5 待ち人、二人
空には雲こそ浮かんでいるものの、気が付けば雨は上がっている。そんな中、俺は渚沙に、『ちゃんと送ってこい』とドヤされて、現在杠葉さんと並んで歩いている。
少し前方では有紗と曽根が歩いており、聞こえてくる会話の内容こそわからずとも、楽しげな様子が伝わってくる。
思い返せば、渚沙とのやり取りの後にリビングに行ったら、渚沙の言う通り曽根が有紗にピタリとくっついて話しかけまくっていた。有紗も少々困惑しつつも、どうやら今日の昼休みに一緒にお昼を囲んでいた時からそれなりに打ち解けていたらしく、満更でもなさそうに笑顔を向けていた。
当初、曽根がうちに来ることを杠葉さんにとってチャンスとかぬかして、俺に有無を言わせなかったくせに、そのことをすっかり忘れてしまったのだろうか。曽根と杠葉さんが会話するのなんて、片手で数えられる程しか見てないのだが? 杠葉さん、ほとんど渚沙と陽歌と駄弁ってるだけだったんだけど?
あれでは渚沙との交流はともかく、ほとんどいつも通りで俺には杠葉さんにとってどこがチャンスだったのか全く理解できなかった。
俺はというと、奥の部屋を見られることもなく、誕プレを奪われることもなくホッとしていた。が……、曽根はただひたすら有紗に絡んでいただけで、家の中をウロチョロしようともせず、誕プレの在り処について探りを入れようともしてこず。
俺のあの努力はなんだったんだ、マジでこいつ何しにうちに来たんだ。
と、かなり拍子抜けでもあった。
それでもやはり、あの日言われた、『絶対に許さない。必ず潰してやる』という言葉の通り、曽根が何かしてくることだけは今でも疑ってなどいない。
はぁ、なんで俺がこんな面倒なことの当事者に……。
なんて、小さくため息を吐いて横を見ると、杠葉さんが浮かない顔をしていた。心ここに在らずって感じだ。
「どうかした?」
「――ひゃうっ?!」
「……ん?」
声を上げて驚く杠葉さんの反応に少しばかりの違和感を覚え、頭の中が混乱しかけたところ――。
「えっと、そのですね……。今日はちょっと、一人だけ置いてきぼりになってしまったなと思ってしまいまして」
――なんてことを杠葉さんが素直に言ってくるから、先程の違和感は何処へやら、今日一日別の存在に気を取られ過ぎてそっちの方まで意識が向いていなかったことを反省しつつ。
「えっと、色々ごめん。もしかして、あれのこと?」
そう言って俺は前を歩く二人を指差した。
というより、なんで曽根は俺と杠葉さんを二人きりにしてるんだ? この前の感じからして、絶対阻止してくると思ってたんだけど……。ホントあいつ、なんで来たんだ?
再び疑問に思うと同時に、曽根という人物が益々理解不能になっていく。
「――いえっ! 違いますよ?! 有紗さんはほとんどの人と友好的ではありますけど、これまで私に手が掛かり過ぎて、極端に言えば陽歌さんや弥生さんくらいしか他に本当の意味で仲の良いお友達はいなかったんです。ですから、ああいう風に有紗さんに新しく本当の意味で仲の良いお友達ができそうなことは私にとっても本当に嬉しいことです」
杠葉さんはキッパリと言い切ると――。
「ですから佑紀さん、一緒に見守ってくれると嬉しいです」
――そう言って微笑んだ。
個人的に、曽根が有紗と仲良くなっていく様を見るのは正直ムカつくのだが……。それでも、誰と友好関係を築くのかを決めるのは俺ではなく本人、有紗だ。内心、温かく見守るなんてできそうにないが、とりあえず様子見とすることにしよう。
俺は形ばかりに小さく頷き、話を元に戻すことにした。
「えっと、じゃあなんで置いてきぼり……?」
「そ、それは、だって……!」
杠葉さんはほんの少しの間、口籠った後……。
「――佑紀くんがっ……!」
お?! 予想外の『さん』じゃなくて『くん』?!
