26 自分の為に
「うーん、ギリギリってとこか……」
男子ハードルが終わった瞬間、春田が考え込むようにポツリと呟いた。
恐らく、相沢が決勝に進出できるかどうかが気になっているのだろう。
男子八十メートルハードルの六組目に出てきた相沢は、その組の二着でゴールした。
合計九組ある中でタイムが速かった順に八名が決勝に進むわけだし、例え組の二着だったとしても決勝に進める可能性はあるわけだ。
感覚的にちょっと遅めかな? と思える組が俺的には二組あったから、もしかしたら何とか決勝に進めてもおかしくはないかな。
まぁ、そのうち結果が張り出されて決勝進出者もわかることだし、その時を期待半分くらいで待ってれば良いのでは? と、俺は思う。
「何がですか?」
それを聞いた渚沙が何のことか気になったのか春田に尋ねる。
「良介っちが決勝に進めるかどうかギリギリ、ちょっと厳しいのかな? と思って」
「ま、どっちにしろ相沢のカッコいーい姿が見れて良かったじゃないか」
「――なっ! 何言ってんの椎名っちっ……! べ、別にそんなんじゃないからっ!」
いや、そんなに必死になって否定されても、相沢のカッコいい姿が見れて良かったって顔に書いてあるし。
「ねぇねぇお兄ちゃん、もしかして弥生さんって相沢の奴が好きなの……?」
渚沙は春田の顔が真っ赤になるのを見て、そんなことを耳打ちしてきた。
「好きどころか、既にデキてるんだわ……」
「マジかぁ! 負けたねお兄ちゃん」
うるせーよ、わかってるよそんなこと……。
はぁ……。
なんで体育祭に来てまで、こんなに気落ちしなくてはならないのか。
と、落ち込んだ気持ちを癒す為、フィールドで行われている女子玉入れを遠目で眺めてみた。
競技自体は既に終わっており、今はカゴから玉を投げてカウントしているらしい。数を数える女子たちのキャピキャピした声がグラウンドに響いている。
うん、流石にこの距離だと個々の顔が識別出来ん。諦めよう。
確かこの後、フィールドでは借り物競走が行われるんだったな。午前中最後のフィールド競技だ。
杠葉さんを眺めて心を癒そう。
「さてと、俺は借り物競走観る為にテントに戻るわ」
「あっ、あたしも。渚沙ちゃんも来る?」
「え? 行っても大丈夫なんですか?」
渚沙は少し驚いたように聞き返す。
そういう俺もちょっと驚いている。あそこって、生徒以外が利用して良いものなのか?
「大丈夫大丈夫っ! 生徒の保護者とかも、たまーに来たりもするよ。まぁ、滅多に来ないんだけどね」
なるほど、一般の来客用のテントとかもメイントラック側に二つだけ設置されているわけだが、サブトラック側の生徒用のテントを利用するのも可能みたいだ。去年はこの学校にいなかったから知らなかった。
「じゃあなぎも行きますっ!」
「来るのは良いけど、くれぐれもテントの中で余計なこと口走んなよ?」
「やだなぁお兄ちゃん、なぎがそんなことするように見える?」
渚沙はニッコリ笑ってそう言った。
首を縦に振りたいが、良く良く考えたらこいつ、昔からの知り合い以外の前ではやけに礼儀正しい言動ばかりするんだったわ……。
「んじゃ行くぞ」
それなら心配はいらないと思い、渚沙も連れて黄チームのテントに向かった。
※※※※※
「あ、椎名の妹さんじゃないか。昨日ぶりだね」
何ともタイミングの悪いことに、テントに向かう途中で二岡と遭遇してしまった。
声を掛けられた渚沙は、当然昨日みたいな反応をするわけもなく、ペコッと浅くお辞儀だけして俺の斜め後ろに一歩程度後退した。
「わ、悪い……。こいつちょっと暑さにやられてて。あはははぁっ……」
完全に肝を冷やしてしまい、変に作り笑いをしてしまった。
「今日は暑いからね。ちゃんとこまめに水分を摂ってね」
当の二岡は気にする様子もなく、いつも通りの爽やかスマイルを浮かべながら渚沙を気遣っている。
あっぶねぇっ……! これで変に勘ぐられでもしてたら、俺の立場が消失してたわ。
「で、二岡はこれからどこに行くんだ?」
俺たちが向かう先の方向からやってきたわけだから、テントに向かうわけではあるまい。
狙いとしては、ひとまずこれで渚沙を落ち着かせてやりたかった。
