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 翌日、ジョンの職場への来訪を知ったウォルトは、烈火の如く怒っていた。

「本当に! あいつは! どこまで姉さんに迷惑を掛ければ気が済むんだ!!」

 王宮内に設置されている騎士団専用の食堂で、そんなことを大声で叫ぶものだから、私は慌ててウォルトの口を塞ぐ。


 ……たまたま食事の時間が被ったからといって、この場でウォルトに伝えたのは間違いだったわ。

 心の中でそう後悔するけれど、言ってしまったものは仕方がない。

「私のことを思って怒ってくれるのは嬉しいけど、場所を考えて? ここはあなたの職場でもあるけれど、私の職場でもあるのよ?」

 私が強めに嗜めると、ウォルトは叱られた大型犬のようにぺしゃりと落ち込んで「ごめん」と謝った。


「でも、あいつがそんなに姉さんに執着してるのは心配だよ。鍵は替えたけど家は知られてしまってるし、物理的な力で押されればどうなることか……」

 ウォルトにそう言われて、私は思わず自分の手首に視線を落とす。

 ジョンの指の形にくっきりと残った痣は、一晩経ったことによって赤色から紫色へと変化しており、一層毒々しさを放っているように思われた。


 おそらくウォルトも、私の視線を辿ったのだろう。

 彼はわかりやすく顔を歪めると、「やっぱり危ないからさ、しばらくは姉さんの家に泊まるよ」と言った。


「そう言ってくれるのはありがたいけれど、あなたを巻き込みたくないわ。身体が資本の仕事をしているのに、怪我でもしたらどうするの?」

「……姉さんは、いつまで僕のことを子どもだと思ってるの? 正直なところ、あいつが刃物を持っていたとしても、僕はあいつを素手で制圧する自信があるよ」

 そう言うウォルトは半ば呆れたような表情をしているし、おそらく本当にそうなのだろう。


 けれども、私はゆるゆると首を横に振る。

「それでも、よ。あなたが騎士として立派にやってることは知っているわ。でも、万が一ということがあるんだもの」

「姉さんがあの家に一人でいるよりも、よっぽど怪我人が出る可能性は低いと思うけど?」

「……少なくとも、あなたを巻き込まなければ、あなたが怪我をする可能性はゼロよ」

 それは、「姉として弟の身の安全を確保するのは当然のことだ」と、そう考えての発言だった。

 けれどもどうやら、ウォルトにとっては〝当然〟ではなかったらしい。


「…………姉さんが言いたいことはよくわかったよ」

 そう言うウォルトは口元こそ弧を描いているものの、凍えそうなくらいに冷ややかな目をしており、私は思わず「……ウォルト? どうしたの?」と口走る。

 しかし彼は、私の言葉には返事もしない。


「僕のことがそんなに信じられないって言うなら、エドウィンさんに頼むから」

「……待って。どういうこと?」

「僕とエドウィンさん、二人がいればさすがに姉さんも文句はないでしょ?」

「本当に待って。まさかエドウィンを巻き込むつもり?」


 正直なところ、「どうして?」と思った。

 誰にも迷惑を掛けたくないからこそ、ウォルトの申し出も断ったというのに、どうしてここでさらに登場人物を増やそうとするのか?

「たかが友人である私のために、エドウィンを危険な目に合わせることなんてできないわ。それに、きっと彼にとっても迷惑な話よ」

 そう言ってはみたものの、ウォルトは私の言葉を「いや」とたった一言で否定する。


「迷惑かどうかは、エドウィンさんが決めることだから。とにかく、姉さんがなんと言おうとも、僕はエドウィンさんにも声を掛けるよ」

「じゃあせめて、もう少しだけ様子を見ましょう? 私だけで対処ができなくなりそうなら、お願いするから」

「そうなってからじゃ遅いから、今言ってるんだよ」

 どうにかして考え直してもらおうとしたものの、ウォルトは圧を感じさせるような笑顔を浮かべて「もう決めたから」と言うだけで、私の言葉を聞き入れるつもりはなさそうだ。


「とにかく、姉さんがなんと言おうとも、僕は今日中にエドウィンさんにも話をするから。ついでに、今姉さんが言った言葉も、全部伝えるから」

 ウォルトはいまだかつて聞いたことがないほどの力強さでそう言うと、最後にぽつりと「……自分自身を雑に扱おうとしたこと、エドウィンさんに叱られればいいんだ」と付け加えた。

