第55話 自宅待機命令と、嵐の前のバケーション
「……負けたわ」
オフィスの中心で、幼女姿のアリスが、悔しそうに唇を噛んでいた。 その隣には、漆黒のスーツを着こなした絶世の美丈夫――真の姿を取り戻した葛城総理が、悠然と立っている。
「約束通り、これからの『世界征服方針』は、わしの案を採用させてもらうぞ。アリス」
「ええ、いいわよ。……あなたの手駒(社畜たち)が、私の作った『無敵』をシステムごと破壊したんだもの。効率より混沌の方が、外の神を殺すには有効だって認めざるを得ないわ」
アリスは不承不承ながらも、葛城の手を取った。 これで決定だ。 この仮想世界から、創造主がいる「真の現実」への侵攻作戦は、葛城総理主導による**『ドロ臭い総力戦』**で行われることになった。
「では、総理。……私たちも直ちに『外』へ?」
私がアタッシュケースを閉じて尋ねると、葛城は首を横に振った。
「いや。まだ早すぎる」
葛城は、オフィスの窓――赤黒い空が広がる外の景色を見やった。
「わしとお主らがいるこの階層は、あくまで外の世界への『玄関口』に過ぎん。ここから神の領域へハッキングを仕掛け、侵攻ルート(バックドア)を構築するには、膨大な時間がかかる」
「つまり……?」
「わしとアリスは、ここに残る」
葛城はステッキで床を叩いた。
「この第13開発室を前線基地(司令部)とし、二人で愛を育みながら……いや、喧嘩しながら、外殻を突き破るためのプログラムを組む。その間、お主らには別の任務を与える」
葛城が指を鳴らすと、私たちの足元に転送陣(エレベーターの光)が現れた。
「任務? またデスマーチですか?」 アーサーが身構える。
「逆じゃ。……**『自宅待機』**じゃよ」
「え?」
「侵攻ルートが完成するその時まで、お主らは地下に戻り、英気を養っておけ。……要するに、**無期限の有給休暇**じゃ」
その言葉に、食卓の騎士たちが「ゆ、有給……!?」と震え上がった。彼らにとって、それは伝説上の概念でしかなかったからだ。
「地下での生活環境は保証する。あのホテルも、温泉も、カレーも、好きに使っていい。……その代わり」
葛城の目が、鋭く光った。
「わしが『GO』を出した時は、地獄の底から這い上がり、神の喉笛を食いちぎる『ウィルス』となれ。……よいな?」
それは、恐ろしくも甘美な命令だった。 戦いの時まで、存分にスローライフを謳歌せよ、というのだから。
「……承知いたしました(イエス・ボス)」
私が深く頭を下げると、アリスが少しだけ頬を染めて、そっぽを向いた。
「勘違いしないでよね。……あなたたちを休ませるのは、最高のパフォーマンスを出させるためのメンテナンスなんだから。……精々、美味しいものでも食べて、太っておきなさい」
「ありがとうございます、代表」
私が微笑むと、アリスは「ちゃん付けするな!」と怒ったが、その表情は以前のような冷酷なものではなかった。
ヒュンッ。
光が収束する。 私たちは、司令部となるオフィスに残る二人――に見送られ、下層へと転送された。
◇
「……戻って、来ましたね」
気がつくと、私たちは「地下帝国」の入り口、あのネオン輝く看板の前に立っていた。
【HOTEL ROUTE-INNホテル ルートイン】
懐かしい、出汁の匂いと、空調の音がする。 四天王(アイテム扱いから解放された)たちは、「おえぇ……酷い目にあった……」と地面に這いつくばっているが、生きてはいる。
「係長。……我々は、元の世界(真の現実)には帰れませんでした」
ランスロットが、少し寂しげに空を見上げる。 そこにあるのは、岩盤の天井だ。
「ああ。だが……」 アーサーはネクタイを緩め、どこか晴れやかな顔で笑った。
「希望は繋がった。それに、考えてもみろ。……明日から、目覚まし時計をかけずに眠れるんだぞ?」
その一言が、全員の心に染み渡った。 納期はない。仕様変更もない。魔王も倒した。 次なる指令が下るその日まで、ここは私たちだけの楽園だ。
「そうですね。……とりあえず」
私は、ルートインの自動ドアを指差した。
「チェックインしましょうか。今日は、大浴場で足を伸ばして……その後は、祝勝会(宴会)よ!」
「「「イエス・マム!!」」」
歓声が地下帝国に響く。 社畜騎士たちはアタッシュケースを放り投げ、四天王たちも「宴会? 酒あるのか!?」と起き上がり、全員でロビーへと雪崩れ込んでいく。
トリスタンのネクタイが、風もないのに少し揺れた気がした。 彼もまた、データの中で笑っているのかもしれない。
これは、長い戦いのほんの「中休み」。 いつか訪れる「神殺し」の日まで。




