第19話:絶品海鮮丼は、通信ラグの彼方に
「海だーっ!!」
私の歓声が、潮風に乗って響き渡った。 ここは東の港町。 活気ある魚市場、飛び交うカモメ、そして何より――新鮮な魚介類の宝庫として知られる美食の都だ。
「ライオネルさん! 見てください、あの磯の香り! あそこには絶対に極上のウニとイクラが待っていますよ!」
「ははは。元気だな、コーデリア。移動の疲れも見せずに」
馬車から降りたライオネルさんが、目を細めて私を見守る。 その足元では、リュカが初めて見る「カニ」に対して、へっぴり腰で「ガウッ(なんだこいつ)」と威嚇していた。
「さあ、まずは市場の食堂へ行きましょう! 『幻のトロマグロ丼』を食べるまでは帰れません!」
私は意気揚々と港へ向かった。 しかし。 市場に近づくにつれて、私の足は止まった。
「……静かすぎる」
活気があるはずの市場は、お通夜のように静まり返っていた。 漁師たちが網を抱えて、港の縁石に座り込み、うなだれている。 そして何より異常なのは、海そのものだった。
ザザ……ン。 ……ザザ……ン。
波の音が、変だ。 一定のリズムで打ち寄せているが、その動きが不自然にカクカクしている。 まるで、通信環境の悪い動画を見ているようだ。
「おい、あれを見ろ」
ライオネルさんが指差した先。 一隻の漁船が、沖へ向かって出港しようとしていた。
ブォォォォ……(汽笛)
船が波を切り、港から数十メートルほど進む。 と、その瞬間。
ヒュンッ。
船が「瞬間移動」して、元の桟橋に戻った。
「……は?」
私は目を擦った。 船長が「またかよぉぉ!」と叫びながら、再び船を出す。 進む。ヒュンッ。戻る。 進む。ヒュンッ。戻る。
「……ゴムバンド現象だわ」
私は頭を抱えた。 これはオンラインゲームでよくある、通信ラグが酷すぎてキャラクターの位置情報がサーバーと同期できず、数秒前の位置に引き戻される現象だ。 この海域、回線が腐っている。
「なんだあの魔術は? 空間転移か?」
「いいえ、ライオネルさん。あれは『世界が重すぎて動けない』状態です」
私は漁師の親父さんに声をかけた。
「すみません。今日は漁に出られないんですか?」
「ああ、見ての通りだ嬢ちゃん。3日前からこのザマだ。沖に出ようとしても、見えないゴムに引っ張られるみたいに戻されちまう。これじゃあ魚一匹捕れねぇよ……」
親父さんが深いため息をつく。
「新鮮な魚が入らねぇから、食堂も全部休業だ。……このままじゃ、この町は干上がっちまう」
ガーン。 私の頭に雷が落ちた。 食堂休業? トロマグロ丼お預け? そんなことが許されてたまるか。
「……許せない」
私はギリリと奥歯を噛み締めた。 私の食欲を邪魔するバグは、万死に値する。
「ライオネルさん。原因を特定して排除します」
「おお、やる気だな! だが、どうやって?」
「このラグの原因は、十中八九、この海域のデータ処理能力を超えた『何か』が居座っているせいです。……例えば、無駄に高解像度すぎる巨大生物とか」
私は桟橋の先端に立ち、海面に向かって《解析》の魔術を放った。
『Ping送信……タイムアウト。パケットロス率98%』
「酷い回線環境ね。……ん? 反応あり!」
海底深く、港の入り口付近に、とてつもなく重いデータ反応があった。 私はライオネルさんに指示を飛ばす。
「そこにいます! ライオネルさん、私が海を割りますから、その底にいる『重たいヤツ』を引きずり出してください!」
「海を割る!? 相変わらず無茶を言う!」
「今日の夕飯、干物だけでいいんですか!?」
「……行くぞリュカ! 我々の晩餐を取り戻すのだ!」
「ワフッ!!」
ライオネルさんがリュカの背に飛び乗る。 私は両手を広げ、最大出力の魔力を練り上げた。 SEの怒りを知れ。
「――管理者権限行使。対象領域の水を一時退避(mv /ocean /tmp)!!」
ズゴゴゴゴゴゴゴ……!!
港の海水が、まるでモーゼの十戒のように左右に割れた。 現れた海底。そこでビチビチと跳ねていたのは、伝説の怪物クラーケン――ではなく。
全身が虹色に発光し、無数の触手から大量の「0」と「1」の数字を垂れ流している、巨大な《エラー・オクトパス》だった。
「なんだあれは!? 目がチカチカするぞ!」
「やっぱり! 無駄にエフェクトが派手すぎて処理落ちしてるのよ! ライオネルさん、やっちゃってください!」
「承知! 必殺、断空剣!」
ライオネルさんの剣が閃く。 しかし、タコはヌルヌルと動き、さらに自分の周囲に《高負荷処理の墨》を吐き出した。 その墨に触れた瞬間、ライオネルさんの動きがスローモーションになる。
「ぬぉぉ……体が……重……い……」
「ああっ! フレームレートが下がってる! このままじゃフリーズしちゃう!」
私は舌打ちをした。 物理攻撃だと、近づいただけで処理落ちに巻き込まれる。 なら、遠距離から「軽量化」するしかない。
「リュカ! あのタコに向かって《氷のブレス》! 凍らせて解像度を下げるのよ!」
「ガウッ!」
リュカが極寒の息吹を吐き出す。 カチコチに凍りついたタコは、虹色の発光が止まり、ただの「氷のオブジェ(低ポリゴン)」になった。
「今です! ライオネルさん!」
「……動ける! せいりゃあああっ!!」
ラグから解放されたライオネルさんの一撃が、氷のタコを粉砕した。 パリンッ! という軽快な音と共に、タコは光の粒子となって消滅。 その場には、キラリと光る金属片――《鍵の欠片B》が落ちていた。
「ふぅ……。回線復旧、完了です」
私が海を元に戻すと、停滞していた波がザザーンと勢いよく打ち寄せた。 沖へ出ていた船も、スムーズに進み始める。
「すげぇ……! 治ったぞ! これで漁に行ける!」 「ありがとう魔女様! いや、女神様!」
漁師たちが歓声を上げて駆け寄ってくる。 私はニッコリ笑って、彼らに告げた。
「お礼は結構です。その代わり……一番脂の乗ったマグロを、今すぐ私の目の前に持ってきてください」
数時間後。 私たち一行は、山盛りの海鮮丼を前に、涙を流して舌鼓を打つのだった。
「美味い……! ラグのない世界で食べる刺身は最高だ……!」
世界を救う旅は、順調に(胃袋を満たしながら)続いていく。




