ゼッキビ
ゼ・マン候から資金提供を受けた後も、ゼッキビの栽培は難航した。苗床を農家に2つずつ渡して、それぞれ異なる条件で栽培を始めてもらった。
が、3か月後には苗床が全滅した。
「な、なんで……」
ヤンは頭を抱える。農務司にいた頃でも、ゼッキビの栽培については勉強した。栽培方法が根本的に間違っていることはあり得ないので、何かの条件が違っていることになる。
「水をあげすぎたんでしょうか?」
「うーん……そこまで繊細な栽培物でもないしな。肥料の質が良くないのか」
農家との会議でも、みんなが唸っている。彼らは栽培実地のプロだ。そんな彼らがわからないと言うことは、育成の仕方には問題ないように覚える。
「もう一度トライしたいのですが」
そう提案したが、いかんせん費用が心もとない。もう一度行うには再び大量のゼッキビを購入しなければいけない。なにかツテがあればいいのだが、今のところは全くない。
「ヘーゼンに相談すればよいのではないか?」
「……まあ、それしかないですね。でも、興味持ってくれるかなぁ」
ヤンは腕を組んで唸った。彼は自分の興味があるものについては惜しみなく資金などを提供するが、興味のないものには完全にスルー。要するに、農業に関心を持っていないのだ。
「私が農務司に勤めるのも、相当反対されましたからね」
農務司は主に中級貴族で編成されている実務型の部署だ。上級貴族の出世コースからは完全に外れていた。それでも、ヘーゼンが了承せざるを得なかったのは、ヤンがこれをやりたいと熱く希望したからに他ならない。
「なぜヤンは農務司に入ろうと思ったのだ?」
「私は平民出身の貴族ですからね。小さい頃から、結構食事には苦労しているんです。山に生えた魔草を食べて飢えをしのぐのなんてざらにありました」
「……そうだったのか」
哀しそうなイルナスの表情に、ヤンは微笑む。
「イルナス様。生きる上で必要なことはなんだと思いますか?」
「……うーん、夢や目標かな」
「素晴らしいお答えです。でも、私は思うのです。生きる上で必要なことは美味しい食事を食べることではないかと」
目標なんてなくたって、多くの人が生活している。夢なんて見なくたって人は生きていける。
「もちろん、目標や夢が大事だという者も多いです。しかし、それは決して国に求められるものではなありません」
夢や目標は、あくまで自主的に持つものだ。他人にその機会を与えられてないからと嘆いて諦められるものなど、所詮はその程度のものだとヤンは言う。
「その点、美味しい食事は人に活力を与えます。一日を生きる力になります。お腹が満足していれば、他のことも考えることができる活力にもつながります。全ての事柄の大元は美味しい食事にあると私は思うのです」
「……」
「納得できませんか?」
「……いや、言うことはわかる。しかし、人は飢えを感じるからこそ、なんとかしなくてはと言う気持ちに駆られるものではないか?」
イルナスの指摘にヤンは頷く。確かに、彼は自信の魔力がないがために、他の分野でたゆまぬ努力を続けている。ヤン自身も、自分が飢えた経験から、農務司で勉強をしようと志した。
「飢えというのは、根源的な欲望です。それは、人の願いを歪めます。夢や目標自体が歪むのです。例えば、イルナス様に魔力があれば、あなたは別のことを志していたはずです。私が飢えを知らなかったら、農務司には決して入ろうとしなかったでしょう」
「……」
「根源的な欲望は、強いです。人の意志をも簡単に錯覚させてしまうほどに。人は自分がやりたいことに人生を費やすことより、やれないことに人生を費やすことの方が多いのです」
「……」
「しかし、イルナス様。本当にやりたいことと言うのは、別のことだと思います。根源的欲望の先にある好奇心や探求心。それこそが、本来の夢や目標に繋がるのだと私は思うのです」
ヤンは微笑む。イルナスには本当に自分のやりたいことを見つけてほしいと思う。魔力がないというコンプレックスからくる自身への飽くなき向上。それは素晴らしいことだ。でも、同時に哀しいことでもあることを知って欲しい。
「師もまた、根源的な欲望と自身の目標や夢を同居させている節があります。もちろん全てではないですが」
「……人はもしかしたら、それから完全に逃れる術はないのかもしれないな」
「そうかもしれません」
「でも、面白い話だな。飢えが欲望を歪めるとは」
「……飢え。そうか」
ヤンは大きく笑顔を浮かべた。




