35 たった一人の無成長者/声にならない心の叫び
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二人三脚での出来事は曽根紫音が用意していたシナリオであり、必然的に起こったことだ。少なくとも私はそう思ってる。
佑くんは気付いてなかったみたいだけど、このままではいずれ気付いてしまうと思う。
だって、長縄だって明らかにおかしかったから。二人三脚の一件があったから、私は長縄の最中、有紗ちゃんの様子をチェックしつつ跳んでいた。
確かに、有紗ちゃんが佑くんに言った通り有紗ちゃんのスペースは飛ぶ度に狭まっていたように見えた。それも、前方を跳ぶ曽根紫音がほんのちょっとずつ後退することによって。
それだけなら単純に曽根紫音のバランス感覚の問題だと言えるのかもしれない。
でも、佑くんには言わなかったけど、私と有紗ちゃんが場所を交代してからの最後の一回、特に狭くなっている感覚はなかった。つまり、有紗ちゃんの時はわざとだ。
有紗ちゃんの運動神経を知ってるくせにちょっと遅すぎだけど、佑くんが機転を利かせて対処してくれたから最悪を免れることができたわけで、もし佑くんの洞察力が並だったら今頃有紗ちゃんは凄く落ち込むことになっていたかもしれない。ただでさえ、二人三脚であんなことになっているのだから。
私が思うに、曽根紫音の真のターゲットは佑くんだ。林間学校での件が何よりの証明。
有紗ちゃんはその為に利用されているに過ぎない。当然、それも許せないけど。
私のせいだ……。
私が軽い気持ちで、佑くんの家に来て良いよ、なんて言ってしまったからこんなことになっている。あの時から有紗ちゃんを表のターゲット、佑くんを真のターゲットに決めていたに違いない。
佑くんは家に来ることを拒否してたのに、私が余計なことを言ったせいで。
どうして有紗ちゃんなの……?
どうして私にしてくれなかったの……?
本物の地獄を知っている私なら、この程度余裕で耐えられたのに、どうして――。
次にまた何か有紗ちゃんにとって不都合なことが起これば、佑くんもきっと気付いてしまう。
絶対に佑くんに気付かせるわけにはいかない。
気付けば絶対に自責の念に駆られるから。自分のせいで巻き込んだって思うから。自分が傷付けたって思うから。
それは違う。私が引き起こしたことだから。
佑くんを守るなんて言っといて、こんなんじゃ私は全然それができてない。
私のヒーローにはいつまでもヒーローでいてほしいから、私が守るんだ。
ヒーローに有紗ちゃんを傷付けさせたりなんか、絶対させない――。
さぁ、どう動いてくる。今回は何を狙ってる。それが全くわからない。でも、わからなくても閃いたことがある。
さっきからずっと、相手チームの騎馬と有紗ちゃんの騎馬の両方に意識を集中している。かれこれ、騎馬戦が始まってから二分くらいが経った頃だろうか、一瞬だって気が抜けない。
私は騎手。全体を見渡せる。
「このまま有紗ちゃんの騎馬の真横を維持してっ!」
「わかりましたっ!」
騎馬を担ってくれてるあやちゃんと弥生ちゃんと希ちゃんには、私の指示通りに動いてもらっている。当然、曽根紫音が騎手を務めている有紗ちゃんの騎馬にピタリとくっ付いて動いてもらっている。
曽根紫音は自分の騎馬に有紗ちゃんを含んでいるのだ。これも今思えば、有紗ちゃんを狙ってのことだとしか思えない。
私はあえて相手のハチマキを取らず、曽根紫音が取れるように仕向けている。その甲斐あって、既に有紗ちゃんの騎馬は既に三騎撃破している。
有紗ちゃんの目標は体育祭で良い結果を残すこと。騎馬戦で三騎撃破なら、充分な功績と言えると思う。
全体の騎馬の数も半分ほどになった。
もうそろそろ、頃合いみたいだ。
まだ四騎も残っている虹チームに私の騎馬と有紗ちゃんの騎馬が囲まれた。一騎だけ倒して、できた退路から脱出しよう。
「ちょっとまずいから、一騎だけ倒して脱出するよっ……! ぐるっと反転してっ!」
私の指示通り、騎馬が百八十度反転した。
「――っ!」
囲まれているから猶予はない。
真正面から伸びてきた相手の手をなんとか避けて、すかさず左手を伸ばしてハチマキを奪う。
「――今っ! 早くっ!」
脱出を指示し、騎馬が包囲網を突破する。
虹チームの騎馬が追ってきていないか確認する為に後ろを振り返ると、追ってきていることはなく狙い通り有紗ちゃんの騎馬が囲まれたままとなっていた。
良かった……。これでこのまま倒されてくれれば、何事もなく無事に終わる。
