……。なぜ、そこまで急ぐのですか?」
ランスロットが息も絶え絶えに尋ねる。 カルテの手が、一瞬止まった。
「……時間がないのよ」
彼女は、部屋の奥にあるモニターを一瞥した。そこには、治療カプセルで眠るゼクス、エルモ、ルミのバイタルデータが表示されていた。
「あの人たちの『呪い』は進行している。……総理の計画が完成する前に治療法を見つけないと、彼らは『廃棄』されてしまう」
カルテは唇を噛み切り、血を滲ませた。
「そのためなら……あなたたち新人の何人かが壊れても、安い代償だと思わない?」
その目は、狂気に染まっていたが、同時に深い悲しみを湛えていた。
◇
業務終了後。 私たちは泥のように疲れ切り、サキョウ長官に呼び出されていた。 通されたのは、本部ビルの最上階。
「……どうだ、我が国の『現場』は」
革張りの回転椅子に座っていたのは、サキョウだった。 彼は眼鏡の位置を直し、私たちを見据えた。
「狂っていると思いましたか? ……だが、これが総理の望む『進捗』だ」
サキョウは立ち上がり、窓の外――広がり続ける地下帝国の夜景を見下ろした。
「我々は知っている。総理が『外側の世界』の住人であり、この世界を終わらせようとしていることを」
「……っ!?」
私は息を呑んだ。 総理は「内緒にしておけ」と言っていたが、彼ら幹部(AI)は薄々気づいていたのだ。 自分たちが、使い捨ての駒であることを。
「それでも、我々は従う。……たとえこの身が燃料となり、燃え尽きようとも。総理の夢を叶えることが、我々『NPC』に与えられた唯一の存在意義なのだから」
サキョウの言葉に、迷いはなかった。 イチヨウも、ガンテツも、カルテも。 全員が「破滅」に向かって、全速力で走っている。
(……馬鹿な人たち)
私は拳を握りしめた。 総理の計画は、もっと残酷だ。彼らの忠誠心すら利用して、最後は切り捨てるつもりなのだ。
「明日からも励みたまえ。……死なない程度にな」
サキョウは冷たく言い放ち、私たちを退出させた。 扉が閉まる瞬間、彼が総理のいない空席に向かって、深く一礼しているのが見えた。
「……やれやれ。休暇どころか、とんでもない泥船に乗せられた気分だ」 アーサーが、注射された腕をさすりながら呟く。
「ええ。……でも、降りるわけにはいかないわ」
私は決意した。 このイカれた「社畜帝国」で出世して、彼らの命を燃料にする総理の計画を、内部からひっくり返してやると。
「行きましょう。……まずは、明日のステーキ代(予算)を確保してからね」




