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18 勝利の雄叫び

 ゆっくりと、ゆっくりと一段一段上っていく。

 息を殺し、足音を立てずに、慎重に。


 そして遂に、自室の前まで辿り着いた。


 ドアにそっと耳を当て中の様子を探る。


 ……何も聞こえない。

 というか、これって完全に盗み聞きなんだけど、罪悪感が尋常じゃない。

 なのに何も聞こえないから、それさえも薄れてしまう。


 さて、どうしようか。

 ここまで来て俺は迷っている。

 この扉の向こう側に、奴らはいる。


 扉を開けば俺の幻想は崩壊し、杠葉さんも晴れて変態枠昇格だ。

 なんなら既に片足突っ込んでるんだけど、ここで扉を開くことを躊躇(ためら)えば俺の中での清廉潔白のイメージは何とか保たれる。


 だが、変態杠葉綾女もそれはそれで悪くないと思ってしまっている自分がいるも事実。


 開く、開かない、開く、開かない――。


 ギャルゲーとかやる人はこういった二択を迫られた時、どういった気持ちなんだろうか。


 俺は今、ギャルゲーをプレイしているのか?

 いや、違う。

 ギャルゲーは選択肢を間違えようが、セーブも出来れば最初からやり直したりもできる。

 だけど、俺にやり直しは効かない。


 仮にここで開かなかったとしたら、開いた先の未来は――ないっ……!


 と、何を血迷ったのか俺はわけのわからない思考回路で勢いよく扉を開いた。

 それ即ち、開かなかった先の未来が無くなるというのに。


 「……あれ? 誰もいない……」


 室内は物色された様子もなく、俺が起きた時と同じ散らかり方をしていた。


 だが、まだ油断はできない。


 押し入れを開き、中の様子を確認する。


 特に荒らされた形跡は無く、例の(ブツ)が封印された段ボールも同じ位置に存在しており、つい最近押し入れを開いた時と同じような景色が俺の目に映っていた。


 なんだ……、俺の思い過ごしだったのか。


 「ふぅ……、セーフ」


 小さくため息を吐き、そのまま仰向けで寝転がる。


 「何がセーフなのかな?」

 「――っ?!」


 部屋の入り口付近から声が聞こえてきて、慌てて起き上がる。


 「慌ててる慌ててるっ! ププッ……!」


 俺の目に映る者たち、口元を隠してヘラヘラと笑う陽歌に、苦笑いを浮かべている杠葉さん、それとどうでも良さそうな顔をした渚沙。


 「……何でうちにいんの?」


 俺の予想では、バストアップを目論む杠葉さんが陽歌のわけのわからん理論に結局騙されて、例の物を鑑賞なり閲覧なりしに来たものだと思っていたのだが、今の状況を(かんが)みるとその線は今のところ無さそうだ。

 ならば、他にうちに来る理由があったということだ。

 まぁ、状況から推測すると単純に渚沙と遊ぶ為に来たといったところなのだが……。


 「押入れに隠された秘宝を手に入れてあやちゃんのバストアップを促すためっ!」

 「――だからっ! そんなんで効果出るわけねぇだろっ!」


 聞いて損した……。

 無いと思って消した線を一瞬で復活させんなや。


 「――そっ! その中にあるのですかっ?!」


 な、何でこの子はこんなに興奮してるんだ……。

 もう、有無も言わさず変態枠昇格でも良い気がしてきた。


 「おい、ヘンタイ共、ちょっと座れや」

 「――へっ! ヘンタイっ?! 私ですかっ?!」


 いや、そうだけど? 渚沙はともかく、陽歌と杠葉さんを指してるけど?


 「ヘンタイにヘンタイなんて言われる筋合い無いんだけど?」

 「だったら俺もお前にそんなこと言われる筋合いなんかねぇよっ!」


 とりあえず、なんだかんだ言いつつ陽歌と杠葉さんは床に座った。


 「まず初めに――」

 「――お兄ちゃんっ……! 陽歌ちゃんはともかく、綾女さんをヘンタイ扱いするって正気なのっ?!」


 何で俺が話し始めた途端に邪魔するんだお前は。

 正気だよ。本日晴れて疑いから確信に変わったんだよ。どう見ても変態じゃん。


 「陽歌ちゃんがズケズケとお兄ちゃんの部屋に入ろうとした時、本人がいないのに勝手に入ったりしちゃダメだって止めてくれたっていうのに、サイッテー」

 「え……? そなの?」


 俺の問いかけに渚沙と陽歌はうんうんと頷く。


 つか、なんで陽歌がそんなに偉そうな顔で頷くんだよ。

 事の発端、お前だからな?


