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 周囲の人から頭一つ飛び抜けた大きな身体に、整った顔立ち、そして抜群の運動能力を有するがゆえに、すでに学校中の注目の的となっているオスカー。

 そのスペックの高さから裏では「オスカー様」なんて呼ばれている彼だけれども、私はオスカーのことが苦手だった。

 別に、彼に落ち度がある訳じゃない。「オスカーを見ていると劣等感を刺激される」という、完全に私側の問題だ。


 現在では「俺は将来必ず騎士なる!」と公言している彼が騎士を志すようになったのは、周囲よりも少しだけ遅かったらしい。

 それゆえ、彼の名前を耳にするようになったのは、私が騎士になることを諦める少し前くらいからだったのだけれども、その頃のオスカーはすでに「技術はまだまだだが光るものを感じる」だとか、「荒削りではあるが将来が楽しみ」だとか、そういった評価がなされていた。

 彼へのそんな言葉を聞くたびに、幼い頃から技術だけは叩き込まれてきたという自負が、ぼろぼろと崩れ落ちるような気がしたものだ。


 オスカーと直接話したことがないから確証はないけれど、昔私とジョンを助けてくれた少年がおそらく彼だと思われることも、私の彼への苦手意識を強めている一因だ。

 そうなるともう彼に付随する何もかもが憎らしく、彼の宝石のように美しく澄んだエメラルドグリーンの瞳ですら、挫折を知らず傷一つついていないオスカーそのものを表しているように思われてくる。


「レベッカさん!」

 メリンダの焦ったような呼び掛けで、ようやく私は現実へと引き戻される。

 彼と対峙したことによって、過去に自分が感じていたやるせなさなんなかが蘇ってきたせいで、私は自分が置かれている状況も忘れてぼんやりとしてしまっていたらしい。

 しかしそんな私のことなどお構いなしに、オスカーとフィオナさんは物語の主人公とヒロインの出会いのシーンかのようなやり取りをしている。


「オスカー様……」

「……俺のことを知っているのか?」

「もちろんです。オスカー様は人気者ですもの」

 きっと彼らの目には、すでにお互いのことしか映っていないのだろう。


 そんな二人を尻目に、メリンダが慌てた様子で口を開く。

「レベッカさん、とりあえず出ましょう。急いで」

 その言葉に促されて教室の外に出るまでの間、私は自分の身体が自分のものではないかのような浮遊感を感じていた。

 今までの出来事が全て夢の中のことのようで、まるで現実味を感じられなかった。


 そんな状態で、教室の扉が閉められる直前でちらりと中を覗き込んだのは、完全に無意識の行動だった。

 その時私の目に飛び込んできたのは、ふわりと優しげに微笑むフィオナさんと、そんな彼女を見て耳元を赤らめるオスカー。そして今まで空を覆っていた分厚い雲の切れ目から差し込む光が、二人の出会いを祝福するかのように教室内を照らし出している様子だった。