 その時のウォルトは、腹を立てているようにも泣きそうなようにも見えて、私はそれ以上何も言うことができなかった。



 結局、ウォルトは本当にその日のうちにエドウィンに話をつけにいったらしい。

 有言実行、即行動できるところはウォルトの長所だし、だからこそ騎士団にも入団できたのだとは思うけれど、こんなところでその良さを発揮する必要はないだろう。


 当然ながら、面倒見の良いエドウィンが、ウォルトからのそんなお願いを断るはずがない。

「ちょうど俺も、対策を講じないととは思っていたんだ。職場で待ち伏せされていたことを考えると、行き帰りも危なくない?」

 そんなことまで言い出したせいで、その日以来通勤時にはウォルトかエドウィンのどちらかを伴うことにまでなってしまった。


「任務の都合上、僕だけだと〝いついかなる時にも姉さんと一緒に〟というのは難しいからね。エドウィンさんに声を掛けて正解だったよ」

 ウォルトはそう言って満足げな表情を浮かべていたし、エドウィンもそれに同調していたけれども、私としては申し訳なさすぎて胃が痛くなるような状況だ。

 特にエドウィンに関しては、「いくらなんでも女性の家に泊まるわけにはいかないよ」と言って、毎回寮と往復することになっているものだから、余計に。


 そんな理由もあって、今日もまたエドウィンと共に退勤し、二人で食事をとりつつウォルトが帰ってくるのを待っているうちに、「エドウィンはこの状況をどう思っているのだろうか?」という不安がむくむくと湧き上がってきた。

 おそらく、そんな気持ちが態度にも現れてしまっていたのだろう。

 それまで他愛もない話をしていたエドウィンがぴたりと手を止め、「どうしたの?」と穏やかな口調で問い掛ける。


「……本当に、本当にありがとう。けれども、少しでもしんどいと思ったらやめてくれていいからね? あなたにとっても、今の状況は随分と負担になってしまっていると思うの」

 感情が昂ったせいなのか、最後の方は声が掠れてしまっていたけれど、エドウィンはそれを指摘することもなく、からりと笑って「大丈夫だよ」と返事をした。


「大丈夫だよ。それに、もしもレベッカの身に何かがあれば、俺は何もできなかった自分自身を一生恨み続けることになるだろうからね」

「でも、たかが友人である私に対してまで、あなたが責任を負う必要はないのよ? ……もしもあなたが私のために何かを犠牲にしてるのなら、今すぐにやめてほしい」

 私がそう言うと、エドウィンはどうしてだか、僅かに目を見開いた。

 けれどもそれはほんの一瞬のことで、彼はすぐに「そんなことないよ」と言って首を横に振る。

「僕はもう、後悔はしたくないんだよ」

 直後に発せられたその言葉は、決して大きな声ではなかったものの、並々ならぬ決意が込められているかのように感じられた。


「……とにかくさ、俺はこの状況を全く負担になんか思ってないし、むしろ楽しいとすら感じてるんだよ」

 エドウィンはそう言って立ち上がると、空になった食器をキッチンへと持って行く。

 そんな彼の後を慌てて追ってみたものの、エドウィンは

にこりと笑うと、「今日は俺が洗うから」と言って蛇口を捻った。


「『今日は』って……。そんなこと言って、いつもあなたが洗ってくれてるじゃない」

「そうだったっけ? じゃあ、今日()俺に洗わせてよ」

「一応お客様なんだから、ゆっくりしてくれればいいのに……」

「遠慮しないで。俺を〝友人の家で食事をご馳走になって洗い物もせず平気な顔してくつろぐ男〟にさせないでよ」

 そんなことをさらりと言ってのけるエドウィンは相変わらずで、私はついつい笑ってしまった。


 エドウィンと過ごす時間は心地良い。それこそ、ずっと続けば良いのにと思うくらいには。

 それは、エドウィンの気遣いによって作り出されている部分も多少はあるのだろうけれど、最近では「それだけではないのかも?」とも思っている。

 それに、彼も私と過ごす時間を「心地良い」と思ってくれていると感じるのも、自惚れではないはずだ。


 けれどもその心地良さを、怖いと思っている自分もいる。

 だって、今が幸せであればあるほどに、それを失った時に辛いということを、私は嫌というほどに知ってしまっているから。

 今までだって、「手に入るかもしれない」と期待したものは、全て私の手からすり抜けていったから。


 おそらくそんなことを考えていたからなのだろう。

「時間が止まっちゃえばいいのに……」

 私の口からぽろりと溢れたその言葉は、エドウィンの耳には届くことなく、蛇口から出る水の音にかき消されたのだった。


 ◇◇◇


「玄関の扉を開けるのが、今でもちょっと苦手なの」

 そんなことを言ってしまったのは、珍しくお酒が入っていたからだと思う。

 すぐに「言うべきではなかったかもしれない」と思ったものの、すでに発した言葉を取り消すことなどできるはずもなければ、エドウィンからの「どうして?」という問い掛けから逃げることもできそうにない。


「……ジョンとの婚約中に、あんなことがあったでしょう? だから、どうしてもその時のことを思い出して身構えてしまうのよね。もちろん、未練があるわけじゃないんだけど」