 へぇー……、そうだったんだぁ。でも、だからといってどの道変態枠昇格だけどね。


 清廉潔白とは何だったのか、本日をもってその幻想は完全に崩れ去りましたとさ。

 とはいえ、可愛いものは可愛いで何ら変わることはないけど。

 変態という一面を持ち合わせてる事実さえ可愛く思えてしまう自分が怖い。


 「それはどうも、陽歌の暴走を止めてくれてありがとうございました」


 居住まいを正して頭を下げてしまった。


 「いえ……」


 杠葉さんは少し申し訳なさそうな顔で俯く。


 「それはそれとして……! そんなもん見てもバストアップなんかできないって言ったよね?!」

 「確かに言われましたけど、でも陽歌さんが絶対できるって何度も言うから……」


 知ってたけど、やはり陽歌の仕業か。マジでどんな根拠があってそんな事言ってやがんだこいつは。


 ちょっとだけ睨みを利かせて陽歌を見ると――。


 「ふふんふんふ~んっ!」


 呑気に鼻歌を歌っていた。


 舐めやがって……。


 「てか、どうしてそんなバストアップにこだわるん?」

 「――そっ、それはっ……! だって……。そ、そんなの言えないよぉ……!」


 や、やべぇやらかした。

 杠葉さんは頬を紅潮させ涙目で俯いてしまった。


 「渚沙、今のヘンタイの発言じゃない?」


 と、陽歌は渚沙に同意を求め、


 「ちょっとお母さんに知らせてくる」


 渚沙はそう言って部屋を出ようとした。


 「――やめっ! やめてくださいお願いします何でもしますからっ……!」


 全力の懇願を渚沙にしてしまった。


 「何でも? なら良いよ。内緒にしといてあげる」


 ……これを、後悔先に立たずと言わずして何と言ったら良いのだろうか。

 母さんに今の件がバレることと、今後渚沙に何かさせられることを天秤にかけると、どう考えても前者の方がマシだったんじゃないかと思える。

 迂闊(うかつ)な自分を殴りたい。


 「コホンッ、コホンッ……!」


 気を取り直して話を続ける為に一度咳払いをする。


 「とりあえずバストアップの件は置いといて……。君たちっ! 少しは有紗を見習ってください」

 「何でそこで有紗ちゃんが出てくんの?」


 何が気に入らないのか、陽歌はジトッと俺を睨みつけてきた。


 「君らが俺の部屋の物を巡って良からぬ計画を実行しようとしている時、有紗が何をしてるか知ってるか? 体育祭に向けて必死に練習してんだぞ? 多分今もせっせとランニングに励んでるはずだし」


 それなのにこいつらときたら、何とも下らない計画をしているなんて……。

 ちょっとだけ呆れてしまう。


 「そう……、だったんですか」


 杠葉さんの表情から反省の色が見え、陽歌も陽歌で流石にバツが悪そうな表情をしている。


 「あー、有紗さん、そういえばこの間スーパーで会った時も練習終わりだったみたいで、凄いお疲れっぽかったよねぇ。それでいて今日も朝から練習なんて努力家なんだね。――なっ! なぎとは真逆っ!」


 おい、何か驚いてるみたいだけど、本音まで出てるぞ。

 確かにお前とは真逆だし、しかもお前もお前で理解してんのな。

 だったら多少努力してみろや……。


 「くっ……! こんなことなら、お母さんに叩き起こされて走って来いって言われた時に素直に行っとくんだったっ……!」


 彩歌おばさん、実行に移したんかーい。

 この感じ、間違いなく陽歌はキレて反発したな。

 良かった。さっさと出発しといて。


 「……決めました。私も明日の早朝、練習しますっ……!」

 「「「おぉーっ……!」」」


 杠葉さんの宣言に俺含めたその他三人は拍手を送る。


 「というわけで、佑紀さんと陽歌さんも一緒にやりましょう」


 え……?

 俺、今日は偶々早く起きちまったから走っただけで――。


 「良いよっ! わかった! ねっ! 佑くんっ!」

 「えっ?! お、おう……」


 流されるがままに承諾してしまった。


 「渚沙も来るよね?」

 「――はっ?! なぎが? 何で?!」


 陽歌の誘いに渚沙はキョロキョロと目を泳がせて動揺している。

 無理もない。俺も渚沙が来る意味がわからないし。

 逆に、陽歌は渚沙に何の練習をさせたいというのだ。花櫻の体育祭に出場するわけじゃないんだけど?