過去に数回あったが、やっぱ新鮮。――じゃなくて! この展開、まさかの俺が原因……? ま、待てよ? そ、そういえば思い当たる節が一つだけあったかも……。
「えーと、お茶を淹れる時のあれ?」
「――すっかり忘れてました! そ、それももちろん少しはショックを受けましたが、良く考えてみれば陽歌さんの方が佑紀さんの家を熟知しているわけで、スムーズにお茶を出すにはその方が良いと納得したのです」
どうやら先程浮かない顔をしていた理由ではなかったらしい。すっかり『くん』から、『さん』に戻っていることは一旦置いといて、いよいよ思い当たる節が無くなってしまった。
「……そのあと、陽歌さんとヒソヒソ話をしていましたよね? それだけならまだよかったんですが、渚沙さんが有紗さんに何かを耳打ちした後、有紗さんがあっと驚いた顔をしたと思ったら佑紀さんと目配せしてました。私だけ何も知らない。だから私だけ、置いてきぼりな気がしたんです」
杠葉さんは良く観察していたのか、俺の密かな行動を把握していた。
と、ここで気付いたことは、俺は本当に馬鹿であるということ。杠葉さんの言い分通り、俺のそれらの行動は完全に杠葉さんを蚊帳の外としていた。自分だけが何も知らないと気落ちするのも仕方ないと思える。ただ、陽歌にも有紗にもその理由自体は言ってないのだが、それでも……、そう思わせたこと自体に罪がある。
バカ、アホ、マヌケ、俺によく似合う言葉三銃士かもしれない。三人からの評価だけは落としたくないと色々我慢して真実は包み隠し、行動した末の結果。杠葉さんからの評価を落としてしまっていては元も子もない。
まさに、バカ、アホ、マヌケだ。
だから今から俺がしなければならないことは――。
「ごめんなさい……!」
――深々と頭を下げて誠心誠意謝ることだ。
「――ちょ、ちょっと! 顔を上げてください! ああは言いましたが、特に怒ってたとかではありませんよ?! 私が勝手に気落ちしてただけで、何か理由があることくらいわかっていますから」
杠葉さんは必死に俺を宥めてくる。
「そ、そうは言っても」
「それに……、本当に謝らなきゃいけないのは私なんですから」
「――はっ?!」
ポツリと呟く杠葉さんに驚きを隠せなかった。
いやいやまてまて、おかしいだろ。なんで杠葉さんが俺に謝る? 嫌なことなんてこれまで一度もされた記憶ないんだけど?
「私は佑紀さんに嫌われたくはないんです。嫌われたら切腹します」
「――ちょっとまてぇー! 大袈裟! 大袈裟だから!」
いきなりどうしたと思ったら、唐突に切腹?! 急展開すぎて話が読めないし、それに切腹なんてされたらそれこそマジで困るんだが!
「大袈裟じゃないから……!」
杠葉さんは少々声を荒げてから――。
「――あっ! えっと、その、謝ると嫌われてしまうかもしれないのが怖くて、今日まで言えずにいたのですが……」
――すぐに我に返りそう続けた。
「俺は神に誓って杠葉さんを嫌いになったりしないけど?」
自分で言ってて、ちょっと恥ずかしいセリフだと言い終わってから気付いた。
とどのつまり、その逆、"好き"みたいじゃん? まずい、ここで反応がよろしくなかったらそれこそ俺が切腹ものなんだが……。
「ふふっ……! 私は佑紀さんのことは本当に信頼してるから、それこそ生まれた時から。だから、その言葉、信じてますよ……!」
杠葉さんは微笑してそう言うが……。
「――ちょっとまてぇー! 生まれた時から?! いや、そう言われるのは嬉しいんだけどね?!」
ホント、どうしちゃったのこの子。本日、過去に類を見ないくらい表現が大袈裟じゃないですか。
「生まれた時からは大袈裟ですけど、信頼してるのはホントですよ?」
そこまで言ってから杠葉さんは左の頬を人差し指で少し掻いた。その頬は普通に紅潮している。
な、なんだこの空気は……。――ま、まさか?! 俗にいうラブコメとかいうやつですか?!
だが俺は知っている。
ここで告白などしようものなら、勘違いでしたざーんねん。
と、なることを。
こうゆう時に中学の頃、陽歌に借りて読んでた少女漫画が役に立つ。
主人公の女の子はありとあらゆる思わせ振りな行動で、次々に周囲の男子を勘違いさせ、好意を抱かせ告白させてしまうのだが、彼らはあえなく撃沈していくというもの。
今の杠葉さんは例えるなら専ら物語の主人公。
俺はその周囲の一人といったところで、間違いなく撃沈枠。いや、周囲って言っても、俺の他に相沢とか涌井しかいないようなものなんだけどね。
だがあと一人、思い当たる節がある。それは俺の知らない人物。林間学校から帰ってきた日に雪葉さんが言っていた、過去に杠葉さんが口にした友達三人のうちの一人。
有紗に陽歌、そしてあと一人、名前こそ出なかったが仮にその人が男だったら?
この展開、絶対そうだろ……。陽歌から借りた漫画の主人公も、たった一人の男子に対してずっと好意を寄せていたからな。何故か結末はその男子とゴールインしてなかったのがめちゃくちゃ心に引っ掛かったけどね!
