帰宅
「ただいま帰りました」
夜遅く、ヤンが帰ってきた。魔医の助手としての初日は、ノラーラにいろいろと教えていた分、随分と遅くなってしまった。
まあ、彼を育てるのは先行投資なので、仕方ないと割り切っているが、その分イルナスとの時間が削られて、寂しい。
イルナスはすでに帰っていて、剣術の稽古などをやっていた。もともと、皇族として暇のない生活を送っていたので、今の時間がある状況が耐えられないのだという。
あまり剣術には詳しくないが、まあお遊びレベルなんだろうとヤンは微笑ましくイルナスを眺める。
「他にも伝信鳥が届いたので、手紙を取りに行ってたんですよ。サボってませんよ」
「そんな心配はしていないけど、ここで受け取ればよかったじゃないか?」
「万が一、身元がバレるといけませんので」
伝信鳥の位置で、対象がどこにいるかがわかってしまうので、用心深い人は直接受け取らない。
しかし、ヤンは今のところ頼れる者がいないので、自分がコシャ村から離れた場所に行き、手紙を受け取らなくてはいけない。
「それで、なにが書かれていたのだ?」
「影儡を派遣してくれているそうです。これで、当面は安全ですね」
「……なんだ、それは?」
「ああ、そうか。イルナス様は皇族だから知らないかもしれませんね」
影儡は護衛の一種だ。日常生活は関わらないし、姿も見せない。喋ることも禁じられている。24時間体制で対象者を警護し、敵が現れればその場で対象者を護衛する。言わば、目に見えぬ警護だ。
「それは、すごいな。しかし、皇族はなぜ知らないのだ?」
「影儡は身分の低い者で構成されてますからね。皇族は使わないんですよ」
彼らは契約魔法で主従関係を強制されている。従事するのは、罪人、奴隷などが一般的だ。なので、上級貴族以上の身分では滅多に使用されない。
逆に皇族などの場合、護衛の多さが一種のステータスだし、あえて見せることで抑止効果にもなっているので、影儡を使う意味があまりない。
「イルナス様に24時間体制で一緒にいたいのは山々ですが、さすがに師からの指示もあるし、仕事もありますしね」
本当に本当にイルナスの側だけについていたいのだけど、とはヤンの切実な思いである。一分、いや一秒たりともイルナスの可愛さを見逃したくない。そんな風に思い描きながら、ヤンは食事を作り始める。
「あ、あれ? 終わり? もっともっといろいろと書いてなかった」
「後は、駄文です。長いから読んでないんですよ」
ヤンは、最後の数行以外は読まなくて大丈夫だと言いきった。隠字で書いてあるから、なにが書いてあるかはわからない。
しかし、絶対にお小言か、説教。これしか書いていないからスルーだと、不良弟子は確信している。
「そ、それでいいのか……ところで、ヤンは料理作れるのか?」
「作れますよー。と言っても、宮殿料理のような効果で凝った料理ではないので、あまり期待しないで待っててくださいませ」
そう言って、ちゃっちゃとヤンは鍋に具材を入れていく。そのまま、調理していると、イルナスがなんとなくやりたそうな表情を浮かべていた。
元皇子に本来召使いがやる料理までさせてしまってもよいのか、少し悩んだが、やっておいて損はないので、近くへと呼んだ。
「ポンポン草は、シャキシャキと歯ごたえがよくてサラダに向いてます。で、ヤル羊の肉は辛潤油と相性がいいんで、混ぜて焼きます。あと、ここら辺は米を栽培してるので、土鍋で米を炊きます。イルナス様手伝ってください」
「わかった」
嬉しそうな顔で、手伝ってくれるの可愛い。そして、本当に素直な子だなと感心する。上級貴族でさえ、料理を作るなどと言えば、不敬だと騒ぎ立てるだろう。それが、貴族の教育であり常識だ。
しかし、イルナスにはその辺の抵抗がまったくない。ヤンがやれば、自分もやる。それを当たり前だと思ってくれるとくらい懐いてくれるのが、とても嬉しかった。
一通り料理ができた。ポンポン草とサド緑茶のサラダ、ヤル羊の辛潤油炒め。あとは、ヤル羊の出汁に、ご飯。平民としてはごく普通のメニューである。
本当はもう二、三品目作りたいところだがあまり豪華だと他の村人から怪しまれる。
「本当はもっともっとおかずを充実させたいんですが、魔医の助手ではこれぐらいの食事しか出せないのです」
「僕は全然構わないけど、ヤンの料理美味しいし」
そう言いながらパクパクと食べてくれるイルナス、弾け可愛い。すぐさま、もう一品作って童子を喜ばせたい衝動を、ヤンは必死に自制した。
「……しかし、今日はなにかと入用でした。生活必需品と近所挨拶で結構使ってしまったので、節約せねばです」
「お金はヘーゼンやゼ・マン候に融通してもらえばいいんじゃないのか?」
イルナスの質問に、ヤンは笑顔で首を横に振った。




