14 神の裁き
「佑くーん! 行くよー!」
放課後、俺たち二年三組はグラウンドでリレーのバトン練習をしていた。
俺にバトンを渡すのが陽歌で、俺がバトンを渡すのが杠葉さん。
なんでこんな順番になったのか、俺が聞きたい。
先日の曽根との話し合いで決定したものだが、何となく相槌を打っていたらこの順番に決まっていた。
曽根のことだから、アンカーの二岡に渡すのは杠葉さんとか言い出すものだと思っていたのだが、そういうわけでもなかったから安心してしまい、その後何となく相槌を打ち続けた末の現実。
個人的には、色々と美味しい位置だなぁと思っている。
誰もが認めるであろう花櫻学園の美少女ビッグスリーの内の二人に挟まれる形なのだ。文句などあろうはずもない。
杠葉さんはともかく、陽歌に関してはありとあらゆる嫉妬の眼差しを受ける事になると思うが、転校してきてから度々そのような視線に悩まされてきた俺はそれすらもはや慣れつつある。
その程度の事はもはや俺には通用しないっ!
なんて強がってみたものの、野郎ども、逆恨みしないでね……。
俺と陽歌、幼馴染だからさ……!
お前らが割って入ることなんて出来ない固い絆で結ばれてるから。
そうだよな? 陽歌――っ?!
「――えっ?! ちょっ?! はあっ?!」
「――あだっ……!」
陽歌の戸惑い混じりの声と共に衝突された俺はその場に倒れ込む。
そう、一人被害妄想を膨らませていた俺は陽歌が走ってきている事がすっかり頭から抜けていたのだった。
「痛たたたぁっ……」
倒れる俺に覆いかぶさる陽歌がボソッと呟く。
「――だ、大丈夫ですかっ?!」
杠葉さんが慌てた様に声を上げ、駆け寄って来る足音が聞こえる。
「お、重い……」
「――はっ?! はぁっ?! 私、羽の様に軽いはずなんだけどっ?! バカッ!」
もし本当にそうだとしたら、それはいわばホラーだな。
いや、例えだってわかっちゃいるけど、流石にその例えは間違ってるからな?
つーか、バシバシと頭を叩くな痛えな。
あと……、俺の背にやたら柔らかいものが当たってる。
こ、これは……、おっぱいですな。
知らぬ間にこんなに成長していたなんて、もっと当ててくれっ。
頭叩かれても文句言わねーから頼む。
「は、陽歌さん、そんなに叩いてはダメですよ……」
杠葉さんが陽歌の手を止めようとするが――。
「止めないでくれ、杠葉さん。今俺は陽歌から正当な罰を受けているんだ。だからお願い、止めないで」
一体俺は何を言っているのだろうか。
陽歌の暴力を止めないでくれと懇願するなんて、これではただのドMも良いとこだ。
だがそれでももはや構わない。今しばらくこの感触を堪能させてくれ。
などと思っていると、ピタッと俺の頭を叩く手が止まり、陽歌の胸が俺の背から離れた。
「――えっ?! なんでやめんの?」
思わず首を曲げて陽歌の顔を見てみると……。
「うっわキモ……。やっぱただのドMだったんだね佑くん」
ドス黒い表情で俺を見ていた。
「しかも、聞いてよあやちゃん。この人、今背中をピクッと動かして当たってた私の胸の感触を確かめたんだよ。やっぱヘンタイ……」
「――いやちょっと待ってくれっ! そんな事絶対してないぞ?! つか、テメー当たってんの気付いてやがったのか?! 確信犯じゃねーか」
まさか、無意識の内に俺はそんな事をしてしまっていたのか?
いや、そんな事はないはずだ。ちゃんとバレない様にしていたはずなのだ。
――って?! 言い終わって今更だけど、俺も当たってるの気付いてた事自白してんじゃねぇっ!