 それは神々しいとすら言えるような美しい光景で、まるで一枚の絵画のように見えた。

 けれども、フィオナさんの口端にはじんわりと血が滲んでいて、この時になってようやく、私は自分のしでかしたことの重大さを思い知ったのだった。


 ◇◇◇


 メリンダ達に押し出されるような形で教室を出た私は、おそらく酷い顔をしていたのだろう。

「レベッカさん、大丈夫? 少し休憩した方がいいかも……」

 そんなことを言いながら心配そうな表情を浮かべるメリンダに、私はなんとか口角を上げて答える。

「大丈夫よ、ありがとう。けれども、少し手を洗ってくるから、先に教室に戻っておいてもらえるかしら?」

 私がそう言うと、彼女達はお互いを窺うように目配せをし合って、「ええ、もちろんよ」と返事をした。


 なんとも言えない居心地の悪い空気を発しながら教室へと向かう彼女達を目にして、お腹の中に鉛が入ったかのような重たさを感じる。

 彼女達のあの空気もまた、私がフィオナさんに手を上げてしまったことが原因なのだと思うと、私のことを思って声を掛けてきてくれた彼女達に対する申し訳なさが込み上げる。


「……とにかく、これからのことを考えなくっちゃ」

 その呟きは小さかったものの、誰もいない廊下ではやけに響いて聞こえた。


 まず、今回の騒動の発端になった〝フィオナさんのジョンへの付きまとい疑惑〟について。

 先程の取り乱した彼女の様子は普通ではなかったけれども、嘘をついているようにも見えなかった。

 つまり彼女は、ジョンに付きまとってもいなければ、そもそも会話すらほとんどしたことがないということ。

 まだ入学から三ヶ月しか経っていないのだ。社交的とは言い難いジョンが、クラスメイトの名前を間違えて覚えてしまっていると考える方が納得がいく。


 そうなると、今の私にできることは謝罪と反省だ。

「すぐにでもフィオナさんに謝りに行かないと……」

 ジョンとの仲を疑ってしまったこと、恐ろしい思いをさせてしまったこと、そして何よりも怪我をさせてしまったこと。

 許してもらえるとは思っていないけれども、今後フィオナさんに近づくつもりはないことを伝えて、彼女が安心して学校生活を送れるように配慮したい。

 もちろん、今回の件で私に対して何かしらのお咎めがあるのならば、当然それを受け入れようとも思っている。


「……退学とかになっちゃうのかな」

 今回私がしでかしたのは殴り合いの喧嘩ではない。一方的な暴力行為なのだ。

 私がメリンダ達を従えていたのは多くの人間に知られているし、事情を知らない人からすれば集団リンチだと見なされたっておかしくはない。

 入学初日に「犯罪行為に対しては厳しく対処する」という注意もなされていた。良くて停学、悪ければ退学の処分が言い渡されることになるだろう。


 父からまた失望のこもった視線を向けられるのかと思うと胸が痛むけれども、自分のやらかしが原因なのだから仕方がない。

 問題は、弟についてだ。

「ウォルトの邪魔にはなりたくないなあ……」

 五歳年下の弟であるウォルトは、()()()から騎士になるために訓練に励んでいる。私と違って才能もあるらしい。

 身内の不祥事がどこまで調べられるかわからないものの、清廉潔白であることが求められる騎士団の入団に、〝暴力事件を起こした姉〟の存在が問題視される可能性は十分にある。


 そうなれば、ウォルトはきっと私のことを憎むだろう。

 まるで大型犬のように「お姉ちゃん!」と言って私を慕ってくれているウォルト。そんな弟に嫌われる未来と、そしてそんな可愛い弟の足枷になってしまう自分を想像して、鼻の奥がツンとした。


「……私が泣くのは、違うでしょうよ」

 口の中でそう呟いて、私は頭を小さく左右に振る。

 誰に見られている訳ではないけれど、涙で同情を引くような人間にはなりたくなかった。

 こんな状況にある中でも、せめて自分がすべきことを淡々とこなしたいと、そう思った。


「とにかく、フィオナさんよりも先にメリンダ達に謝りに行こう」

 メリンダ達も、ある意味では被害者だ。親切心から私についてきたくれた彼女達は、まさか私が暴力行為に及ぶだなんて予想していなかっただろう。

「……きっと彼女達も、現状を不安に思っているはずだわ。早く言いに行ってあげないと」


 もしも今回の件が大事になったとしても、彼女達を巻き込むつもりはないということを、私の口からきちんと伝えておこう。

 そんな思いを胸に早足で辿り着いた教室の中からは、メリンダ達の話し声が漏れ聞こえていた。

 けれどもその声は私が想像していたような暗いものではなく、むしろ弾んでいる。なんなら、笑い声まで聞こえる気がする。


「あんなに上手くいくとは思わなかった!」

 教室内から聞こえてきたメリンダのその言葉に、私は扉を開けるために伸ばしかけた手を止める。

()()()も馬鹿だよねー。『レベッカさんに本当に好かれてるか確かめてみない?』って言葉に、あんなに簡単に頷くことある?」

「しかも、あのタイミングでオスカー様が現れるだなんて!」

「本当に! 正義感が強い彼のことだもの。きっと()()()もタダじゃ済まないわ」


 ……信じたくないな、と思った。

 けれども、「あいつ」がジョンのことを、そして「あの女」が私のことを指しているということを、認めざるを得ない内容だった。


「でも、私達まで怒られたらどうする?」

「大丈夫よ。みんなで『無理矢理連れて行かれました』って言えばいいのよ。叩いたのだってあの女だけなんだし、反省してるフリしとけば余裕よ」

「少し美人とか言われて、調子に乗ってるからよね」

 その言葉に同調する言葉と、他者を嘲る不快な笑い声が続くのを耳にして、胸の中にすーんと冷たい風が吹くような気がした。

 そんな私の心の内など知るはずもないメリンダ達は、私に聞かれていることに気がついていないのか、それとも聞かれていても構わないと考えているのか、大きな声で私の悪口を言い続けている。


「……調子になんか、乗ってないわ」

 その言葉と共に、私の口からは渇いた笑いが溢れた。

 当然ながら、彼女達の話が面白かった訳じゃない。「学校生活も上手くいっている」なんて思っていた少し前までの自分が滑稽で惨めで、笑うしかなかったのだ。


 結局私は、ジョンを守る騎士なんかじゃなかった。たった一人を守る騎士にすら、なれなかった。

 よく知りもしない人間に唆されたとはいえ、全く無関係の人間に暴力を奮ってしまった私は、正義の味方である騎士とは真逆の、むしろ悪役的存在なのだろう。

 仲間のふりをして近づいてきた人達を無条件に信じて、挙げ句の果てに簡単に切り捨てられてしまう、馬鹿な悪役。


「頑張ってきたつもりだったんだけどなあ……」

 父にテディベアを手渡されたあの日から、私は普通の女の子になるために頑張ってきたつもりだった。

 けれども人間関係においても、〝頑張ってきたつもり〟なだけでは駄目なのだ。

 だって結局、私は()()でも上手くやれなかったのだから。


 本当ならば、なんの落ち度もないフィオナさんには、一刻も早く謝りに行くべきだろう。

 彼女が感じている恐怖を一秒でも早く取り除くために、今後彼女には一切関わらないようにすると、できるだけ早く伝えに行くべきだろう。

 けれどもそれがわかっていてすら、その日私はフィオナさんの元へ向かうことができず、そのまま帰路へとついたのだった。

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