16 早朝ランニング
体育祭の練習が始まってから最初で最後の週末を迎えた本日土曜日、朝練の為の起床サイクルを体が覚えてしまった為、何とも早い時間に目が覚めた。
午前六時……。
早い、早すぎる。学校もない休日なわけだし、こんな早い時間に起きても只々暇すぎる……。
しょうがないからランニングでもしますか。
一応、千六百メートルに出ることになってしまったわけだし、してもしなくても一位になる自信はあるが念の為持久力を少しでも戻しておこう。
そう思い立って着替えて外に出ると――。
「あら? 佑紀くん、おはよう」
陽歌の母親である彩歌おばさんが自宅の前の掃き掃除をしていた。
「おはようございます」
「どうしたの? こんなに朝早くに」
「無駄に早く目が覚めたんで、ちょっとランニングでもしようかと」
「相変わらず偉いわね佑紀くんは」
そう言われるのは悪い気はしないが……。
この人、一体俺の何を見て日頃から偉いと思っていたのだろうと疑問が浮かんでしまう。
それを言うなら、彩歌おばさんの方がこんな朝早くから掃き掃除なんてしてるわけだしよっぽど偉いとさえ思える。
「陽歌にも見習ってほしいものだわぁ。――あっ! そうだっ! 今から陽歌を叩き起こしてランニングに行かせようかしら」
「いや、絶対行かないっしょ……」
それに、寝てる所を起こしたらマジギレするビジョンしか浮かびませんが?
寝ぐずりほど厄介なものは中々無いからな。
巻き込まれるのは御免だ。
「んじゃ、そろそろ行きますね」
「はい、行ってらっしゃい」
彩歌おばさんに送り出され、ゆっくりと地面を蹴り出し、次第に加速させ、一定のスピードに呼吸を合わせた。
※※※※※
しばらく走り続けていたのだが、ある公園の前で足が止まった。
そこは、図書館の隣の例の公園ではなく、また別の公園。
何故足が止まったのか、目に入ってしまったからだ。
有紗と曽根が、二人三脚の練習をしているのが……!
おいおい、マジかよ。何がそんなにも二人を突き動かすってんだ?
それに関しては、有紗を突き動かすものは想像に難くない。
ならば、曽根を突き動かすものは――。
未だ半信半疑だったのだが、まさか本気で有紗ともっと仲良くなりたいと思っていたというのか……?
そうでなければ、こんな休日の早朝から有紗の練習に付き合うわけがない。
いざ目の当たりにすると、そう思う以外の選択肢は無かった。
となると、曽根という存在に対する評価を更に改めなければならないのかもしれない。
元々は、マジで嫌な奴だった。
それが、心を許しはしないし警戒もするが、もしかするとそれほど悪い奴ではないのかも? くらいの所まで俺の中での評価を改めはしていた。
それを更に改めるとすれば、今後は特に警戒する必要も無ければ、一人の友人として接することを考えても良い人間、といったところだろうか。
そう改めなければいけない。
そうわかってはいるのだが、それでも――。
林間学校で言われたあの言葉は、今も俺の脳裏を過っている。
「ごめんねあーちゃん……! ここまでしか付き合ってあげらんなくて」
「ううん全然っ……! それより、早く帰って弟と妹の朝ご飯準備しなくちゃなんでしょ? なのに今日はわざわざありがとね」
なんと、曽根は兄弟姉妹の為に朝食の支度をしてあげるような人間だったのか。
どんな家庭環境かは知らないが、その点に関しては優しさを感じてしまう。
「うんっ! この調子で本番も頑張ろうねっ! それじゃまた明日ねっ!」
――っ?! ま、まずい……! 俺の存在がバレるっ!