というか、こういう展開もあり得ることを最初から想定しておくべきだったと反省している。
「俺は障害物競走と二人三脚の応援にでも行こうと思ってね」
これからメイントラックでは反町双子が出場する障害物競走が始まり、その後、有紗と曽根が出場する二人三脚が始まる。
二岡の場合、曽根が幼馴染ということもあって、その応援がしたいといったところだろうか。
曽根から聞いたから幼馴染であることを知っているだけなのだが、そう思うとやはり良い奴なんだなぁと思う。
つまり、幼馴染である陽歌の応援に駆けつけた俺も良い奴。うん、そう思いたいから二岡を良い奴認定します。
というか、仮にも彼女(嘘)の杠葉さんが今から借り物競走に出場するというのに、それは観なくて良いのだろうか。ここ最近、しれっと接触回数が減っていたが、まさかいつまで経っても振り向いてもらえず流石に諦めてしまったのだろうか。
それならそれで全然問題ないのだが、依然として花櫻生に掛かった魔法は解けていない。
もし諦めたなら、別れたってことにして情報くらいは流してもらいたいものなんだけど。
でなければ、杠葉さんに掛けられた呪いが消えることがないのだから。
「椎名はどこに行くんだい?」
「百メートルからハードルまで観戦してて、ちょっと疲れたって妹が言うから、チームのテントで休ませようと思って」
まぁ、嘘だけど。これが一番回答として変な問題を生まないはずだ。
だって正直に答えると、杠葉さんの借り物競走を観たい、だもん。
仮に二岡がまだ諦めていないなら、いや、諦めていたとしても快く思わないかもしれない。
余計な蟠りを生みたくないし、やはりこれが最善の回答だ。
「そうか。熱中症にならないように、ゆっくり休ませてあげて。じゃあ俺は行くよ」
「おう。俺の分まで反町双子の応援頼むわ」
歩き出す二岡の背に向かってお願いをした。
二岡は俺の言葉を聞くと、軽く手を挙げてメイントラックの方に向かっていった。
「お兄ちゃん。なぎは別に、暑さにやられてないし疲れてもないんだけど」
渚沙がジトッと睨んで俺を見てくる。
「そう答えとくのがベストだったから」
「いやいや、ベストは宣戦布告だから」
今のタイミングで宣戦布告して、俺に何をしろというのだ。というか、わざわざ二岡と敵対なんてしたくないんだが。
「方法を思いつかない今、敵対する意味なんてねーよ。そもそも、その方法も敵対しない方法が一番良いんだけどな」
「でも、思いついた方法が敵対するものなら、ちゃんと実行に移してね」
もちろん、方法を思いついたとしてそれが二岡と敵対するものであるならば、その方法以外他に何も思いつかなかったらそれを選択するつもりだ。
「はいはい、その時は流石に覚悟を決めるよ。但し、お兄ちゃんそれで花櫻の除け者にされるかもしれないから、その時はちゃんと優しくしてね」
仮に敵対でもしようものならば、俺に対する風当たりは物凄く強烈なものとなるだろう。なんなら、毎日毎日辛い目にあって帰宅とかも全然あり得る。
そんな毎日を送りながら、家に帰ってまで通常状態の渚沙と接するなんて気が狂ってしまうだろう。
ついでに、その時は陽歌にも毒舌は控えていただきたい。
二人とも、優しさ確変を起こしてくれることを期待してるぞ。
「何言ってるのかなお兄ちゃん、なぎは毎日お兄ちゃんには優しいじゃん?」
ここ最近、例えばついさっき話し合った時とかそれを感じることもあったのだが、毎日はない。絶対に。
「あのさぁ……、椎名っち? 渚沙ちゃんに教えちゃったの? 色々と」
「あー、うん……。まぁ、そんなとこ」
「あんまり巻き込みすぎちゃダメだよ? これは花櫻の問題なんだし」
「それに関してはマジで反省してます。ごめんなさい」
あの日、曽根がうちに来てさえいなければ渚沙に教えることはなかったのだ。
もっと言えば、曽根を疑ってさえいなければ教えることはなかったのだ。
でもあの時は、疑わざるを得ない状況だったから自分を守る為に言ってしまった。
その結果、他の誰かを巻き込んでしまうかもしれないことを考えることもなく、自分の為に俺は――。
――渚沙を巻き込んでしまったんだ。




