25 懐かしい感覚
「あ、戻ってきた」
「陽歌の番はまだ終わってないよね?」
「はい、まだですよ」
既に女子六十メートルハードル予選は始まってしまっているから、もう走り終わってしまっている可能性もあったのだが、どうやら間に合ったようで安心した。
そもそも、各個人の走順くらい予め何処かに記載しておいてほしい。
まぁ、選手にとっても当日のお楽しみってことなんだろうけど、危うく見逃してしまうところだったではないか。
と、今終わったらしいレースのゴール付近を見ると、橘の姿があった。
ごめんな橘。
ちゃんと陽歌と同じく応援してやろうとは思ってたんだけど、普通に見逃したわ。
あ、こっち見た。手を振ってる。とりあえず振り返しておこ。
「お兄ちゃん、ストーカーが勘違いしても知らないよ?」
「勘違い? 何を? あと、あいつはストーカーじゃなくて元ストーカーだからな?」
「だめだこりゃ……」
渚沙は呆れたような表情で首を横に振った。
『三レーン、御影陽歌さん』
「うおぉっー!」
「御影さぁーんっ!」
「マジ可愛いっ……!」
二岡ほどではないが、陽歌も陽歌で大きな歓声が上がっている。
主に、いや、ほとんど野郎連中から。
そもそも、女子からの声援が二岡程ではないだけで、野郎連中からの声援に関しては二岡に匹敵するのではないだろうか。
というか、野郎連中も野郎連中で、男である二岡にあれだけの声援を送ることに抵抗はないのだろうか。
お前らは二岡に恋する乙女か何かかと野郎連中に問い質したくなってきた。
ちなみに俺は、自慢じゃないが二岡の爽やかスマイルにときめきかけたことがある。
気持ち悪いな俺……。
バンッ! という号砲を合図に、陽歌の組のハードルがスタートした。
陽歌は少し反応が遅れたように見えたが、遅れを取り戻すが如く加速し、次々にハードルを飛び越え、俺たちの目の前、四台目のハードルを超えたところでトップに立った。
「陽歌さーんっ! 頑張ってくださいっ!」
「はるちんファイトー!」
「陽歌ちゃんがんば~」
それに合わせて杠葉さん、春田、渚沙がそれぞれ声を掛けた。
とは言っても、渚沙の声に関しては確実に聞こえてないだろうけど……。
そういう俺も、何となく気恥ずかしくて声すら出してないんだけどね。
陽歌はそのまま六台目のハードルも先頭で跳び越え一位でゴールした。
これならまず間違いなく決勝の八人に残っただろう。
と、ここで大きな歓声が上がると同時に、陽歌は気付いていたのかこちらに向かって偉そうに左手を腰に当て、やや胸を突き出し、右手でピースを作り俺たちに向けて掲げた。
今日はなんだかそのドヤ顔が輝いて見えてしまう。
あと、本日珍しく髪を束ねているけど、めっちゃ似合ってますねそのポニーテール。
一瞬、周囲の野郎連中の視線がこちらに集中して、いつもの嫉妬パターンかと思ったが何事もなくすぐに逸れた。
恐らく、杠葉さんや春田に向かってピースしたと思ってくれたのだろう。
まぁ、それで正しいんだけど一応俺も含んでくれているはずだ。
そうだよな、陽歌?
陽歌はその足で観客の中に紛れていった。
それを少し目で追うと、母さんと彩歌おばさん発見。
陽歌は機嫌良さげに母親たちと会話を始めた。
「流石は陽歌さんですねっ! これは私も借り物競走、頑張らねばなりませんねっ!」
陽歌から刺激を受けたのか、杠葉さんはかなり気合の入っていそうな表情をする。
頑張るも何も、ほとんど運なんだけどね……。
「長距離って全然得意じゃないけど、あたしもちょっとだけ頑張ってみよっかなぁ~」
春田も多少なりともやる気は出た模様。
って……、あれ? 女子の個人種目の方は曽根が全部決めたけど、春田を八百メートルにするくらいだから得意だと思ってたよ、俺。
もしや捨て駒ではあるまいな?
でも春田は決まった時には文句は言わなかったわけだし、ちょっと偉いな。
というか、心の中では不満に思ってるかもしれないけど誰一人文句言わなかったの、何度考えても凄いことだと思ってしまう。
「お兄ちゃんは何出るの? なぎ、教えてもらってないんだけど」
「千六百メートル」
「へぇ、良くやる気になったね」
「半ば強引だったけどな。ホントは借り物競走が良かったけど、色々あって諦めた」
その時は曽根に疑いを掛けていたわけだし、居合わせた春田から失言が出てしまうと後々を考えると損をする可能性を危惧して即決したのだ。
「ふーん。ちなみにですけど、お二人はお兄ちゃんに一位取ってほしいですか? お望みなら、それは余裕で可能だと思いますよ?」
「「もちろんっ!」ですっ!」
よ、余計なことを……。
もちろん、なるべく二位と僅差にして一位を取るつもりではあるが、『余裕で可能』とか言われると仮に一位を取れなかった時どう責任を取ればいいのだ。
「だってさ。まさか取れないとは言わないよね、お兄ちゃん?」
「えっと……、た、多分取れる」
「そこは絶対って言うとこでしょ。はい、言い直し」
どうしてか渚沙は何がなんでも俺に公言させたいようだ。
まぁ、ほぼ間違いなく取れるとは思うから宣言してやろう。
「はいはい、絶対一位取ってやりますよ」
「よろしく頼んだよ椎名っちっ!」
「期待してますね」
これは少しプレッシャーが掛かるものだな。
けど、これ以上のプレッシャーは何度も経験してるし、どうってことない。
ちょっと懐かしさすら感じてしまう。
この久しぶりの感覚を胸に、一位になるか、二位になるかのギリギリの戦いを演じてみせようと心の中で自分を奮い立たせた。
「では私、そろそろ競技が始まるので移動しますね」
そう言い残して杠葉さんは借り物競走に出場する為、待機場所に向かった。
「んじゃ俺も、陽歌のハードルも観たことだしテント戻ろ――」
「――ダメだよ椎名っちっ! 今から男子のハードル始まるじゃん!」
「でもそろそろ、フィールドでチーム対抗女子玉入れが始まるじゃん? 俺はそれをテントの下でのんびりと観ていたい」
まだ知らぬ美少女がこの花櫻に隠れているかもしれないのだ。
特に玉入れは、各クラス五人ずつ女子が出場しており、尚且つ同じ色の三学年でチームを組むのだ。
それ故に出場する女子の数もかなり多い。
つまり絶対一人は美少女が出場しているはずなのだ。
目の保養にもなるわけだし、それを見逃したくはない。
「はぁ……、椎名っちは大親友の頑張る姿よりかわい子ちゃん探しを優先するのか……」
「うぐっ……」
そ、そうだった。相沢がハードルに出場するんだった。
というか春田、まさかとは思うが俺がここに来るように誘導したわけじゃねーだろうな?
一人で相沢の応援をするのが恥ずかしいから、陽歌のハードルを餌に俺をこの場所に誘導したわけじゃねーだろうな?
何となく、そんな気がしてきてしまった。
「――いやいやっ! 別にかわい子ちゃん探しとかじゃねーし。わかった、わかりました。ここで男子のハードルも観れば良いんだろ」
思惑は間違いなく的中されてしまっているが、実際口に出したわけではない。
だからとりあえず否定した。
それに、確かに相沢のハードルよりも女子の玉入れを優先するのもどうかと思った。
だから女子の玉入れ観戦は諦めて、日頃の感謝を込めて相沢を応援することにした。




