第38話:その裏切りは、コンプライアンス(法)の名の下に
回転椅子がゆっくりとこちらを向く。 そこに座っていた人物の顔を見て、私たちは全員、時が止まったかのように硬直した。
「……ガ、ガラハッド?」
アーサーが素っ頓狂な声を上げた。 そこにいたのは、少し前まで一緒にマッハ・ランナーにしがみついていたはずの、大盾使いの聖騎士――ガラハッドだったからだ。
彼は眼鏡の位置を中指で押し上げ、冷徹な瞳で私たちを見下ろしていた。 その手には、私が持っているはずの《デバッグルームの鍵》よりもさらに上位の、**《漆黒のマスターキー》**が握られている。
「お疲れ様です、係長。いえ、元・係長」
ガラハッドの声には、いつもの生真面目さはあったが、温かみは完全に欠落していた。
「なぜ、君がそこに座っているんだ? そこは……」
「ここが私の定位置だからですよ」
ガラハッドが指を鳴らす。 瞬間、彼の背後に展開されていた複数のモニターに、**【Access Authority: Administrator (God_Hand)】**という文字列が表示された。
「なっ……!?」
「バカな……! ガラハッド、お前はただの法務部員だろう!?」
ランスロットが叫び、双剣を抜こうとする。 だが。
「――却下します」
ガラハッドが短く告げただけで、ランスロットの双剣がパリンッと音を立てて砕け散った。 剣だけではない。アーサーの鎧、トリスタンの杖(遺品)、そして私の張っていた防御結界までもが、ガラス細工のように粉砕されたのだ。
「ぐはっ……!?」 「な、何が起きた……!?」
全員がその場に崩れ落ちる。 重力魔法ではない。 この空間の「物理法則」そのものが、彼の一存で書き換えられたのだ。
「私は、法務部として、常にあなた方を監視していました」
ガラハッドが椅子から立ち上がる。その全身から、赤黒いノイズと神々しい光が混ざり合った、禍々しいオーラが噴き出した。
「バグの発生源であるコーデリア。その随伴者であるウイルス・ライオネル。そして、不正な手段で世界に干渉する転生者たち……。あなた方は全員、世界の規律を乱す《違法存在》です」
「ガラハッド……まさか、お前が……」
私が震える声で問うと、彼は無表情に肯定した。
「ええ。私がこの世界の秩序を守るシステムの一部……いわゆる**《カミ》の代行者**です」
衝撃の事実に、思考が追いつかない。 あの生真面目な部下が? 六法全書を振り回していた彼が? すべては演技(偽装)だったというのか。
「監査は終了しました。これより、全オブジェクトの削除を実行します」
ガラハッドが右手を掲げる。 その掌に、底知れぬ闇が凝縮されていく。 あかん。あれは防御不能の即死攻撃だ。 ライオネルさんは動けない。私が盾になるしか――。
「――させないよ、クソ真面目な代行者くん」
軽快なリュートの音色が、殺伐とした空気を切り裂いた。
ジャランッ!
音の波紋がガラハッドの闇に干渉し、その発動をわずかに遅らせる。 天井の排気ダクトが爆ぜ、そこから3つの影が舞い降りた。
「なっ……貴様らは!?」
ガラハッドが初めて表情を崩す。 硝煙の中に立っていたのは、あの3人だった。
白装束の異端審問官、ゼクス。 糸目の吟遊詩人、エルモ。 そして、記憶喪失の少女、ルミ。
「やあ、間に合ったね」
エルモがニカっと笑う。 ゼクスは不愉快そうに槍を構え、ルミは私の前に立って両手を広げた。
「どういうこと? あなたたち、敵じゃなかったの?」
私が問うと、ゼクスが鼻を鳴らした。
「勘違いするな。我々の敵は『世界を壊す者』だ。……つまり、最初からターゲットはそいつ(ガラハッド)ただ一人だ」
「僕たちはね、このふざけた箱庭をぶっ壊すために集められた、ある組織のエージェントなんだよ」
エルモが懐から、黒いカードを取り出して見せた。 そこには、反逆の狼煙を上げる紋章と共に、こう刻まれていた。
【Underground State(裏国家)】
「裏国家……?」
「そう。カミ(運営)に対抗するためにシステム内部で密かに結成された、レジスタンス組織さ」
エルモが語る。 ゼクスの「バグ削除」も、ルミの「現実改変」も、すべてはこのガラハッド――システムの監視の目を欺き、彼をあぶり出すためのブラフだったのだ。
「さあ、形勢逆転だ」
ルミが銀色の瞳を輝かせる。
「おじちゃん(ガラハッド)。……ルミたちの『自由』、返してもらうよ?」
「……裏国家。システムの闇に巣食うネズミ共が」
ガラハッドが眼鏡を外し、握り潰した。 その素顔から理性の光が消え、完全な《神の端末》としての冷酷さが露わになる。
「いいでしょう。まとめて《訴訟》して差し上げます」
【Battle Start: Administration VS Resistance】
サーバー室という名の世界の中心で。 最強の裏切り者と、最強の反逆者たちによる、次元を超えた戦いが始まろうとしていた。
私は叫んだ。
「アーサー! 全員退避! ここは私たちが介入できるレベルじゃない!」
「で、ですが係長! ガラハッドが!」
「あれはもう部下じゃない! ……世界の敵よ!」
私の言葉に、アーサーが唇を噛み締め、ライオネルさんを背負って走り出す。 私はその場に残り、手元の端末を操作した。 彼らが時間を稼いでいる間に、メインコンソールへの物理接続(直結)を試みる。
(お願い、持ってくれ……!)
戦いのゴングが鳴った。




