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30 千六百メートル走~胸元に感じた確かな感触

 先に行われた女子八百メートル走が終わり、いよいよ俺の個人種目、男子千六百メートル走が始まる。

 ちなみに春田は全体の真ん中辺りの順位でゴールしていた。


 得意ではない割に良く頑張りました。拍手。


 と、春田に心の中で呑気に拍手している俺は、現在スタート地点にいる。それも、全選手の中で一番後ろ、外側の端っこという最悪のスタート位置に。


 集合時間に遅れた俺は、当然全選手の中で一番遅れて集合した(たる)んだ人間だ。

 集合したのが早い人順に入場するわけだから、必然的に俺の入場は最後。つまりスタート地点も一番ゴミ。

 三学年八クラス分の人数がいて、一位を狙うにはそれなりに不利な位置だから一位を狙ってる奴は良いスタート位置を確保しているだろう。


 まぁ、それくらいのハンデくらいはくれてやろうじゃないか。ついでに、ラスト二百メートルくらいまでは接戦を演じてやるから、そのハンデも生かして精々足掻いてくれたまえ。


 「位置について、よーい――」


 ――バンッ!


 号砲とともに男子千六百メートル走が始まった。


 それぞれ、違ったペースで走り出す。

 二、三名、猛烈なスタートダッシュをして一気に先頭集団としての位置を確保する者がいるが、どうせそのうち力尽きるし、それは無視してひとまず第二集団の後方辺りを確保しておこう。


 四百メートルトラックを四周。

 まずは一周目の半分を過ぎたあたりといったところか、丁度俺たち黄チームのテントの前付近にやって来た。


 「佑くーん! さっさと先頭に立たないと罰ゲームだからねぇー!」

 「そうよっ! 一発芸百連発の刑よっ!」

 「えー、でもお兄ちゃんの一発芸、絶対つまんないですよー」

 「佑紀さんっ! ファイトですっ!」


 陽歌、有紗、渚沙、杠葉さんからそれぞれ声を掛けられた。


 約二名、無茶振りしようと目論んでいる奴らがいるが、お前ら普通に応援とかできないの?

 一発芸とかやるわけねぇだろっ! しかも何? 百連発って。本物の芸人でも半分はスベりそうだよなそれって。

 というか、渚沙に至っては応援してくれているのかすら謎だ。ま、良いけど……。


 それよりも、有紗の怪我の手当ては終わったんだな。思った以上に元気そうで何よりだ。


 そんなことを思いながら黄チームのテント前を通過していった。


 そのままメイントラック側までやってきて、一周目の残り百メートルを切ったところで二岡と曽根の姿が目に入った。


 何やら楽しげに会話をしている様子。

 ついでに、周りにいる女子たちはまるでレースになど目を向けずに、二岡に視線を集中させている。ちょっとばかり嫉妬してしまいそうだ。


 だが俺にもつい先程黄色い声援? が送られたばかりだ。

 二名ほどわけのわからないことを言っていたが、しょうがないから次に黄チーム前を通過する時には第二集団の先頭くらいには立っておこう。


 と、少しばかりスピードを上げた。


 程なくして、二周目に入ったところで、スタート時に猛ダッシュをした三人のうちの二人を第二集団が捉えた。


 まぁ、そりゃそうなるよね。でも、ある意味目立っていたんじゃないか? メイントラック側、殆ど二岡に目を向けてるけどね。


 そのまま黄チーム前テントの直前までやってきた。ここらでとりあえず第二集団の先頭に立っておこう。

 と、また少しスピードを上げ、黄チームテント前ギリギリのところで第二集団の先頭に立った。


 「佑くーんっ! 先頭じゃないから罰ゲーム確定ねっ!」

 「次またここを一番で通過しなかったら追加罰ゲーム確定よっ!」

 「お兄ちゃーん、なぎはその方が何となく面白い気がしてきたから二番以降で通過してねー」

 「佑紀さーんっ! 残り二周半ですっ! 頑張ってくださいっ!」


 これまた、有難い? ことに声を掛けられた。


 だから、陽歌と有紗よ、普通に応援できないのかな?