敵チームを三騎も撃破したことだし、これで有紗ちゃんも無事活躍できて騎馬戦を終えられる。
狙い通り、有紗ちゃんの騎馬が今、ハチマキを取られた。
それを見て心の底からホッとしている私って……。有紗ちゃんの騎馬戦がタイムアップまで保つことなく終わるのを見て喜んでいる私って……。
本当に、嫌な奴だ……。
有紗ちゃんたちがフィールド内から退却する為に騎馬を崩し始めた。
何はともあれ、これで無事に騎馬戦が――。
「あっ……」
そう思った私の目に映った一瞬の出来事が、全ての期待を裏切った。
私の閃きなんて、何の意味もなかった。
本当にやらなきゃいけなかったことは、最後まで有紗ちゃんの騎馬を守り通すことだったんだ。タイムアップになった後ならフィールドに残った騎馬の数が少ないだけに、会場中の目が集中する中であんなわざとらしいことはできなかったと思うから。
私なら守れたはず。でも、やらなかった。今更そんなことに気付いても、もう遅すぎる。
結局、私には何も守れない。
自分も、友達も、幼馴染も、昔の親友も――。
でも、私は悪くなんかない。だって有紗ちゃんは昔、私を見捨てたんだから。
だから守ってあげる義理なんかないはずなのに、どうしてこんなにも、心が押し潰されそうになっているのか。
それはきっと、一年以上見てきたからだ。あの時を悔いて、必死に変わろうとし続けてきた有紗ちゃんをずっと見てきたから。
本当はもうとっくに、あの時のことを許しているから――こんなにも心が締めつけられるんだ。
あやちゃんが変わり始め、有紗ちゃんに至っては凄い変わった。
変わっていないのは私だけ。あの時から、何の成長もしていないのは、私だけだったんだ――。
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紫音のハチマキが取られた。これで私たちの騎馬の役目はおしまい。
はるちゃんたちの手助けもあって三騎も倒すことができた。手助けされながらとは言っても、ここまで二人三脚で大失敗、長縄はどちらかと言えば悪い結果に終わっていたから、今日初めてまともに活躍できた気がして凄く嬉しい。
後でちゃんとお礼言っとかなきゃっ!
フィールド内から退却する為に騎馬を崩し始め――。
「――きゃっ?!」
――騎馬から降りる際にバランスでも崩したのか、紫音が後方左側の私の方に倒れ込んできた。
そのまま私は下敷きになる形でフィールド内に倒れてしまった。
「……いったぁ」
「ご、ごめんっ……! 降りる時バランス崩しちゃって……」
「あっ、良いの良いの……! わかってるから」
とはいえ、何か今日は痛い思いを結構している気がするし、こんな日も珍しい。今度は左肘を擦りむいてしまった。
でもまぁ、今の騎馬戦は活躍できたはずだし別にいっか。
「あーちゃん、肘……。――と、とりあえず水道で洗おっ……!」
「うん、ちょっと行ってくるね」
そのままもう一度保健室に向かってと……。私、自分で消毒とかまともにできるのかしら? ま、テキトーにやればなんとかなるわよね。
「わ、私も付いて行くよ」
「じゃあ、お願いしても良いかしら?」
やっぱり不安だ、自分で消毒とかしたりするのは……。
水道で洗い流したら、そのまま紫音に保健室までついてきてもらお。で、手当てもお願いしちゃお。
「もちろんだよっ! じゃあ、急いで向かおっかっ!」
紫音は私の手を取り走り出した。
このくらいのペースなら、今の私なら楽勝。これも特訓の成果ね。
ヤバイ、ちょっと息が……。
そのまま紫音に手を引かれ、やってきた場所はメイントラック側の水道。大多数の人が今も行われている騎馬戦の様子を見守っている少し後方の水道。
「御影さーんっ! ファイトですっ!」
「ま、まずいまずいまずいっ……! 虹チームに御影さんが囲まれたっ……!」
はるちゃん応援部隊みたいな連中が大声で応援したり、はるちゃんがピンチなのか焦りを見せたりしている。
というかあんたら、黄チームならともかく、違うなら自分たちのチームを応援しなさいよ……。
「陽歌っー! 気合いよっ! 気合いっ! 佑紀くんのやらかしを帳消しにしてあげなさいっ!」
「そうよーっ! 呆気なく瞬殺されたバカ佑紀の分もなんとか切り抜けなさいっ!」
昔は本当に良くしていただいたはるちゃんのママを見つけた。その横にいるのはあいつのママだろうか。なぎちゃんも横にいるから多分そう。なぎちゃんは騎馬戦を観ているというか、辺りをキョロキョロしている。
誰か探してるのかしら?