曽根が公園の出口に向かって歩き出すのを見て、大急ぎで物陰に隠れた。
幸い、曽根が向かった方向は俺のいる物陰とは逆方向で、安心してホッと息を吐く。
そもそも、なんで隠れる必要があったのか自分でも理解出来ないが、衝動的に体が動いていた。
「……何やってんの? あんた。こんな所で」
「――えっ?!」
振り返るとそこには有紗が立っていた。
「その……、これはですね。覗き見していたわけではないのです。偶々、見てしまったと言いますかなんと言いますか」
「何が言いたいのかよくわかんない言い訳ね。普通に、見てたって言えば良いでしょ?」
おっしゃる通りでございます。
「やたら早く目が覚めたから、何となくランニングしてたら二人三脚の練習をしてるのが目に入ったんで、見てました」
「ランニング……? ならそれ、私も今から付き合ってあげるわよ」
「えぇー……」
出来ることなら、一人で走りたい。
だってそれ、俺が走るペース合わせなきゃならないやつじゃん。
「何でそんな嫌そうなのよっ……! こんな奇跡的に可愛い私と早朝から一緒に走れるなんて、奇跡も良いとこよ?!」
確かに、奇跡的な可愛さなのは否定はしないけど、自分で言うか? それ。しかも、奇跡って二回も。
……それにしても、スポーツウェアが意外と良く似合っているではないか。
というか、制服からでも巨乳だと認識可能だが、それ以上の薄着ともなるとより一層強調されてついつい目線が下がってしまう。
「とにかくっ! 一緒に走るったら走るからっ! 長縄でバテない為には持久力向上は必須なのよっ!」
「あ、あぁ……、うん。わかった」
視線を逸らしつつ誤魔化すように返事をした。
有紗も特に気付いていないようでホッとする。
……いつの間にか話の流れで了承してしまっていたことに今更気付いたが、もう遅い。
だが、言われてみれば有紗には長縄を跳び続ける体力が不足しているのもまた事実。
俺としては、千六百メートルを走り切る体力はもちろん持っているし、一位でゴールする事も何ら難しくはないはずだ。
今日は念の為ランニングしていただけに過ぎない。
だから、今日のランニングにもっと大きな目的を持たせる為に、有紗のランニングに付き合ってやるのも悪くはないかなと思えた。
「んじゃ行きますか」
「ドンと来いよっ!」
握り拳で胸を叩く有紗を見て、ゆっくりと走り出すと、有紗もそれに合わせて並走してくる。
多分、このくらいのペースかな? と、一定のリズムで走り続けた。
※※※※※
あれからどれくらい時間が経っただろうか、多分二時間くらい? かな。
何度も何度も休憩を挟み、今に至る。
結論を言うと、体力無さすぎませんか?
何回休憩したか数えきれねーよ。
だが、文句はない。何故なら、走る度揺れる乳を拝ませていただいたので。絶対口には出さないけど。
「はぁ……、はぁ……。これで私も……、はぁ……、人並みの体力を、はぁ……、手に入れたってわけね、はぁ……、はぁ……」
有紗は膝に手を当て、肩で息をしながら満足げな笑みを浮かべる。
まったくもって人並みの体力を手に入れたとは到底言い難いとは思うが、結局のところ最後は気力の問題なのだ。
本番の長縄で体力が底をついても、最後に気力を振り絞るだけの精神力くらいは多少は身に付いたとは思う。
その時に今日のランニングが生きてくれれば、言うことはない。
何より、本人が以前より体力が身についたと感じている事実が一番重要なのだから。
「じゃあ、私は一旦帰るわね。お腹も空いちゃったし……」
「一旦? まだ走るつもりなのか?」
「当たり前でしょ? 朝ご飯食べてちょっと休憩したら一人でもう一回走るわ」
何だろう。ここまで健気に頑張る姿が冗談抜きに可愛く映ってしまう。実際、可愛いんだけど。
ここまで来ると、体育祭における有紗の努力が杠葉さんを取り巻く環境に影響するかどうかなんて抜きにして、ただ純粋に良い結果を残せると良いなと本気で応援したくなってしまう。
「そっか。頑張れよ」
一言、それだけ告げてから家に向かった。
どうか、彼女が納得いく結果、願わくば本当にこの努力で、有紗の願いが少しでも叶いますようにと、天に祈りを込めて。
例えそれが、如何に難しいことだとわかっていても――。




