28 二人三脚~ゴールテープは目の前で
「ねぇねぇお兄ちゃん。有紗さん、例の人と出場するんでしょ……? 大丈夫なの?」
渚沙を連れてメイントラック側に移動している最中、渚沙がやや不安そうな表情で聞いてきた。
「ん? あぁ、曽根のことか。大丈夫だろ。毎日二人で必死に練習してたわけだしな」
「大丈夫だって言う根拠は? なぎ、あの人信用できないんだけど?」
「まぁ、俺もあいつ自体は信用してるわけじゃないけど、この目で見てきたからな。二人の練習する様子は。それが全てだ」
これから出る結果はどうであれ、この二週間で二人がしてきた努力は無駄にはならない。俺はそう信じてる。
曽根のことはやはりあの件が尾を引いていてまだ信用することはできないが、それでもいつかは信用できるようになれば良いなと思っている。
「ふーん……。そう言い切るんだったら、何かあったら責任取れよクソ兄貴」
「『クソ兄貴』って……。突然辛辣ですね、ホント」
どうして急に『クソ兄貴』などと言われなければならないのか。
いや、今までも何度も言われてきたけど、今回は俺、特に何もやらかしてないからな?
「――あっ! 佑くーんっ! 渚沙ーっ! こっちこっちー!」
メイントラック側に到着すると、陽歌が手を振ってきた。杠葉さんも陽歌と一緒にいる。
「お待たせしました綾女さん。遅くなり申し訳ありません。ちょっとお兄ちゃんがダラダラしてたので……」
「……ダラダラとは。お前呼んでからすぐここに来たよな? それに遅れてねえし、何ならまだ二人三脚始まってねえし」
「それよりお兄ちゃん、周りからすっごい見られてるよ? 何やらかしたの?」
「ん?」
渚沙に釣られて周囲を見渡すと、ホントにすっごい見られてた。主に、野郎どもから。
俺たちの御影さんと馴れ馴れしくしてんじゃねぇ! 的な圧を物凄く感じる。毎度お馴染みの展開に良い加減飽きてしまいそうだ。
それと、野郎ども及びその他女子たち、二岡くんの彼女に手を出すなんて、そんなの彼に対する侮辱だっ! 的な視線をやめてくれ。そもそも、間違ってるのはお前らだからな?
「何もやらかしてなんかねぇよ。もう、ほっとけば良いわあんなん……」
「ねぇねぇ陽歌ちゃん。お兄ちゃんは何をやらかしたの?」
渚沙は俺の言葉を信じてくれず、陽歌に確認している。
だから、何もしてないって言ってんだろが……。
「佑くんはねぇ、嫉妬されてるんだよ。こーんなに可愛い私たちに囲まれて、他の男の子は佑くんにイラついてるのっ!」
「――あぁーっ! こーんなに可愛い綾女さんと、こーんなに可愛いなぎに相手にされて、それでその他の男の人たちはムカついてるのかぁっ! 納得」
「――わっ! 私は別に、可愛くなんかないですよっ?!」
「――ちょっと渚沙っ?! さりげなく私を省かないでくれるっ?!」
渚沙の言葉に杠葉さんと陽歌は、それぞれ違った反応を見せている。
杠葉さんは謙虚過ぎるし、陽歌は逆にちゃんと自分の可愛さを理解している。知ってたけど。
「お兄ちゃんはどう思う?! 綾女さんと陽歌ちゃん、どっちの方が可愛いと思う?!」
突然、渚沙から究極の選択を迫られた。
いきなりそんなこと聞かれても、選べるわけがないだろうがっ! そんなんどっちも可愛いに決まってるんだから。
それにそんな風に聞かれると、仮に答えが決まってたとしても答えづらい。
恥ずかしいし、選ばなかった方に史上最高に失礼すぎる。何故失礼かというと、選ぶのが俺だから。
「「ジーッ……」」
杠葉さんと陽歌からそれぞれ無言の圧力を感じる。
む、無理……。やっぱ答えらんない。
『三レーン、曽根紫音さん、姫宮有紗さんペア』
「姫宮さん頑張ってくださーいっ!」
「俺はやっぱ姫宮さんなんだなぁっ!」
「姫宮さんこっち向いてーっ!」
陽歌に負けず劣らず、有紗にも野郎どもから大歓声が沸き起こっている。流石は花櫻ビッグスリーの一角だ。
というか、二人三脚が始まった。有紗と曽根は一組目だったようだ。
「――おっ! 始まったぞっ!」
「誤魔化した……」
「ですね……」
誤魔化すも何も、もう始まるんだからそんなことに答えてる時間は無いのだ。
号砲とともに有紗の二人三脚が始まった。
有紗と曽根は全神経を研ぎ澄ませていたのか、スタートが抜群に良く、それだけでその他のペアを僅かに引き離した。
「良いスタートですよっ! 有紗さんっ! 紫音さんっ!」
「その調子だよ有紗ちゃんっ! ファイトーッ!」
杠葉さんと陽歌も声を張って応援している。
その応援の甲斐もあってか、有紗と曽根のペアは少しずつその他のペアを引き離していく。
非常に息が合っている。たったの二週間弱の短期間でここまで仕上げてくるとは、二人の執念を少し甘く見ていたようだ。
何より、運動神経皆無の有紗がここまで成長するとは。ただ有紗が良い結果を残せれば良いなと、それだけしか思っていなかった自分に腹が立ってきそうだ。
有紗が二人三脚で一番を取ることは無理だと思っていた。だが、それは俺の単なる決めつけで、有紗は本気だったんだ。そんなことわかっていたのに、俺は信じることができなかった。