「ゆ、佑紀って椎名佑紀のことだよな……?」
「あの野郎……、絶対許さん」
マザーズからのはるちゃんへの声援により、あいつは自分の知らないところで男どもの恨みを買った模様。ちょっと可哀想かも……。
おっと、そんなことよりさっさと洗い流さなきゃ。
水道の蛇口を捻り、水を左肘に流していく。
「あぁ……。俺の御影さんがっ……」
「くっそー、我がチームながら良くもやってくれやがったな。はぁ……、虹チームじゃなくて黄チームになりたかった」
観衆からため息混じりの声が上がり始めた。どうやらはるちゃんが倒されてしまったみたいだ。
というか、いつあんたらのはるちゃんになったのよ。それと、やっぱり黄チームじゃなかったのね。はるちゃんを倒した虹チームの一員なら、素直に喜びなさいよ。
「――きゃっ?!」
肘を洗い流していた私に、突然大量の水が勢い良く掛かってきた。
何……? どうして私は今、びしょ濡れになっているの?
私の使っている蛇口の水は、今もさっきまでと同じように私の肘に掛かり続けている。それでも水は、今も尚、私の全身に掛かり続けている。
恐る恐る横を見ると――。
「――っ?!」
――私の顔目掛けて一直線で水が飛んできた。
「ご、ごめん……。手を洗おうとしたんだけど、操作ミスしちゃって」
そんな言葉と同時に水こそ止まったが、一つ隣の蛇口が私の方に向けられているのが目に入った。その蛇口の先端には指が当てられており、威力を上げる為にそうしていたとしか思えない。
手を洗おうとしていたなんて、明らかに嘘だ……。いや、もう隠す気すらないのかもしれない。まったくもって悪いと思っていないとしか感じられない笑みが私を捉えている。
二人三脚、長縄、騎馬戦、全ての競技で今日は私に不都合なことが起こりすぎている。
今更になって気付いてしまった。全部、何もかも最初から仕組まれていたことなんだ。
昨日までの二人での練習も、日頃からの私に対する友好的な接触も、あの雨の日に椎名の家に自分も行きたいと言ってきたことも、全部全部、仕組まれていたんだ……。
全ては、今日の日の為に――。
「――おっ、おいっ! 見ろよあれっ……!」
「姫宮さんびしょ濡れじゃねーかっ! ブラ紐が透けて――」
「やっべっ! やっぱマジで良い体してるよなぁっ!」
何やら私を卑猥な目で見ているであろう声が聞こえ始めた。だからといって、いつもみたいに睨みを利かせて強気を演じる気力も出てこない。
力が抜けて、この場に膝から崩れ落ちてしまう。
髪からポタポタと落ちる滴、はたまた顔から流れ落ちる滴が地に落ちて混ざり合っていく。
あぁ、そうだった、本当の私ってこれだったっけ……。
弱虫でビビリで、本当に大切な時に何もできなくて。
そのくせ、昔の出来事を悔いているから変わりたいとか簡単に言ってしまうし、今思えば綾女を助けてきたつもりになっていたのだって、自分の為にしてきたことだとしか言いようがない。
誰かを裏切ったから、それを償う為に次は誰かを利用して、その結果がこれなんだからこんな奴にはお似合いだ。
曽根紫音をどうこう言うつもりはない。だって、彼女がしていることだって私と同じなんだから。きっと、何かの目的の為に私を利用し、私を裏切ったんだと思う。
だからこそ、目に映る人物に似ている私が腹立たしい。こんなやり方、間違っていると素直に言えない自分が虚しい。
私が本当に変わらなきゃいけなかった部分は、こんなところなんかじゃなかった。
私が本当に変わらなきゃいけなかった部分は素直になれないところであって、本当にやらなきゃいけなかったことは――素直にあの時のことを、心の底から謝ることだったんだ。
そのことにやっと気付けたというのに、どうしてか顔から流れ落ちる滴だけが止まってくれない。
「あちゃー、大注目だね、姫宮さん。あ、そうそう、リレーも頑張ろうね。バトン渡すの、楽しみにしてるから」
そんな彼女の言葉が、私の耳に虚しく響いてきた。
怖い、辛い、寒い――。
あの時、手を差し伸べられなかった私がこんなことを思うのは虫がいい話だとはわかってる。きっと、今の私以上に辛かったはずだから。
でも、私は弱いから――誰か、助けて。
誰にも届かない心の叫びが、私の中で虚しく繰り返された。
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