 そんな説明をする私の脳裏には、ころんとしたあの小さなブラウンのパンプスが鮮明に思い浮かんでいて、「一体いつまであれに振り回されるのか」と、自分でも呆れてしまう。


 けれども私の話を聞いたエドウィンは、そのまま口を開くことなく、右手の親指を顎の辺りに置いて固まった。

 それが何かを思案する時の彼の癖だということに気がついたのは、つい最近のことだ。


 エドウィンはそのまま数十秒程考え込んでいたかと思うと、おずおずといった様子で「嫌ならきっぱりと断ってほしいんだけど」と話を切り出す。

 けれども、その後に続いたのが「この家の合鍵を俺にくれないかな?」だったので、私は思わず首を傾げる。


「合鍵? もちろん構わないんだけど……どうしていきなり?」

 だって、今私は「玄関の扉を開けるのが苦手」という話をしていたはずだ。

 なのに、それがどうしてエドウィンに合鍵を渡す話に繋がるのだろうか?

 そんな私の疑問に対して、エドウィンは特に返事をすることもなく、「レベッカが留守の時に少し出入りをするのは……どうかな?」と聞いてくるものだから、ますます謎は深まるばかりだ。


「構わないわよ。エドウィンに見られて困るものなんてないもの」

「ありがとう。もちろん、悪用するつもりはないから安心して」

「そんなこと心配してないわ。でも、どうして?」


 もう一度そう聞いてはみたのだけれど、エドウィンはやっぱりそれに対して応えるつもりはないらしく、「ちょっとね」と言って、悪戯っ子のような顔をして笑うのだった。



 エドウィンが合鍵を欲しがった理由がわかったのは、それからすぐのことだった。

「え?」

 驚きの声を上げたのは私だけでなく、私と共に帰宅したウォルトも同様だった。

 だってまさか玄関を開けてすぐのところに、子どもの背丈ほどもあるテディベアが座っているとは思ってもみなかったのだから。


「これって……姉さんが昔、父さんから誕生日プレゼントに貰ったテディベアだよね?」

「ええ、そうね」

「どうしてこんなところにいるの?」

「……さあ?」


 一体何が起こったのだろうと、二人揃って訝しげな気持ちでテディベアを眺める。

 するとそのうち、テディベアが抱えているように見える形で、その手の付近に何かが置かれていることに気がついた。

「これ、何かしら?」

 そう言いながらその〝何か〟に手を伸ばすと、それは私が好んで行く洋菓子店の焼き菓子で、外袋には「今日もお疲れさま」と書かれた紙が貼り付けられている。


「エドウィンさんの字だね」

 私の手元を横から覗き込みながらウォルトがそんなことを言うものだから、ついつい力が入ってしまって、手の中でかさりと音が鳴った。

「……そうね」

「昼休みに来てくれたのかな? でも……なんで? 姉さん心当たりある?」

「…………あるわ」

 そう言いながらも私は、目の縁に溜まった涙が溢れ出ないようにするのに必死だった。


 きっとエドウィンは、「玄関の扉を開けるのが苦手だ」という私の言葉を、そしてその理由を聞いて、わざわざこんなことをしてくれたのだろう。

 玄関扉を開けるたびに私の脳裏に浮かぶのが()()()の光景でなくなるように、忙しい中でわざわざ時間を縫って、テディベアを置いておいてくれたのだろう。


 形が崩れてしまうのも気にせずに、エドウィンからのメッセージが貼られた焼き菓子を胸の辺りで握りしめる私を見て、ウォルトも何かを感じ取ったのだと思う。

「本当に、優しい人だね」

 ウォルトは静かにそう言うと、「先に行ってるね」と言って一人でリビングへと向かって行ったのだった。



 その日から、私の自宅の玄関には時々テディベアが置かれるようになった。

 頻度で言えば月に数回。

 テディベアの手元にはお菓子やちょっとした小物が握らされていて、毎回欠かさずエドウィンからのメッセージが添えられている。


 それは「気になるお店を見つけたよ」だとか、「昨夜は星がきれいだったよ」だとか、どれも言葉にすれば一言で終わってしまうような他愛のない内容なのだけれど、丁寧な文字で書かれたそのメッセージを見るたびに、私は胸の深いところがぎゅっと掴まれたような心地になる。

 そして同時に思うのだ。「もしも私がヒロインのような女の子だったなら、もっと素直に喜べるのに」と。


 ウォルトの言う通り、エドウィンは本当に優しくて、人の心の機微にも聡い人だ。

 だからこそ彼は、人との距離を間違えない。

 彼が思わせぶりな態度をとって無闇に人の心を弄ぶような人間ではないということは、学生時代からよく知っている。

 そんな彼にここまでのことをしてもらって、そしてむず痒くなるような柔らかい視線を向けられて、彼からの好意に気が付かないほど、私は鈍くない。


 けれども私は、彼からの好意を素直に受け取れずにいる。

 彼に落ち度は一つもない。これは、私自身の問題なのだ。

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