20 偽りの猫
「いよいよ明日は体育祭だ。結果は問わないが、各々できる限りの力を出し切るようにっ! あとは体育祭クラスリーダー! 体育祭実行委員の会場準備の邪魔になるから、今日の放課後は練習はしないように。それからわかっているとは思うが、本日は全部活休みだっ! はい、それじゃ解散っ!」
帰りのホームルームの時間、藤崎先生が教室に入って来ると同時に、それだけ告げて一瞬でホームルームが終了した。
え? 早くね? と、内心思ったが、今日はやらなきゃいけないことがある。だから、ホームルームが早く終わることに越したことはない。有り難くさっさと帰宅させてもらうことにしよう。
「ねぇあんた、明日って何の日か知ってる?」
掃除に向かう為に荷物の整理をしていた俺に、隣の席の有紗が突然そんなことを尋ねてきた。
「はぁ? ボケてんのか? 体育祭だろ」
知っている。
六月二十五日、明日は体育祭であって、それでいて他にも意味のある日だということを。
「――わっ! わかってるわよそんなことっ! そうゆうことが言いたいんじゃなくって……」
「メダルは、頑張った人だけが手に入れられるのです。例えそれが何色だったとしても、誰から贈られるとしてもな」
「はぁ? それ、どうゆう意味? 別に体育祭でメダルは貰えないけど?」
もちろんそんなことはわかっている。
体育祭なんかで各種目メダルを用意してくれるような学校なんて、あるなら逆に教えてほしい。
少なくとも俺は知らない。
「そのままの意味だ。んじゃ掃除行きますか」
「わっけわかんないわね……。まぁ、良いけど……」
だから今は、わからないまま明日を楽しみにしていてくれ。
その為に、有紗には明日は是非とも頑張ってほしい。
何事もなく無事に競技を終えられることを切に願う。
あれだけ練習したのだ。
そうすれば自ずと結果はついて来ると思うから――。
※※※※※
「これでよしっと」
ショッピングモールにて、ある買い物を済ませた俺は、同じ目的で一緒に来ている陽歌を待つ為に近くにあったベンチに座った。
ついでに渚沙も一緒に来ているのだが、今さっきお花を摘みに向かったところだ。
「あれ? 椎名じゃないか」
「ん? おおっ! 二岡じゃないか」
誰かに声を掛けられたと思ったら、二岡だった。
まさかこんな場所で会うとは思いもしなかった。
いや、まぁ駅前にあるわけだしそりゃあ二岡もショッピングモールくらい来たりはするか……。
「椎名も買い物かい?」
「うん、まぁ用意しときたい物があったもんで」
「へぇ、じゃあ俺と同じだね。俺も明日の体育祭に向けて、誰かが怪我をした時の為に薬局で色々買ってきたところなんだ」
「おおっ……! 偉いっ……」
正直、二岡が何を買ったのかなんて興味もなかったのだが、勝手に話し出すから否が応でも頭に入ってきてしまう。
その結果、素直な感想がポロリと溢れてしまった。
これも、モテる男の一つの特徴なのだろう。
周りへの気配りに長け過ぎてはいないだろうか。
それに、怪我をしたら保健室に行けば良いだけだろとも思うが、女子からしてみれば保健室の先生に治療されるより二岡に治療されたいに決まってるからな。
ちなみに俺は、保健室の熟女先生と二岡だったら、二岡に治療されたい派。
爽やかスマイルを向けでもされたら一瞬で痛みも吹き飛びそう。完全に麻酔である。
という冗談はさておき、やはり俺は二岡ではなく美少女に治療されたい。
杠葉さんの慈愛溢れる治療でも良いし、有紗の大雑把な治療でも良いし、陽歌のドS治療でも良い。
何でも良いから美少女に治療されたい。
と、勝手に彼女たちの治療法を妄想してしまったが、杠葉さんはともかく有紗と陽歌には失礼だったかもな。
あと俺、しれっとまたM気質が……。
……軽~い怪我、擦り傷くらい作っちゃうことを視野に入れとこう。
「別に偉くなんかないさ。当然のことだよ」
二岡にとっては、自費を切って生徒の為に消毒液だったり絆創膏を用意しておくことは当たり前のことで偉くはないらしい。