「……だから、なんですね?」
「――ふぇっ?!」
とても杠葉さんの声とは思えない超低音ボイスが聞こえてきて、変な声が出ると同時に思わず顔を見上げてしまう。
これまた、まるで害虫でも見つけたかの様な表情で杠葉さんが俺を見ていた。
「陽歌さんの胸の感触を確かめていたから、わざと叩かれ続けていたんですね……」
杠葉さんはジトッと俺を睨みそう尋ねてくる。
「ヘンタイ……」
続けて陽歌も同じ目で俺を見てきた。
「いや、その……」
事実なのだが、認めてしまってはそれこそ俺がヘンタイとして確定してしまう。
しかも、確実に二人からの俺の評価は下落する。
いや、なんなら既にしてる気しかしない……。
これが普通の反応なのだ。パンツを見られて怒りこそしたが普通に許してくれた有紗がおかしいのだ。
正直に答えて、陽歌が許してくれるわけがない。
「ヘンタイさんですね……」
何かを悟ったかの様な表情を浮かべる杠葉さんを見て、俺という男が如何に底辺かを突きつけられた。
何より、恐らく完全に杠葉さんからの好感度が地に落ちたであろう現実に、目の前が真っ白になった。
※※※※※
……何処だここは。
俺は確か、リレーの練習の真っ最中のはずなのだが。
見知らぬ場所、恐らく学校の何処かの部屋。
開いた窓から吹き込む風でカーテンが揺れている。
――って?! 保健室っ?!
勢いよく横たわる体を起き上がらせる。
今俺がいる場所、それはベッド。状況からして保健室確定だ。
まさか俺……、ショックすぎて気絶しちゃったの?
間抜けな自分に思わず薄ら笑いが出てしまう。
「ゆ、佑紀さん、あの……」
「――っ?!」
真横から声が聞こえて来て背筋がピンッと伸びた。
声の主はわかっている。
恐る恐るそちらを見ると、やはり杠葉さんがいた。椅子に腰掛けているようだ。
「体調の方、少しは良くなりましたか?」
「あっ、うん、まぁ……」
自分が体調不良で気を失ったという実感が無い為、曖昧に答えるのが精一杯だった。
そんなことよりも――。
「どうしてここに?」
「そ、そんなの、心配だからに決まってるじゃないですか」
その言葉に嘘偽りがあるとは思わない。それは杠葉さんだからだ。
だからこそ尚のこと理解できないこともある。
「えっと、俺は杠葉さんに嫌われたのでは……?」
そこまで行っていなかったとしても、好感度がだだ下がりした事は間違いない気もする。
「――えっ?! 私がっ?! 佑紀さんをっ?! そ、そんなわけないじゃないですか……!」
なるほど、この反応からしてどうやら嫌われたわけでもないらしい。
ふぅ、マジでホッとした……。
「で、では、害虫でも見るかの様な目で俺を見ていたのは――」
「――そんな目で見てませんっ!」
「で、では、俺を睨んでいたのは――」
「――胸の小さい自分にショックを受けてただけですっ……!」
「で、では、何か悟った感じの顔をしていたのは――」
「――そ、それはっ! ゆ、佑紀くんもやっぱり男の子なんだなぁって思っただけで……。恥ずかしいから、これ以上はやめてよぉ……」
杠葉さんは顔を真っ赤にして両手で頬を覆う。
やべぇ、ぐう可愛い悶えそう。
「――うがっ……!」
「――えっ?! 何?! 大丈夫ですかっ?!」
加速する鼓動を止める様に、顔面に何かが直撃した。
「ってぇ……、んだいきなり……。ん? ペッドボトル?」
冷え冷えのお茶が入ったペッドボトルが膝に落ちていた。
「ちっ……! 今度は気絶しなかったか」
舌打ちが聞こえた方に目を向けると、保健室の入り口に陽歌が立っていた。
「――あっぶねぇなテメェ! 一歩間違えれば気絶どころかあの世行きだっつーのふざけんなっ!」
「だから、ちゃんと下手投げにしたんじゃん。流石の私でも幼馴染に胸触られたからって殺しはしないよ」
「うぐっ……」
そうだったぁ。
当たってただけで触ってなどいないが、そう出られると何も言えない。
「胸、触る、胸、触る……。でも私は、小さい……。触る、意味、無しっ……?!」
何やら杠葉さんがぶつぶつと呪文を唱えているがなんて言ってるのか聞き取れない。
「それにしても、ギリギリ間に合って良かったよぉ」
「な、何が……?」
何故か、怒るとは真逆のニコッとした表情でそう言う陽歌が逆に怖い。何を言い出すのやら……。
「佑くんが目を覚まして、あやちゃんに猥褻行為をする前に戻って来れて良かったって事だよ」
「――しねえよっ! 想像力働かせすぎなのも大概にしろよテメェ!」
保健室プレイとか、そんなん握減の世界だけの出来事なんだよっ!
