31 ご褒美の条件
「おう、椎名っ! おつかれさん」
「スッゲーな椎名っ! お前めっちゃくちゃ速かったじゃねえかっ! 隠してたなんて水臭えぞっ!」
ゴール付近で観ていたのか、千六百メートル走を終えた俺の元に相沢と涌井が駆け寄ってきた。
「あぁ、いや、まぁちょっと久しぶりに頑張ってみた」
主に、罰ゲームを回避する目的で。
結局、ぶっちぎりで一位になれたのかはわからない。俺がゴールした後、どれくらいで後続がゴールしてきたのかは覚えていない。
どちらにせよ、ぶっちぎったかどうかは俺が決めれることではなく陽歌と有紗の判断次第といったところだ。だから今は、あいつらの優しさを信じよう。
「佑紀くんっ!」
「ん?」
やけに弾んだ声で名前を呼ばれた為、後ろを振り返るとそこには雪葉さんと未来先生がいた。
「これは何でしょう?」
右手でチラつかせてくる物はスポーツドリンク。
なるほど、それがご褒美というやつですか。
「雪葉お姉ちゃんって呼んでくれたらあげちゃうぞっ!」
何なんだよマジで……。いちいちめんどくせぇ。
「未来先生、ご褒美に何くれるんですか?」
「おねーさんは今度弥生日和で奢ってあげちゃうぞっ!」
「おぉっ! ありがとうございます」
思いもよらぬ、まともなご褒美で感動しかけた。
「――ちょっ! ちょっとぉっ! 私は無視っ?!」
「ん? あぁー、この飲み物がご褒美なんですよね? ありがとございまーす」
と、雪葉さんの右手からペットボトルを奪い、勝手に飲み始める。
「――あっ! こーらっ! 雪葉お姉ちゃんって呼んだらあげるって言ったでしょ?!」
「はぁ……。はいはい、雪葉お姉ちゃんありがとう……」
いつまでも言ってきそうで面倒だったから、仕方なく呼んであげた。
「――んもぅっ! 佑紀くんったら可愛いんだからっ!」
「……え? 何で抱きついてくんの? 離れてくれません?」
もしかしたら、雪葉さんの思考回路は未来先生以上に複雑なのかもしれない。突然背中から抱きついてきやがった。
その理解不能な行動に、思わず拒絶反応を示してしまう。
が、今更ながら柔らかいものが背中に当たっていることに気付いた。
明らかに、妹の杠葉さんよりも大きなものが俺の背中に当たっている。
サイズを比較するなら、よくわからんが有紗くらいのサイズだろうか。とりあえず結構大きめな気がする。
拒まなければ良かった……。むしろこれこそが最高のご褒美というやつだったのではないだろうか。
だがもう遅い。拒んでしまったからには流石の雪葉さんも離れるはず――。
「――やだよぉーっ! 離れませーん」
忘れてた……。この人の思考回路は複雑なんだったわ。どうやら離れてくれないらしい。まぁ、願ったり叶ったりだけど。
「――おっ! おいっ! 椎名っ! おま、お前っ! こんな美人のお姉さまとお知り合いだったなんて、聞いてねーぞっ?!」
涌井が何やら声を荒げているが、どうしてわざわざこんな変な人と知り合いだなんて自慢しなければならないのか。
確かに顔こそ圧倒的だが、言動をよく見てくれ。恥ずかしくて自慢なんてできるわけがないだろうが。
「あらぁ? そっちのボクももしかして良い子なのかしらぁ?」
「――はっ! はいっ! 僕は、涌井猛と言いますっ! よ、よろしくお願いしますっ!」
涌井が雪葉さんにデレデレしている姿を、臼井に見せてやりたい。もっとわかりやすく言うと、リア充爆発しろ。古いけど。
「私は杠葉雪葉でーすっ! 涌井くん……? 聞いたことある名前ね」
「えっ?! 僕の名前をですか?! ……って、あれ? 杠葉?」
これまで見たことないほどに礼儀正しい姿の涌井が、何かに気付いたのか首を傾げた。
「この人、杠葉のお姉さんだぞ」
そんな涌井に、相沢が答えを教えている。
「――えっ?! 杠葉のっ?!」
「あ、思い出したわぁ。綾女に良くしてくれる子の一人よね。いつもありがとね」
「――い、いえっ! こちらこそ本当に良くしていただいてましてっ!」
涌井はヘコヘコと頭を下げ始める。
「それより雪葉ちゃん、いつまで椎名くんに抱きついてるわけぇ? 綾女ちゃん、相当怒ってるわよぉ?」
未来先生はある方向に目をやりながら、そんなことを言い出す。釣られるようにその方向に目を向けると、杠葉さんと有紗と陽歌、それから渚沙がいた。
「あら綾女。いつからいたの?」
「今さっき。逆にお姉ちゃんは、いつから佑紀さんに抱きついてんの?」
