2 プリーズ・ヘルプ・ミー!
今回も長めです。
翌週月曜日の朝、梅雨入りしたこともあり外は大雨が降っていた。
普通なら学校に登校するのが面倒になるのだが、今日の俺は違う。
なんとお母様が車で学校の近くまで送ってくれると言ったのだ。
とどのつまり、俺は今ウキウキ気分で母さんが運転する車の助手席に座っている。
ついでに家を出る前に陽歌にも声を掛けたら喜んで家までやってきた。
というわけで、後ろの座席には陽歌と眠そうな渚沙が乗っている。
眠さで大人しい渚沙は無害、むしろ我が妹ながら可愛いもんだなと思う。
そういえば渚沙は昨日、陽歌の家に押しかけて杠葉さんたちに話したことについて問い詰めたようだが、帰ってきたら俺に矛先が向いていた。
結局そうなるんですよね、これが……。
昔からのことだから慣れているが、渚沙にももう少し大人になってもらいたい。
なんなら永遠に眠いままでいてもらいたい。
「あー、そうそう。お母さん、花櫻学園の体育祭観に行くから二人とも頑張ってね」
「はい! もちろんです! ね? 佑くん!」
母さんの突然の予告に陽歌はやる気を見せるが、それを聞いた俺は一つ疑問に思った。
「そこまでいるの?」
「お父さんには許可もらってあるからそこまではいるわよ」
そんなことは聞いていなかったから少々驚いたが、という事はつまり俺はあと二週間ちょっとは自炊しなくて良いし弁当も用意されるわけだ。
陽歌からエプロンを貰ったわけだし林間学校の後から簡単な料理には挑戦していたのだが、これからしばらくはそれから解放されるのが嬉しくてついニヤけてしまいそうだ。
だって正直自分で作ったやつ、美味しくなかったし。
「そりゃ助かるわぁ。あ、でも渚沙は帰るんだよな? 学校あるんだし、……とゆうかなんでまだいんの?」
自分で言ってて気づいた。
あれ? こいつ学校は? まさかサボり?
「そのことなんだけどねぇ、渚沙は元の中学に戻るから」
母さんの口から衝撃の事実が告げられ、言葉を失いそうになる。
「――はっ?! な、何言ってんの……?」
先程の、母さんが体育祭が終わるまでこちらにいるということなど既にどうでも良くなっていた。
母さんが告げたことは、つまり俺と渚沙が二人で暮らすことを意味しているはずだ。
渚沙と暮らすのが嫌というわけではないが二人は嫌だ。
渚沙のわがままが俺だけに降り注ぐと思うと涙が出てきそうになる。
「渚沙が日本に戻りたいって言うからお父さんと相談して元の中学に通わせることにしたの。幸い佑紀もいるから心配ないし」
どうやら聞き間違いではなかったらしい。母さんはさっきよりも詳しく説明した。
あのさ、そうゆうことは先に言ってね? なんで今頃言うの?
「やったね佑くん! これで夜な夜な枕を濡らさず済むじゃん!」
「勝手な想像やめてくれる?! 一回たりともそんなこと無かったんだけど?!」
仮にも去年一年間寮生活を送っていた俺にとって、実家での一人暮らしで寂しさを感じることはなかった。慣れというやつだ。
それよりも……、毎度毎度俺の都合が悪い方に想像力豊かな奴だな。
慣れてるけどたまにはもっと俺が喜ぶことにしてくれよ……。
「そーゆーわけで泣き虫お兄ちゃん、これからは仕方なくなぎが一緒に暮らしてあげるよ」
「こーら、お兄ちゃんに会えなくて毎日泣いてたのは渚沙でしょ?」
「え? そなの?」
なんだなんだ、案外可愛いところがあるじゃないか。あれか、離れて暮らして兄の良さに気づいたってやつか。
「――ち、違うし! 勝手に話作らないでよ!」
「ふふっ、ごめんごめん。渚沙は日本人学校じゃなくて現地の中学校を選んだでしょ? でも英語が全く話せるようにならなくて周りとコミュニケーションが取れなかったのよ。それで帰ってきては泣いてたの」
母さんも責任を感じているのか申し訳なさそうに語り出す。
「それで日本人学校に編入させようって話になってね。それを伝えると渚沙は日本に戻りたいって言ったのよ。だからその意思を汲んでこっちの中学に戻すことにしたの」
「ほぉー、そうだったのか」