その男子、その主人公の女の子を振りました。クソが……。
とりわけ、杠葉さんから好意を寄せられるなんて、羨ましい限りだがきっと素晴らしい人間に違いない。
素直に称賛します! 誰だか知らないけど!
と、謎の確信に満ちた俺は、衝動的な行動に出そうになった自分を抑えることに成功し、その行動で関係性が崩れることなく終わり安堵した。
「――きさん……! 佑紀さん!」
妄想の世界から俺を呼び戻す声で我に返った。
「――はっ?! えっと、なにかな?」
「反応が返ってこなかったので……。何か考え事でも?」
杠葉さんが心配そうに見つめてくる。
「あー、中学の頃陽歌に借りた少女漫画について」
「へぇー! 佑紀さん、少女漫画なんて読むんですね。私はてっきり佑紀さんの好みは絵本だと思ってました」
素直に少女漫画なんて答えたが、これが有紗だったら別の反応が返ってきそうで怖いなと、後で気付いた。
それよりもさ……。
「それ、ストレートに俺を子供扱いしてない?」
「じょ、冗談です! わ、わかってますよ! ブックカバーも使ってくれてますし、普通に本が好きなのですよね?」
杠葉さんはおろおろしながらそう言うと――。
「それでですね、話を戻しますと、先程の佑紀さんの言葉に嘘偽りがないことは信じてます。ホント、救われた気持ちです」
――言葉を続けつつ微笑したと思ったら、すぐに真剣な表情に切り替わった。
「ですが今の私ではまだ謝れません。だからその時まで、待っててくれませんか? 必ず謝るので」
そう言われても、やはり思い当たる節が無い。
だからこそちょっと気になりはするんだよなぁ。一体何を謝られるんだろ? その時まで気長に待つとしますか。
何にせよ俺が杠葉さんを嫌いになることなんてないわけだし、焦ることもなさそうだから。
「わかった。無理せず、いつでも良いから」
「ありがとうございます」
杠葉さんはそう言うと嬉しそうに微笑んだ。
「それでなんだけど、陽歌としてた話とか、有紗との目配せについて話そうか?」
話をもっと前に戻して、先程謝った後にちゃんと言おうと思っていたことについて口を開く。
「良いのですか? 何か理由があったのでは?」
「元々、杠葉さんに隠そうとか思ってたわけじゃないから」
「――で、ではっ! 知りたいです!」
杠葉さんは目を輝かせているが、期待外れとか思われたらどうしようという不安が少し頭を過った。
「えっと、うちの一階の一番奥の部屋、あそこには昔取ったトロフィーやらメダルやらが沢山飾られてて、その部屋について知ってる陽歌と有紗には、訳あってその部屋について口外するのをやめてもらいました」
なにこれ? 普通に聞いたらただの自慢じゃん?
渚沙に言われたことはあながち間違ってない気がした。
「そうだったんですね! 見てみたかったです!」
なんだろう、この純粋さは。自慢と受け取らずただ興味を示しているだけに見える。
「全然見せるのは良いんだけど、体育祭が終わるまでは陽歌とか有紗、あとは相沢以外の前では口外しないでほしいんだけど」
「大丈夫ですよ、決して言いふらしたりしませんから」
最初から杠葉さんはそんなことしないのはわかってたが、今の言葉で一層安心した。
「でもちょっと意外だなぁ。杠葉さんが興味を示すなんて」
これまでの態度からは読み取れなかったが、どちらかというと興味がないのでは? と思ってたから驚きだ。
「いえいえ、興味ありますよ。テニスで獲った物ですよね? 私、スポーツでなにが好きですかと聞かれたら、真っ先にテニスと答えますよ?」
ここで意外な事実発覚。
勝手にインドア派だと思ってたけど、まさかアウトドア派ですか?! い、一応テニスは室内もあるけど。
「もちろん観戦担当ですよ? 体育くらいでしか運動はしないので……。私、去年の夏までお姉ちゃんと一緒に度々テニスの試合を観に行ってたんですよ」
杠葉さんは当たり前のようにサラリと言うが……。
テニスの試合をわざわざ観に行くって、結構なテニスファンなのでは?! 俺ですら観に行ったりしないよ?! 年に一度しかない日本開催のATPツアー、観に行きたいなー、なんて思ったことはあるけどテレビ観戦に留める程度だよ?!