 それに渚沙っ……。俺の罰ゲームが増えることがそんなに嬉しいか? お兄ちゃんの不幸を喜ぶ妹に育てた覚えは無いんだけど?

 ――というかっ! 罰ゲーム確定しちゃったのっ?! 云うてまだ一周半くらいしか走ってないんだけど?! いくらなんでも猶予なさすぎない?!


 無理無理無理無理……。一発芸百連発とか絶対無理。ついでに追加罰ゲームとか絶対無理。

 それだけは絶対阻止しなければ。


 見た感じ、最初猛ダッシュを仕掛けた先頭で走ってる残りの一人は明らかにペースが落ちてきている。

 この分なら、次に黄チームテント前を通過する時には余裕で抜かせているはずだ。


 そのまま再びメイントラック側に走っていく。未だ、女子たちの視線は二岡に釘付けだ。


 おっと、母さんと彩歌おばさん発見。

 良かった……。ちゃんとレースに目を向けているようだ。

 年増のおばさん二人がキャーキャー言いながら息子、娘と同級生の二岡にメロメロだったらこの場で吐いてた自信がある。

 そうじゃなくてホント良かった……。


 「佑紀くーんっ! 一番だったらおねーちゃんたちがご褒美あげちゃうぞっ!」

 「ちょっと雪葉ちゃん、それって私の口癖マネしてないっ?! ――あっ! 椎名くーんっ! 頑張ったら頑張った分だけおねーさんたちがご褒美あげちゃうぞっ!」


 そのままメイントラック側を走っていると、何の奇跡か俺に応援の声が掛けられた。

 俺に声を掛けてきたのは雪葉さんと未来先生。

 雪葉さんは水色の薄着のワンピースに麦わら帽子を被っている。結局、日焼け対策の羽織り物はどうしたのだろうか。ま、どうでも良いけど。


 未来先生は、一応ジャケットを着ていないもののスーツ姿だから暑そうだ。イメージ的に、こんなクソ暑い中外に出て来たりせず、冷房ガンガンの事務室で(くつろ)いでそうだったから観戦に来ているのは意外だ。


 雪葉さんの隣にいるのは、杠葉さんのお母様だろうか? かなり似ている。うちの母さんや陽歌の母親といった年増のおばさんより断然若く見えてしまう。


 一見、超絶美人の雪葉さんからのご褒美なんて男なら是非とも頂きたいと思うのが普通だろう。だがしかし、どうしてかロクでもないご褒美な気がしてならない。それもそのはず。雪葉さんの隣にいる、変人こと未来先生と同じ波長を感じるから。


 だからそのご褒美とやら、ほしいものだったら遠慮なく受け取り、ロクでもないものだったら有無を言わさず受け取り拒否させてもらおう。


 二周目が終わる頃、先頭を走っていた最後の一人を第二集団が捉え、そのまま先頭集団となった。

 先程黄チーム前を通過した際はその先頭に立っていたが、今はちょっとばかしペースを落として三番目くらいの位置につけている。

 そろそろもう一度、先頭に立っておきますか。


 と、少しペースを上げて他チームのテント前で先頭に立ち、そのまま黄チームのテント前までやってきた。


 「佑くーんっ! あからさまに手を抜いてるのがわかるから、追加罰ゲーム確定ねっ!」

 「そうよっ! 次が最後よっ! ちゃんと一位でゴールしなきゃ更に追加罰ゲーム確定よっ!」

 「お兄ちゃーん、その方が面白いから二位以降でゴールしてねー」


 ――ちょっと待てやっ! 追加罰ゲームの条件はここを先頭で通過しなかったら、だったじゃねーかっ! ちゃんと先頭で通過したんだけど?! なのに何で追加罰ゲーム確定なんだよっ……!