妹から美しい兄妹愛を向けられたと思ったのだが違ったらしい。ちょっと残念……。
「別に虐められてたとかじゃないから。沢山話し掛けられてそれに応えることができないのがキツかっただけ。それに勉強だって意味わかんないし」
渚沙がそう言うと、陽歌の体が震えているのがバックミラー越しに見えた。
普段見ない姿だった為、少し心配になってしまう。
「どうした陽歌?」
「――えっ?! 渚沙が虐められてたとかじゃなくて安心しただけ!」
「そ、そうか。なら良いけど……」
安心して体が震えるものか? 俺がそうじゃないだけかもしれないけど……。
しかし、そう言い終えた陽歌はすっかりいつもの顔に戻っていて震えも収まっている。
それでもやはり少し気にはなるが、これ以上詮索するとお決まりの貶しタイムが始まる可能性がある。
正直それは嫌だ。
それに、今は話の続きだ。
先程までの話から、渚沙が日本に戻りたいと言うのは理解できるしそれで良いとは思った。
だが、その上で俺には母さんに一応お願いしてみたいことがある。
「それよりさ、母さん。渚沙がこっちの中学に通うのはわかったからさ、それなら母さんもこっちに住んでくれませんかね?」
渚沙のわがままを共有、いや、分け合う仲間がほしい。
慣れているとはいえ、それは一年前までの話。
当時は父さん母さん、それに俺の三人で渚沙のわがままを分け合っていたわけだからダメージも必然的に三分の一だった。
渚沙と二人暮らしなら全面的に俺が請け負わなくてはならなくなるし、マジで嫌だ。
父さんは無理にしても、母さんがいてくれればとりあえずそれを半減できるはずだ。
「それじゃお父さんが一人になっちゃうじゃない」
「いや待て待て、母さんも渚沙のわがままっぷりは知ってるよね? それが俺一人に毎日降り注ぐことになるんだよ? 耐えらんないんだけど」
「渚沙、お兄ちゃんにわがまま言っちゃダメよ?」
母さんは渚沙に念を押す。
「わかってる」
「ほら、渚沙もそう言ってるしいいわね?」
「いや、だからそうゆう問題じゃなくて――」
「着いたわよ! さ、二人ともいってらっしゃい」
学校の近くまでという話だったのに、気づけば校門の前に車が停まっていた。
「じゃあ、行ってくる……」
なんだか誤魔化されてしまった気しかしないが、ここに停まり続けると登校してくる生徒の邪魔になる為、渋々車を降りた。
※※※※※
「おはよう、はるちゃんに――って、どしたの?」
「おはよう有紗ちゃん!」
先程の車内での話で悩んでいた俺は机に突っ伏していたのだが、聞き覚えがある声が聞こえた為、一旦顔を上げてみた。
「あぁ、有紗か。おはよーさん」
挨拶だけして再び机に突っ伏す。
「おはようございます」
「あ、綾女おはよー」
「おはようあやちゃん」
今度は杠葉さんか。さっき顔を上げたばかりで面倒だがちゃんと挨拶はしておこう。
「おはよう杠葉さん」
また挨拶だけして机に突っ伏す。
「ちょっとあんたねぇ……」
「どうしたのですか? 元気がないみたいですが……」
すぐ近くで杠葉さんの声が聞こえた気がした。
俺に話しかけてきたことはわかったし、無視するわけにもいかない。
とりあえず顔を上げてみると、目の前に蹲み込んで俺の顔を見つめる杠葉さんの顔があった。
――な、何事?!
思わぬ距離にあった究極美少女の顔に思わず後ろに仰け反ってしまった。
し、心臓止まるかと思った……。
「あ、あの……」
俺の反応に戸惑う杠葉さん。
「さては佑くん――」
「――いい! 言わなくてっ!」
どうせロクなこと言わない。そんな気がしたから陽歌が何か言い出す前に制止したのだが――。
「あやちゃんが可愛すぎて死にかけた?」
なんだ、その程度か。陽歌にしては優しめだな。それに珍しく正解だ。――じゃなくてっ!
「言わなくていいって言ったよな?!」
「ほらねぇー! 当たってた」
うるさい。実際可愛いんだからしょうがないだろ。
俺はなんとか生きてたけど死んでてもおかしくないし、仮に他の男だったら心臓止まってたかもしれないからな?