しかも杠葉さんの言い方的に、おそらくアマチュアの試合。または、フューチャーズだったりチャレンジャーだったりといった試合。だって日本で行われるATPツアーも、全日本選手権も秋だし。
家族や友人が出場するとか以外だったら、結構なテニスファンしか現地に足を運ばないはず。多分……。
「へ、へぇー、じゃあ今年も行くの?」
驚きのあまりありきたりなことしか言えなかった。
「今年はもう観に行く目的が無くなってしまいましたので、そこまではしませんよ。テレビでやってたら観ますけど」
「そ、そうなんだ。目的ね……」
目的とはなんぞや、まさか先程の妄想の世界で辿り着いた例の男、テニスプレイヤーかなんかですか?! で、目的が無くなったとは……?!
やめとこう。淡い期待のし過ぎだ。その男との縁が切れたとか、杠葉さんにとって縁起でもないことを考えるのは。
「それとも……、佑紀さんが目的をくれますか?」
「――どゆこと?!」
杠葉さんはまたもや耳を疑う発言を繰り出してくる。
何故俺にそんなことを……? まずい、ドキドキしてきた。
「場所はどこでも良いんです。学校でも、どこかの公園でも、神社でも」
「いやいや、学校と公園はともかく神社はダメだろ」
平静を装いツッコんでみたものの、結局心臓はうるさいままだ。
「ふふっ……! そうですね、神社は他の参拝客の方がいたらご迷惑になってしまいますよね」
うん、そうゆうこと。
と、やっとのこと一旦冷静になり、ここで結論を出すとすれば――。
「杠葉さん、今はやらなきゃならないことがあるからそれが終わるまでテニスをするつもりはないんだ」
――立ち止まってから、そう告げた。
「……そうですか。私こそ変なことを言ってしまい――」
「――だから、それが終わるまでちょっと待ってて。今回こそ、絶対終わらせてみせるから」
杠葉さんの言葉を遮るように、俺は言葉を絞り出した。その続きを、まだ言わせることがないように。
かれこれもうすぐ七年も経つ、続きの見れなかった約束の終わりを見る為に。
言い終わると杠葉さんの頬を涙が伝った。
……まさか、またやらかした?
本日何度目かのやらかし疑惑に悔やむ間もなく――。
「待ってるよ、いつまでも。ずっと、ずーっと、その時まで。続きを言わせないでくれてありがとう。だから佑紀くんも、待っててね」
――杠葉さんが口を開き、今回は砕けた口調でそう告げてくる。
丁寧な口調と、砕けた口調の切り替わりに何かきっかけでもあるのだろうか? という疑問はさておき、俺は小さく頷いた。
今回は指切りを介した約束はしてない。約束という言葉も使ってない。それでも俺は待つし、杠葉さんもまた、そうなのだろう。
だからこそ、いつまでも待たせない為に、今一度出口の見えない道を歩く足を叩く想像をした。
「ちょっと、私の場違い感はごめんなんだけど、良い加減遅いわよ」
そういえばいつの間にか背中が見えなくなっていた有紗が目の前に現れた。
「見てた?」
誰かに見られたかもしれないと思うと急に恥ずかしくなってきた。
「あんたが綾女を泣かせたところくらいから?」
「――ち、違いますよ有紗さん! 私が勝手に……! う、嬉し泣きですから!」
「ふふっ! わかってるって!」
杠葉さんは庇ってくれてるけど、泣かせた云々より発言を聞かれたことがマジで恥ずかしい。有紗もそれを察してか、特に気にしてる様子を見せないだけに尚のこと、逆に恥ずかしい。
「と、ところで曽根は?」
羞恥心を隠す為、苦し紛れに尋ねる。
「あぁ、紫音なら先に帰ったわよ。曲がり角から方向違うし、家も結構遠いし、暗くなる前にって。まったく、あんたたちが遅いから」
「ごめんなさい有紗さん。つい話に夢中になってしまって、歩くのが遅くなってしまいました」
杠葉さんは詫びを入れているが、俺的には、曽根がいなくて良かったとか思ってしまっている。
へー、先に帰ったんだ。お好きにどーぞ。
といった感覚。
それよりも気になることがある。
「有紗さ、曽根を名前で呼んでたっけ?」
「さっきそう呼ぶことにしたのよ。文句あるわけ?」
「いえ、無いです……」
有紗の圧に押されつつ、杠葉さんに促された結果とりあえず様子見することに決めたのを思い出し、そう答える。
「そ、ならいーけど。あ、あんた帰って大丈夫よ」
と、有紗は少しばかり冷ややかな表情を向けてきた。
なんかちょっと複雑……。一応ここまで来たんだが。
「そうですね、最後まで送ってもらっちゃうと、佑紀さんの帰りも遅くなってしまいますしね。それに――」
その続きは、一体……?
「今日、この後だけは有紗さんを独り占めにさせてください」
杠葉さんは、何かを悟ったように苦笑いを浮かべた。
まるで、近い未来を想像するかのように――。