伝わってくる気迫と執念が凄まじい。
これなら本当に、有紗の最大目標である、自分が活躍することによって周囲の杠葉さんの見方を変えるという目標だって――。
もう、ゴールテープは間近にある。
それを切ることが、一番の証明。
自然と口が開いた。
「あと少し――」
俺も声を出して応援をする。
そのつもりだった。
だが、最後まで言葉を出させてもらえることはなく――。
「えっ……? ――キャッ!」
バランスを崩し転倒。
「――っ!」
痛みからか、顔をしかめる有紗が目に映った。
その横を他のペアが抜き去り、ゴールテープは有紗の目の前で、切られてしまった――。
杠葉さんは有紗を心配そうに見つめ、陽歌は無表情でもはやレースなど見ておらず。
渚沙は怒りに満ちた表情で、俺を見ていた――。
※※※※※
大急ぎでレースを終えた有紗と曽根の元に駆け寄っていく。
「お、おい、有紗……」
だが、何と声を掛けたら良いかわからず口籠ってしまう。
「……なによ?」
結局、全てのペアに抜かれてゴールしたのは最後。やはり不満が大きいのか、有紗は非常に機嫌が悪そうだ。
「――あっ! 有紗さんっ! 膝……」
「あぁ、これ? これくらいなら大丈夫よ。それよりごめんね、綾女。あと少しだったんだけど、最後の最後でヘマしちゃった」
有紗の膝には転倒した際にできたと思われる擦り傷があった。有紗本人が大丈夫と言うように、浅い擦り傷だから大きな問題は無いと思うが、杠葉さんに謝るその表情は笑顔ながらも悔しさが滲んでいた。
「私に謝ることではありませんよっ……! それより早く保健室で手当てをしなければ――」
「――そういうことなら、これを使ってくれ。こういうこともあろうかと、昨日買っておいたんだ」
杠葉さんが有紗を保健室に連れて行こうとしたその時、抜群のタイミングで二岡が現れた。
「あ、ありがとうござい――」
「――余計なお世話よっ! あんたの慈悲なんていらないっ!」
有紗は二岡の消毒液やら絆創膏を使うのが嫌なのか、苛立ちを露わにしてそれを拒否し一人保健室に向かって歩いていってしまう。
「なにあれぇ……。あり得なくない?」
「信じらんないんだけど」
「二岡くんの優しさを無碍にするなんて許せない」
有紗の態度に、周りで見ていた女子たちから反感の声が上がり出す。
「ご、ごめんなさい二岡さん。私は有紗さんを保健室に連れていきますので」
杠葉さんは一度二岡に頭を下げてから有紗を追いかけていく。
「ご、ごめんね椎名くん……。一番を取らせるって約束して無理矢理ペア組んだのに取れなくて」
曽根が気まずそうに詫びを入れてきた。
「あー、いや。それより曽根は怪我は?」
「転び方がちょっと、あーちゃんにだけダメージ行っちゃうような転び方だったから……」
これまた曽根が気まずそうにそう言った。
「そっかそっか。良かったな無傷で。曽根まで怪我してたら有紗、もっと機嫌悪かっただろうし」
有紗のことだから、自分だけでなく曽根まで怪我をしていたら自分に怒りを感じもっと機嫌が悪かったと思う。だから、曽根に怪我が無かっただけ結果として最悪は避けたと言える。
「あー、うん……。それより椎名くん、そろそろ行かなくて大丈夫なの? もう集合時間じゃない?」
「――あっ! やっべ……」
二人三脚での件で、自分の競技のことなどすっかり忘れていた。
というか今が丁度、千六百メートル走の集合時間ではないか。
集合に遅れたからといって棄権扱いにされることは無いと思うが、急いで向かわなければ。
「んじゃ俺は行くわ」
と、この場を離れようとした時――。
「待って」
――陽歌が俺の体操服の裾を掴んできた。
「ん? なんだ?」
急がなければならないから、手短に済ませてほしい。
陽歌は俺の耳元に口を近づけ――。
「私は佑くんを、信じてるから」
――ぼそりと囁いた。
その言葉が意味するものは何なのだろうか。これから始まる男子千六百メートル走での結果のことだろうか。それとも、何か別のことだろうか。
どちらにせよ、その言葉に応える為にまずやるべきことは、これから始まる個人種目で一位を取ることだ。何か別のことだったのなら、それが終わってから考えれば良い。
「何々? 内緒話?!」
曽根が興味ありげに食いついてくる。
「私から幼馴染の佑くんへの、ただのエールだよ。内容は恥ずかしいから口外を拒否しますっ!」
陽歌が笑顔でそれに答える。
だが、それは心から笑っているものではなく、俺にはわかる偽りのものだった。
「じゃあ、行こっか渚沙。あ、どうする? 佑くんのレースを観る? それとも有紗ちゃんのとこに行く?」
「あー、んじゃ、有紗さんの様子見に行こ。お兄ちゃんのはその後でも間に合うっしょ。まだ、女子の八百メートルも始まってないし」
「そうだね。そうしよっか」
と、陽歌と渚沙は有紗と杠葉さんが先に向かった保健室に歩いていった。
「んじゃ、今度こそ俺も行くわ」
それだけ言い残して、大急ぎで集合場所に向かった。




