お金
翌朝、イルナスが起きるとヤンが腕を組みながら、家計簿と並べた貨幣を見つめていた。
「うーん……」
「ヤン? なにを悩んでるの」
「本格的にお金が足りなくなってきたんで、どうしようかと思いまして」
残りは大銀貨1枚、小銀貨3枚、大銅貨2枚。すでに、ゼッキビの補充をする余裕もない。もちろん、日常生活においては、このお金を使う気がないが、ゼッキビの品種改良においては明らかに資金不足である。
「使うべきところには、ジャンジャンと使っちゃいましたからね……と言うか、調子に乗って使い過ぎてしまいました」
とヤンは頭を抱える。
「……ヘーゼンを頼っては?」
「そうしたいのは、山々なんですけど。というか、私の預けた金貨などもあるので、それを送ってもらえば済むんですが……正直、今は時期が悪いです」
さすがに天空宮殿内で、イルナス誘拐の話は出回っているだろう。電信鳥のやりとりならともかく、金貨などを送って貰ったりなどすれば、怪しまれることは間違いない。
「……仕方ない。ゼ・マン候に資金提供の依頼をすることにします」
ヤンは吹っ切れたように机を両手で叩く。そして、いそいそと外出用の平民服へと着替え出す。
「僕は……行かなくていいのか?」
「最初の訪問はいいでしょう。しかし、恐らくですが、来てもらうことになるかなとは思います」
「……なら、最初から行った方が手間が省けるのでは?」
「イルナス様、交渉とはそういうものではないのです。ゼ・マン候が求める利益を考えてくださいませ」
ヤンは微笑みながら答える。
「うーん……わからないな。だって、ヤンは品種改良したゼッキビの利益をゼ・マン候に渡すつもりだったのだろう?」
「ええ。そして、凄く凄く残念です。彼に恩を売るどころか、恩を受ける事態になったこと。私の至らなさです、どうかお許しください」
「い、いやそんなことはいいのだけど」
「……では、ナデナデしていいですか?」
「なんで!?」
どこから、どう飛躍してその結論に至ったのか、まったく謎が残るが、イルナスは落ち込む家臣のために、大人しくナデナデされることにした。
「話を戻すけど、ヤンはゼ・マン候に利益を渡すつもりなのだから、投資をしてもらうことは容易じゃないか?」
「イルナス様、大前提として私がゼ・マン侯に会うことができるのは、イルナス様の家臣であるからなのです。それが、ポイントです」
「……」
「ゼ・マン候にとって、私の立ち位置はその程度です。だから、私が投資話など持ちかけたところで、信用はされないでしょう。私は商人ではありませんし、そもそもこのように小娘ですから。彼のような年配にとっては、特に」
逆の立場であっても、当然ヤンは自分のような者を信用しないと答える。ただ、イルナスの家臣であるので、冷遇はされないにしても、検討するフリをして追い返されるのがオチだと、ヤンは言う。
「イルナス様と一緒に行ったとしても、結果は同じでしょう。いや、むしろ警戒するでしょうね。私がイルナス様をたぶらかしていると」
「……なるほど」
「ゼ・マン候にとって、最大の利益とはイルナス様に自分の重要さを見せつけることです。そして、私よりも有能であることをイルナス様に見せつけることなのです。だから、私の提案を断った後に、イルナス様が行けば、よほどのことがない限りは通ると思います」
他ならぬイルナス様の頼みなら、とゼ・マン候はこう言うだろう。
「こうやって、恩義を売ることでどんどん取り込まれていき、権力がゼ・マン候に移ります。そうならないよう、なんとか恩義を売らせないようにするつもりだったのですが……なかなか、思った通りにはなりませんね」
「……難しいものだな。味方にもそれだけ気を配らなくていけないとは」
「味方だからです。時に、味方というのは敵よりも厄介になることがあります。立ち位置的なことから言えば、イルナス様は私も、疑ってかからなくてはいけません」
「そんな……ヤンを疑うなんて」
「永遠の信頼は毒です。それは、イルナス様にとってよくありませんし、なにより私にとってもよくありません」
慌てて否定するイルナスに、ヤンは笑顔で答える。
臣下が王を信頼することと、王が臣下を信頼することはまったく別物だとヤンは答える。信頼を信頼で返すことは同じだが、臣下に権力が渡らないよう、常に注意を払わなければいけないと答える。
「難しすぎましたか? イルナス様には抵抗のあるお話だとは思いますが、権力を持つ者は『信頼することへの自制』を覚えなくてはいけないと、私は思います。権力者とは決して楽をしない者にこそ与えられる者がなるべきだと心に刻んでいただけれと思います」
「……うん、わかった」
イルナスは大きく頷いた。