 それと渚沙、良い加減お兄ちゃんの不幸を望むのはやめような?


 「佑紀さーんっ! 残り一周半ですっ! 気力ですよっ! 気力っ!」

 「椎名せんぱーいっ! 芽衣が付いてますっ! ファイトですっ!」


 相変わらず、杠葉さんだけは普通に応援してくれている。陽歌も有紗も見習ってほしいものだ。


 それから、しれっと橘も俺の応援に加わっていた。陽歌や有紗からの応援よりよっぽどまともな応援をしてくれているから、俺の中での好感度が上がってしまいそうだ。


 とりあえず、最後の追加罰ゲームの条件は一位にならなかったら、らしい。

 そもそも、何で俺だけ罰ゲームを賭けたレースをしなきゃならんのだ。

 恐らく、言い出した奴は陽歌だろう。あいつ、ハードルの決勝で一位にならなきゃ罰ゲーム確定にしてやる。絶対に。


 そのままレースは進んでいき、先頭集団を維持したままラストの一周に入った。


 そういえば、先程メイントラックを通過した際に二岡の姿が見えなくなっていた。そのおかげかメイントラック側にいる女子たちもレースに視線を移していたような気がする。


 残り約半周。黄チーム前を通過するのもこれで最後。最後くらいは陽歌と有紗もまともな応援してくれよ。


 「佑くーんっ! まだ手を抜いてるみたいだけど、ここからぶっちぎりで一番になった罰ゲーム無しにしてあげるよーっ!」

 「だから椎名っ! 最後くらい根性見せなさいっ!」

 「お兄ちゃーん、まぁ、精々頑張ってー」

 「佑紀さーんっ! ラストスパートですっ!」

 「椎名せんぱーいっ! 絶対負けないでくださいねっ!」


 今、俺の中にレースが始まって以来史上最高のやる気が湧いていた。

 陽歌と有紗、ついでに渚沙が最後の最後にまともな応援をしてきたからかと聞かれたら、そうではない。


 ここからぶっちぎれば、これまで蓄積された罰ゲームが無くなるだと……? そんな願ったり叶ったりの条件に、乗らない手はないっ!


 必要以上に目立ちたくはないのだが、罰ゲームと天秤に掛ければ可愛いものだ。


 ここまで約千四百メートル走り続けた身体を奮い立たせ、全てを賭けた全力のラストスパートを切る。


 上昇する心拍数に呼応するように動き出す手足。

 無我夢中で走り続ける。

 流石に呼吸が苦しい。

 後ろは付いて来ているのだろうか。そんなことはどうでも良い。いや、ぶっちぎらなきゃ意味がない。


 ――もっと速く、動けっ……! 俺の身体っ!


 メイントラックに入ると、ギャラリーからの熱気を感じる。だが、その声は耳に入ってこない。抜けていく感覚。


 目に映るものはゴールテープただ一つ。それ目掛け、ただひたすら腕を振り、地面を蹴る。


 俺の胸元に感じる、確かな感触が教えてくれた――。


 一気に全身の力が抜け、そのまま五、六歩、足を動かしたところで両手を地に着く。


 「はぁ、はぁ――」


 呼吸を整えようとしても、流石にまだ無理だった。


 背後から足音が次々に聞こえて来る。


 俺の真横を通過した先で倒れ込む者。真後ろで膝に手を当てている者。あと数メートルで、ゴールする者。


 その誰よりも先に、俺はゴールテープを切ったんだ。


 「はぁ、はぁ、はぁ……。へへっ、俺の、勝ちっ……!」


 いつぶりだろうか、こんなにも運動において本気を出したのは。多分、ほとんど一年ぶりくらいだと思う。

 そのおかげで流石にちょっと疲れている。だって、どんな距離だろうと結局最後にラストスパートをすれば疲労感に襲われるものだと思うから。


 でも今日は、そんな疲労感も少しだけ心地よく感じていた――。


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