第45話:その宿屋は、全国展開している実家のような安心感
「話し合いはこれで終わりじゃ。今日は色々あって疲れたじゃろう」
葛城総理は、好々爺の顔に戻って箒を手にした。
「今日はもう休みなさい。……そこの角を曲がったところに、わしらが経営する宿屋がある。いつでも利用していいように手配しておいたからの」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
私は深々と頭を下げ、裏国家本部ビルを後にした。 自動ドアを出て、ネオン輝く地下街を歩く。 緊張の糸が切れたのか、背後をついてくる社畜騎士たちから、一斉に重たい音が漏れた。
「…………はぁぁぁぁぁぁ(クソデカ溜息)」
振り返ると、アーサーたちがアスファルトの上に座り込んでいた。
「し、死ぬかと思った……。総理大臣のプレッシャー、半端ないです……」
「俺、緊張しすぎて一言も喋れなかった……。名刺出すタイミング完全に逃した……」
ランスロットが頭を抱え、ガラハッドは胃を押さえている。 そんな中、トリスタン(の遺志を継ぐネクタイを持ったアーサー)が、尊敬の眼差しで私を見上げた。
「それにしても、チーフ……いえ、コーデリア様は凄いです。あの化け物揃いの幹部たちを相手に、一歩も引かずに交渉をまとめるなんて」
「ああ。昔のプレゼンを思い出したよ。……やっぱり、この人は一生ついていくべきリーダーだ」
「買い被りすぎよ。……さあ、行くわよ。宿屋で泥のように眠りなさい」
私は彼らを促し、総理に教えられた角を曲がった。 そこには、緑とオレンジの見慣れた看板が、地下の闇に煌々と輝いていた。
【HOTEL ROUTE-INN】
「……ここ、異世界よね?」
私は目を疑った。 日本全国、どこに行ってもロードサイドにある、あの安心と信頼のビジネスホテル。 まさか地下帝国にチェーン展開していたとは。
「うわぁ……! ルートインだ! 大浴場付きの!」 「朝食バイキング無料だぞ!」
騎士たちが歓声を上げて駆け出す。彼らにとって、ここは城よりも落ち着く「実家」なのだ。
◇
フロントに入ると、そこには人工観葉植物と、コーヒーの無料サービス機、そして新聞コーナーがあった。 完璧だ。完璧に日本のビジネスホテルだ。
「いらっしゃいませ。ご予約のコーデリア様ですね」
フロント係が微笑む。 私はカウンターに置かれた「宿泊者名簿」にペンを走らせた。
【氏名:コーデリア】 【住所:死の森 ログハウス1-1】 【電話番号:なし】
(……懐かしい)
前世、出張のたびに繰り返したこの動作。 住所を書き、前金で支払いを済ませ、薄いカードキーを受け取る。 エレベーターホールのアメニティコーナーで、髭剃りとブラシを取るアーサーたちの手つきも、完全に手慣れたサラリーマンのそれだった。
部屋に入る。 シングルルームの狭さ。シモンズ製ベッドの硬さ。枕元にある照明のスイッチ。 すべてが、私の記憶にある「休息」の形をしていた。
「……はぁ」
私はベッドに倒れ込んだ。 ライオネルさんの指輪をサイドテーブルに置く。
「おやすみなさい、ライオネルさん。……ここは、安全よ」
天井の白いクロスを見上げながら、私は泥のような眠りに落ちていった。 明日からの激戦を前に、この「日常」の空間だけが、唯一の救いだった。
◇
一方その頃。 地上の荒野では、魔王軍四天王(5人)が、絶望の淵に立たされていた。
「ど、どうするんだイグニス……! 騎士団を取り逃がした上に、俺たちも逃げ帰ってきたなんて報告したら……」
「魔王様に消されるぞ! 今度こそ減給どころじゃ済まねえ!」
焚き火を囲む5人の顔は、死人のように暗い。 彼らは路頭に迷っていた。魔王城には帰れない。かといって、人間の街にも行けない。
「……俺、もうバイト辞めたいっす」
闇属性のシャドウが、虚ろな目で呟いた。
「有給も消化しきったし、もうバックレていいすか?」
「バカ野郎! 連帯保証人になってんだぞ! お前が逃げたら俺たちが借金背負うんだよ!」
イグニスが怒鳴った拍子に、シャドウが足を滑らせた。
「あっ」
彼が座っていたのは、古びた枯れ井戸の縁だった。
「うわぁぁぁぁぁぁ――ッ!!」
シャドウの体が、井戸の暗闇へと吸い込まれていく。
「シャドウーーッ!!」 「おい! 大丈夫か!?」
イグニスたちが慌てて井戸を覗き込む。 底は深くて見えない。 だが、微かに風の流れを感じる。
「……おい、何か光が見えないか?」
「まさか、ダンジョンか? ……あいつを助けに行かないと、5人揃わないと『四天王(5人)』のシフトが回らねえ!」
「クソッ! 行くぞ!」
ヤケクソになった四天王たちは、次々と井戸の中へ飛び込んだ。 長い落下の果てに、彼らが辿り着いたのは――。
ドスンッ!
「いってぇ……。ここはどこだ?」
顔を上げたイグニスたちの目に飛び込んできたのは、地下深くに広がる、ネオン輝く摩天楼だった。
「な、なんだこの文明は……!?」 「魔界より都会じゃねーか!」
彼らが落ちたのは、偶然にも裏国家の「繁華街エリア」の路地裏だった。 呆然とする彼らの前に、一人の老人が竹箒を持って通りかかった。
「おや? 空から客人が降ってくるとは珍しい」
葛城総理が、ニコニコと笑って彼らを見上げた。
「……お主ら、職に困っておる顔をしておるな?」
「な、なぜそれを……!?」
「わかるよ。わしは政治家じゃからな。……どうじゃ? 宿と飯は保証する。わしの下で『再就職』せんか?」
悪魔の囁き(ヘッドハンティング)。 行き場を失った四天王たちは、顔を見合わせ……そして、その老人の手を取った。
「「「「「よ、よろしくお願いしますぅぅぅ!!」」」」」
こうして、役者は揃った。