 「渚沙さんも一緒に練習しませんか?」

 「――はいっ! なぎもやりますっ!」


 何故か杠葉さんも渚沙を誘うと、渚沙は陽歌の時とは違って二つ返事で承諾した。

 だから、どうしてそこまでして猫被ってんだこいつは。


 というわけで、よくわからないが渚沙も含めて明日の早朝、体育祭に向けて練習することになってしまった。


 よくよく考えたら、このメンツでできることって、ひたすらランニングくらいしか思いつかない。

 だって、そもそも渚沙は来る意味ないし、俺も陽歌も杠葉さんも出場する個人種目は違う。

 確か、陽歌がハードルで杠葉さんに至っては借り物競走。

 杠葉さん……、借り物競走ってほとんど運ゲーだけど、何を練習するんだろう。


 リレーの練習をするにしてもやっぱり渚沙はいる意味ないし、となると長縄に向けて跳び続ける体力アップの為に走るくらいしか無いんだよなぁ。


 まぁ、明日になったらなるようになるか……。


 「有紗さんにも声を掛けて――」

 「――あー、それなんだけどさ、今日も曽根と二人三脚の練習してたみたいだし、多分明日もそうなんじゃね?」


 俺としては、有紗には有紗のペースでやってもらいたい。

 有紗の目指すところは二人三脚で一着でゴールすることなわけだし、だったらそれに集中するべきだとも思う。

 その為の練習相手は曽根しかいない。

 まぁ、曽根との練習が終わったらまた一人で長縄に向けて走るのかもしれないが、仮に杠葉さんが声を掛けでもしたら、曽根との練習を無しにしてこちらに来てしまってもおかしくはない。


 ならば、同じ場所で別々の練習をすれば良いのでは? という考えも浮かんだが、恐らくそれを良しとしない人達もいるだろう。


 例えば――。


 「だったら、私は遠慮したいかなぁ……。邪魔しちゃ悪いし」

 「なぎもちょっと……、それは反対です」


 ――陽歌とか渚沙とか。


 「そうですか……。では仕方ありませんねっ! この四人でやりましょうっ!」


 杠葉さんは両手で握り拳を作って気合いを入れている。


 それに呼応するように陽歌と渚沙も変なガッツポーズをしている。


 にしても、渚沙が気合いを入れてるところなんて生まれて初めて見たかもしれない。

 奇跡的な光景に目がうるうるしてきた。


 「――どっ! どうしましたかっ?! また私、間違ったことしちゃったでしょうか……?!」

 「えっ……?! いや、そうじゃなくって、渚沙のやる気出す姿なんて初めて見たから――」


 そこまで言って、ガシッと渚沙に両肩を掴まれ――。


 「――お兄ちゃんっ! 余計なこと言わないで……! なぎのイメージが崩れんでしょっ!」


 ――そんなことを耳打ちされた。


 だから、どうしてそんなに自分のイメージを偽るんだお前は。

 杠葉さんなら、素でいってもこれまで通り接してくれるぞ? なんなら、素の方がより一層親交を深めることもできると思うけど?


 「——あーもうっ……! わーったよっ! 離れろマジで」


 そんな俺と渚沙の様子を見て、陽歌はまた始まったとでも言いたげな顔をし、杠葉さんはキョトンとしている。


 「じゃあ、明日の朝九時、図書館横の公園集合ってことで良い?」


 面倒だから強引にまとめに入ってしまった。

 個人的には、何も朝六時とか七時みたいなめちゃ早い時間からやる必要もないと思っている。

 なんなら、午後からでも良くね? とさえ思ったりした。

 が、杠葉さんが朝からやる気みたいだし一応それに合わせる。


 杠葉さんの家が何処かは知らないが、多分杠葉神社の隣とかだろきっと。

 だから間をとって図書館横の公園。


 悪くないはずだ。


 「私はそれで良いよ~」

 「――ダメですっ! 朝七時集合ですっ!」


 ――えっ?! マジすか? ストイック過ぎません?


 だが、そんな杠葉さんの気迫に首を横に振る者はいない。

 どうやら、明日は早朝七時から体育祭に向けての練習をすることになりそうだ。

 まぁ、余裕で起きれるし良いだろう。


 そして今、俺は右手の拳を握り、誰にも気付かれないように小さくガッツポーズをしている。

 何故なら、上手い具合に()()()に関する話題が完全消滅しているから。


 俺の完勝だ。


 うおっしゃあーっ!


 と、心の中で雄叫びを上げた。


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