「いやいやっ! 偉いからっ! 俺なんてそんなこと考えてもなかったわ。今日だって別に、体育祭の為の買い物じゃないし……? あれ? 捉え方によってはその為……、かも?」
自分で言っててわけがわからなくなってしまった。
今日買った物は体育祭と関係あるといえばあるし、ないといえばない物――。
まぁ、どっちでも良いか。
「ははっ! まぁ、褒められるのは悪い気はしないよ。ありがとう。それより、何で疑問形?」
「あぁ、いや……、良く考えたらどっちとも取れる気がして――っ?!」
質問に答え掛けていた時、背後から思いっきり両肩を揺すられた。
「――お兄ちゃんっ?! 聞いてないよっ?! こんな超カッコいい知り合いがいるなんてっ!」
「……んだテメェかよ。いきなり揺するなっ! びっくりするだろうがっ!」
「椎名の妹かい? 仲が良いんだね」
「――はいっ! 仲良しですっ!」
渚沙が満面の笑みで腕に抱きついてくる。
……離れろや。こんな時だけ仲良しアピールすんじゃねぇ。
「ははっ! 椎名は妹さんに凄い気に入られてるんだね。羨ましいよ、俺は兄弟とかいないからさ」
「いやいや、勘違いしないでくれる?! これ、ただのこいつの自己アピールだからねっ?! 普段は俺をバカにしまくってるからねっ?!」
「そんなことないよぉ? ね? お兄ちゃん?」
渚沙のこんなに眩しい笑顔を見たのはいつぶりだろうか。
けど、これが余裕で偽りの笑顔なのがマジでツライ……。
「妹さんがそう言ってるくらいだから、やっぱ仲良しなのさ。――おっといけないっ! ついつい話し込んじゃったよ。明日の為に帰ってやらなきゃいけないこともあるし、今日はもう帰るね。それじゃ、また明日」
「お、おう……。また明日……」
何やらしょうもない誤解をされた気しかしない。
それもこれも、ここにいる一匹の偽っている猫のせいだ。
「はぁ……、帰っちゃった」
「良いからさっさと離れろやっ!」
「――っ?! 何でなぎに抱きついてんのっ?! はっ?! やっぱシスコンなわけっ?! やめて気持ち悪い」
「テメェが抱きついてきたんだよっ!」
一体全体、どんな思考回路してればそんな大掛かりな記憶の改竄ができるんだこいつは。
「お兄ちゃんのせいで自己紹介するの忘れちゃったし、名前も聞き忘れちゃったじゃん。あの人の名前は?」
「教えねえよ。というか、お前は既に名前だけは知ってるはずだぞ」
そう、俺は以前曽根が家にやってきた日に、渚沙には花櫻学園の内情について話している。
その時に必然的に二岡の名前も出しているのだ。
だから既に、渚沙は二岡真斗という名を知っている。
「はぁ? 会ったことないんですけど」
「あーそぉ、テメェ体育祭観に来るんだし、明日になれば嫌でもわかるわ。そん時の楽しみにでも取っときやがれ」
名前と顔を一致させるのは今である必要はない。
今一致させると、手のひら返しで怒り出す気がするから。
渚沙がどれだけイケメン好きだろうとも、渚沙はきっとそれ以上に杠葉さんや有紗を気に入っていると思う。
だから本当は、こんなところで彼とは会いたくなかった。
本音では、明日になっても一致してほしくなんかないし、楽しみにしてほしいなんて思ってなんかいない。
例えそれが無理だとわかっていても――。
花櫻の問題に渚沙を巻き込みたくなんてないから。
きっと正体を知れば、杠葉さんや有紗の為に怒り狂ってしまうだろうから。
でもどれだけ怒り狂おうが、それは渚沙にはどうしようもできないことだから。
だから本当は、あの日渚沙に言うべきではなかったんだ――。
今になって、ようやく自分という人間の本性に気付いた。つい最近、渚沙にも言われたばかりだ。
偽りの猫は、今日もあの日のことを悔やんでいる。
本当の事も、本音も、血を分けたたった一人の妹に言うのを怖がり只々取り繕うばかりの俺こそ――。
――猫を被っている。