今まで、杠葉さんが怒っているところは見たことがあるが、今日のそれは今までとはわけが違う。
ブチギレというやつだ。表情から声のトーンまで、これまでとは比べ物にならない怒りを感じさせている。
「うーん、二分くらい前からかなぁ?」
「――良いから離れてっ! 佑紀さんもっ! ちゃんと拒んでくださいっ……!」
「あ、いや、俺は一応拒んだのですが……」
嘘は言っていない。が、内心まだこの感触を感じていたい。
「そーんなこと言って、どうせ佑くん、雪葉さんの胸の感触でも楽しんでるんでしょ?」
「――余計なことを言うなぁっ!」
どうして俺の幼馴染は火に油を注ぎたがるのか。
俺の思考を予想するのは構わないが、それを口に出すのはやめてほしい。ついでに、当たり前のように正解してくるのもやめてほしい。
「あらぁ? そうだったの佑紀くん。言ってくれれば、もっと強く当ててあげたのにぃ」
一体、この人は何を言っているのだろう。
巫女という存在への幻想がまた一つ、崩れる音がした。
「――良い加減さっさと離れてよっ!」
と、杠葉さんが強引に俺から雪葉さんを引き剥がした。
「な、なんか、姉妹って感じだな……」
涌井からそんな感想がポツリと溢れた。
「さぁ、行きますよ。もう長縄の集合時間なんですから」
杠葉さんがジトッと俺を睨んでそう言った。
「は、はい……」
色々と、終わった……。
「じゃあ、なぎは母と合流しますので」
渚沙がこの場を離れていく。それを見送り、俺たちは集合場所に向けて歩き始めた。
「ん? どうしたのあんた。表情が暗いわよ」
「杠葉さんに、嫌われた……」
「あぁ、あれね。大丈夫よ。ちょっと怒ってたけど、あのくらいであの子があんたに愛想尽かすことは絶対無いわ」
「なんでわかんの?」
「無いもんは無いの。だから元気出しなさい」
そうは言われても、無根拠すぎてやはり不安だ。けど、今はとりあえずその言葉を信じる他無さそうだ。
「ちょっといいかしら佑紀くん」
「はぁ?」
後をついて来ていたのか、雪葉さんが俺の肩を叩いてきた。
時間も無いし、そもそも先程の一件はこの人が原因でもあるし、若干イラつきながら返事をしてしまう。
「確かに、佑紀くんはさっきの長距離、頑張りました。でもね、私が期待してたのとはちょーっと違ったかなぁ」
「どうゆう意味ですか?」
「感覚が違ったっていうかぁ。だからご褒美は今のところは無しね」
「さっきのドリンクがご褒美なのでは?」
「私、そんなこと言ったっけぇ? あれはただあげただけよ? ご褒美なんかじゃないわ」
あっそうですか。何でも良いですけど。俺にとってはご褒美だったんで、色々と。
「でもでも、まだ体育祭は終わったわけじゃないし、この後の競技で私が納得できたら、その時はご褒美、ちゃーんとあげるからね」
「期待して待ってまーす」
気怠げに返事をしてから、再び集合場所に向けて歩き出す。
何だその条件は。不透明すぎて、もはやご褒美とかどうでも良いわ。
何なら、さっきのやつで充分ご褒美だったわけだし。……いや、杠葉さんを怒らせたのだからご褒美とは真逆だ。
やってくれたな雪葉さんよっ……!
「何話してたの?」
「なんかよくわからんけど、体育祭で雪葉さんを納得させたらご褒美をくれるらしい」
「へぇー! 良いわね、それっ! 私ももらえるかしら?!」
「知らね。もらえるんじゃね? 多分」
「あいっかわらずテキトーね」
「それはそうと、罰ゲームの件はどうなったのでしょう?」
最後だけはできる限り死力を尽くしたのだ。
お願いだから両方とも無しにして――。
「――あぁっ! それ? はるちゃんと審議した結果、決まってた二つの罰ゲームのうちの一つは減らしてあげることにしたわ」
「おいコラァッ! そこは両方帳消しにしろやっ!」
お前らの優しさを信じた俺がバカだったよ……。
「とりあえずあんたに選択権をあげるわ。一発芸百連発か、それともまだ内容は決まってない罰ゲーム。どっちを無くす?」
「考えるまでもなく一発芸百連発に決まってんだろがっ!」
もう一つは内容が決まっていないらしい。
ホントに最後だからな? 最後にもう一回だけ、お前らの優しさに賭けてやるよ。
頼むから、優しい罰ゲームにしてくれ……。
というか神様、今朝お願いしましたよね? 良い加減俺に優しくしてって。
いつになったら優しくしてくれるんですか?
即効性が無いのは百歩譲って許すけど、もう良い時間ですよ?
と、心の中で神様に文句を垂れつつ、長縄の集合場所に向かった。