リアルだったら絶対誰かしらに見つかんだろがっ!
しかも表現、猥褻行為ってどう聞いても俺が犯罪者じゃねえか。
「陽歌さんっ! バ、バストアップの方法を教えてください……!」
え……? はい……? 杠葉さんは何を言っているのかな?
というか、どういった流れでそんな話が出てきたんだ。
「うーん……。私も特に大きいってわけでもないから何とも言えないけど、エロ本とかエッチなビデオとか見れば大きくなるかも……?」
何をわけわかんねー答えを言ってやがんだこいつは。それで大きくなるのは男だけだわ。
「そうだったんですかっ……。しくじりました。兄の部屋で何度も見かけた事があったのに、読んだり観たりする勇気が出ませんでした。しかも兄は大学進学で一人暮らしになる際、全部持ってっちゃいましたからもう家にはありませんし……」
一体俺は何を聞かされているのだろうか。
いや、聞かされているわけではなく、陽歌と杠葉さんの会話が勝手に耳に入って来るだけなのだが、杠葉さんの時折垣間見せるムッツリ気質はそのお兄様のせいではあるまいな?
なんか、そう思わずにはいられないのだけど。
「それなら大丈夫っ! だって、ねぇ? 佑くん?」
「大丈夫って、何が……?」
こ、怖いよ、その不気味な笑み。
「佑くんの部屋にあるもんねっ!」
「――なんでその事をっ?! しまっ――」
反射的にそう答えてしまい、すぐさま両手で口を塞いだ。
「いやいや、何度行ってると思ってんの? 隠し場所も把握済みだけど?」
「……おい陽歌、うちにそんな物は無いぞ?」
もはや誤魔化す事に意味などあるのだろうか。
頬を冷たい汗が一滴伝う。
「佑くんの部屋の押入れの中の一番奥のテニス雑誌やら試合のビデオが入ってる段ボールの中に目立たない様に紛れ込んでるアレは――」
「――な、何のことかなぁっ?! ソンナノシラナイヨー……?」
何で知ってやがんだこいつ。クソ、人の部屋を勝手に漁りやがって。
陽歌が買ってきてくれたお茶を飲んでこの時間が終わらないかなぁとその時を今か今かと待つ。
「佑紀さん……」
杠葉さんが不意に口を開いた。
「あるんですね……?」
俯いている杠葉さんの表情からその感情を読み取る事は出来ないが、その声の質から何となく察した。
今度こそ終わった……。きっと俺は嫌われたに違いない。
「佑くん、正直に答えたらさっきの件は水に流してあげるよ」
きっとそれは、陽歌の胸が俺の背に当たってるのに気付いているにも関わらず、その時間を引き延ばそうと足掻いた事を言っているのだろう。
もはや、杠葉さんに関しては手遅れだ。
だったら、陽歌だけでも――。
「はい……、あります……」
「――だったらっ! 今度読みに行っても良いですかっ?!」
「……へっ?」
観念して、正直に答えた俺にとって想像し難い反応が陽歌でなく杠葉さんから返ってきた。
どうやら、またもや俺の勘違いで、嫌われたわけではなかった様だ。
だがしかし、何を言ってるのかな杠葉さんは。どうしてそんなにも目を輝かせているのかな?
