第41話:そのアイテムは、再会への誓約書(プロミスリング)
気がつくと、私は見知らぬ森の中に倒れていた。 土の匂い。湿った草の感触。 そして、全身を走る激痛。
「……っ、う……」
体を起こそうとして、すぐに崩れ落ちる。 魔力も体力も空っぽだ。 しかし、私はすぐに顔を上げ、周囲を探した。
「ライオネルさん……!?」
少し離れた大樹の根元に、彼はいた。 しかし、その姿を見て、私は息を呑んだ。
彼はもう、人の形を保っていなかった。 青白い光の粒子が、辛うじて人型を象っているだけの、蜃気楼のような存在。 風が吹けば消えてしまいそうなほどに、彼の存在確率は低下していた。
「コーデリア……。無事、だったか」
声も、もう耳には届かない。 脳内に直接響くような、微弱な思念波。
「ライオネルさん! 今、回復魔法を……!」
「無駄だ。……自分のことは、自分が一番よくわかる」
彼は首を横に振った。光の粒子がパラパラと零れ落ちる。
「私のデータは、もう維持できない。……一度、深い眠りにつく必要があるようだ」
「眠りって……消えちゃうの?」
「消えはしない。ただ、少し長い休息だ。……だが、心配するな」
彼は震える手――もう輪郭すら定かではない右手――を、懐へと差し入れた。 そこから取り出されたのは、奇跡的に実体を保っていた、銀色の指輪だった。 中央に青い宝石が埋め込まれた、ベルンシュタイン公爵家の家紋入り指輪。
「これを受け取ってくれ」
「これは……?」
「私の母の形見だ。……いつか、正式に結婚する時に渡そうと思っていたのだが、少し早くなってしまったな」
彼はふわりと笑った。その笑顔だけは、鮮明に私の心に焼き付く。
「この指輪には、私の魂の一部を込めてある。……私が消えても、この指輪がある限り、私は君のそばにいる」
「ライオネルさん……」
「だから、泣かないでくれ。……必ず、戻ってくる。君が作ってくれる美味い飯を食べるために」
私が指輪を受け取ると同時に、彼の体は完全に光の粒子となって弾けた。 キラキラと輝く光は、空へ昇ることなく、私の手の中にある指輪へと吸い込まれていった。
キンッ。
青い宝石が一瞬だけ強く輝き、そして静かになった。 後に残ったのは、冷たい指輪と、静寂だけ。
「……う、ううっ……」
私は指輪を胸に抱きしめ、声を押し殺して泣いた。 負けた。守れなかった。 最強の悪役令嬢なんて嘘だ。私はただの無力な元社畜だ。
「――泣いてる暇があったら、手を動かせよ。チーフ」
頭上から、ぶっきらぼうな声が降ってきた。 木の枝に座っていたのは、眼帯の青年――**タナカ(仮)**だった。
彼は身軽に飛び降りると、私の手の中の指輪を覗き込んだ。
「安心しろ。そいつは死んでねえ。俺が緊急避難用の《圧縮フォルダ(Zip)》化プログラムを組んで、指輪に定着させたんだ」
「……あなたが?」
「ああ。あいつのデータ量、膨大すぎてパンク寸前だったからな。解凍(Unzip)するには、正規の管理者権限を取り戻すしかねえが……ま、消滅は免れた」
タナカはポリポリと頭をかきながら、そっぽを向いた。
「ったく、昔からあんたは詰めが甘いんだよ。重要なプロジェクトの直前に限って無理して、周りをヒヤヒヤさせやがって」
「……昔から?」
「ああ。あのデスマーチの日もそうだったろ? 『私が全部やります』とか言って、3日寝ないでコード書いて……結局、俺が裏でこっそりサポートしてたの、気づいてなかっただろ?」
タナカはニヤリと笑った。 その生意気な笑み。そして、「私が全部抱え込む癖」を知っている口ぶり。 確信に変わる。 彼は、間違いなくあの後輩だ。
「……タナカ、なの?」
「さあな? 俺はただの通りすがりのハッカーだ。名前なんてどうでもいい」
彼は明言を避けた。だが、その眼帯をしていない方の目が、優しく細められたのを見た。
「今は生き延びることだけ考えろ。……この世界を救うのは、あんたの役目だ」
「タナカ……」
ガサガサッ! 茂みが揺れ、そこから3人の影が現れた。 ゼクス、エルモ、そしてルミだ。 彼らもボロボロだが、命に別状はないらしい。
「無事だったか、管理者代理」
ゼクスが槍を杖にして歩み寄る。 エルモは切れたリュートを悲しそうに撫で、ルミは私の顔を見るなり抱きついてきた。
「おねえちゃん! よかった……!」
「みんな……。助けてくれて、ありがとう」
私が礼を言うと、エルモが首を横に振った。
「礼には及ばないよ。僕たちも、ガラハッドという共通の敵に追い詰められた身だ」
エルモは真剣な表情になり、私に手を差し伸べた。
「コーデリアさん。単刀直入に言うよ。……僕たちと一緒に来てほしい」
「どこへ?」
「僕たちのホーム……カミに対抗するための地下組織、**《裏国家》**の本部へ」
ゼクスが言葉を継ぐ。
「ガラハッドは、この世界の法そのものだ。表の世界に君の逃げ場はない。奴の監視網を逃れ、反撃の準備を整えるには、我々の庇護下に入るしかない」
「裏国家……」
私は手の中の指輪を握りしめた。 ライオネルさんは、ここで眠っている。彼を目覚めさせるには、ガラハッドを倒し、世界の管理者権限を奪うしかない。 迷っている時間はない。
「……わかったわ。案内して」
私は立ち上がった。 涙はもう拭いた。 ここからは、潜伏と反逆のターンだ。
「タナカ、あなたも来るでしょ?」
私が振り返ると――そこにはもう、誰もいなかった。 風に揺れる枝だけが残されている。
『――俺は別行動だ。裏からサポートしてやるよ、先輩』
風に乗って、そんな声が聞こえた気がした。
「……生意気な後輩ね」
私は小さく笑い、前を向いた。
「行きましょう。その《裏国家》とやらに」