読みに来るって、何を当たり前の様にそんな事言っているのです?
「いやいやダメだからっ……! つか、そんなの読んでも別に胸が大きくなったりしないからねっ?!」
第一印象から杠葉さんは清廉潔白そのものだったのだが、何度目だろうか、俺の巫女という存在への理想が崩れ去る音がした。
エロ本を読んでる巫女の姿など想像もしたくないのだが、どうしてこうも脳裏を過ってしまうのか。
結局、俺が杠葉さんを巫女という枠組みに当て嵌め過ぎているのが問題なのだが、それ抜きにしてもやっぱりちょっと嫌だ……。
「――えっ? そうなのですか?! 陽歌さん、嘘はやめてくださいよ」
「あはっ! ごめんごめん」
そう、そのままでいてくれ。
清廉潔白である事が巫女である彼女への理想そのものなのだから。
そんな理想の押し付けを理由に、巫女ではない杠葉綾女そのものの本質を知るのが俺は怖いのかもしれない。
それを知ってしまった時、俺は一体どうなってしまうのか。今はまだ、想像もつかない。
「じゃあそろそろ練習に戻りますか――ん?」
と、言ったところで二人が何かヒソヒソと話しているのが目に入った。
「何話してんの?」
「あやちゃんにまた一緒に佑くんちに遊びに行こうよって」
なんだ、そんなことか。それなら別に問題はないのだが、何故わざわざヒソヒソ話をしていたのか。
まぁ、別に良いけど……。
「それは別に構わないけど。じゃあさっさと戻りますか」
「そのことなんだけど、ちょっとムカつくけど伝言を頼まれてきたよ」
「『ちょっとムカつく』……、ですか?」
陽歌の言葉に杠葉さんはキョトンとした表情を浮かべる。
「紫音ちゃんが、『椎名くん、体調悪いの気付かなくてごめんね。今日は私一人で何とかするから椎名くんはゆっくり休んでて良いからね』だってさ。だからさ、今日はもう帰ろうよ」
杠葉さんは、陽歌がムカつくという表現を使った理由には気付かないだろうが、それは確実に曽根を指している。
まぁ、俺としては曽根からの伝言自体にムカつく意味は全くわからないのだが。
むしろ、曽根のくせに意外にも配慮が出来るではないかとさえ思えてしまう。
別に、全く体調が悪かったわけでもなく、今も悪くないんだけどね。
曽根がそう言っていたのなら、お言葉に甘えて今日は帰らせてもらう事にしますか。
云うて、高々バトン練習なわけだし、本番まで時間もまだあるわけで、有紗じゃあるまいしそもそもそんな簡単に失敗したりするわけもないからな。
「そうだな。じゃあさっさと帰りますか――あっ、そう言えばさ、誰が俺をここに運んでくれたんだ? まさか二人が運んだわけでもないだろうし――」
「良介くんが運んだよ」
「あー、相沢か。後でメッセージ送っとくか」
と、再びペッドボトルのお茶を口に含むと――。
「お姫様抱っこで」
「――ブッー……!」
陽歌が付け足した一言に衝撃を受け、お茶を吹き出してしまった。
「うっわ……。汚なぁーい」
「い、今拭きますね……!」
ジトッと俺を睨む陽歌と、慌ててタオルで俺が吹き出したお茶を拭いてくれる杠葉さん。
あ、相沢にお姫様抱っこをされただと……?
否応なしにそのイメージが脳裏に浮かんできてしまう。
「おえーっ……」
何の罰ゲームか、陽歌の胸の感触を好き放題楽しんだ俺への裁きか、神様は見ていたのだ。
当然の裁きとも言えるが、その事実は俺にとってあまりにも受け入れ難いものだった。
き、気持ち悪すぎる……。
次第に目の前が真っ白になっていくのを、俺には止める事は出来なかった。