それくらい杠葉さんは可愛いし、なんなら陽歌、お前もその類なんだから死人を出さないように気を付けろよ。
「それで? 何があったのよ?」
俺と陽歌のやりとりを呆れ気味に見ていた有紗が口を開く。
「別に……。母さんに一緒に暮らそうって言ったら断られただけ」
「あんた案外寂しがり屋だったの?」
「――ちげーよっ!」
確かに、今の俺の言葉を聞いただけではそう受け取っても仕方ないが、そうではない。
「実は佑くん、渚沙と二人で暮らすことになりそうなんだよ~」
なりそうというより決定事項みたいなもんだけどな。
母さんは父さんの元を離れる気なんてなさそうだったし。
「あー、先日お会いした渚沙さんと……! 良かったではありませんか!」
俺の苦悩など知らない杠葉さんが笑顔でそう言うと、有紗は驚いたのか目を丸くしている。
「――ちょ、ちょっと待って! あんたなぎちゃんと暮らすの?! とゆうか、綾女は会ったことあるの?!」
「はい、土曜日に神社でお会いしましたよ」
有紗はそのことを聞くとすぐに俺を睨みつけてきた。
あくまで推測だが、睨まれることに心当たりがある。
渚沙が日本に来たら教えるよう言われていたが、まさか真っ先に教えなかった事で怒ってるとか……?
土曜のうちに教えておかなかったことを少し後悔した。
そうすれば睨まれなかったかもしれないのに……。
「えーと、有紗さん? ど、土曜日起きたら渚沙が帰ってきてました。とゆうわけで暇な時うちに来ませんか……?」
「あんたっ! なんで真っ先に私に教えてくれないのよ?!」
「学校で会った時言えばいいかなー? って」
「私はすぐにでも会いたかったのよぉー!」
顔を真っ赤にして有紗が俺の耳の近くで叫び、教室中の視線が一気にこちらに集まってしまう。
「まぁまぁ! 落ち着いて有紗ちゃん」
一旦陽歌が有紗を押さえ込み落ち着かせる。
「はぁ、はぁ……。まぁ良いわ。とりあえず今日行くから」
有紗は肩で息をしながらそう言うが――。
「雨だけど……?」
今日は一日中雨予報。来るのは構わないが大変では?
それに、これから毎日いるわけだからそんなに焦らなくても良いとも思う。
「行くったら行くのよ!」
「――はい、わかりました!」
どうしても今日じゃなきゃ気が済まないらしい。
一方的な宣言に思わず了承の返事をしてしまった。
「わ、私もお邪魔してもいいですか?!」
「あー、うん。良いよ」
有紗にオーケーしておいて杠葉さんを断るのも変な話だ。
そう思って了承したが、思い返してみれば杠葉さんはうちに来たことはない。ちょっと緊張……。
「ありがとうございます」
杠葉さんはうちに来ることを許可されたのが嬉しいのか微笑しながら頭を少し下げるが、それがなんだか眩しくて思わず目を逸らしてしまう。
それでも、うちに来るにあたって言っておかなければならないことがある。
「……それでなんだけど、渚沙にはどうしてこっちに住むことにしたのかとか聞かないでほしいんだけど……、できるよね?」
渚沙もそのような話はしたくないはずだからここでお願いしておかなければならない。
「なんでよ?」
「じゃなきゃやっぱ来ちゃダメ」
「わ、わかったわよ……! 聞かないから」
有紗はそう言い、杠葉さんも頷くのを見て俺も小さく頷いた。
これで渚沙が答えたくないかもしれないことを聞かれることはなくなった。
「ところでさぁー、佑くん」
ここまでのやりとりをニコニコしながら聞いていた陽歌が口を開いた。
「なんだ?」
「私のことは誘ってくれないのかなぁーって」
そもそも初めから俺は有紗も杠葉さんも誘ってなどいないのだが……。
「お前は言わなくても勝手に来るだろ」
俺の言葉を聞いても変わらず陽歌はニコニコしている。
どうしても俺が言わないと気が済まないらしい。
「……陽歌も来るか?」
「行く行く~! その言葉を待ってたよ!」
あー、めんどくさ。それをわざわざ言わせる意味……。
「ねぇ……! 何の話してるの? わたしも混ぜて」
先程有紗が叫んだ時にクラス中の注目が集まった時、俺はこの人物も同じくこちらを見ていたことに気づいていた。
曽根だ。
わざわざこちらまで来て話に混ざろうとしてきた。
転校してきて初めての展開……、というより、何が狙いだ?
言えることは、とりあえず曽根は警戒しなくてはならない相手だということ。
「今日の放課後佑くんの家に遊びに行こうって話をしてたの」
何を疑う様子もなく陽歌がそう答えてしまう。
おいっ! 言うなよ! 俺とこいつ、多分仲悪いはずなんだけど?!
とは言っても陽歌がそれを知るはずもない。
あの日以来、曽根との出来事を伝えるかどうか迷ったが、プレゼントを奪われそうになったなんて知ったらきっと傷付くはず。そう思うと言えなかった。
とりあえず、話に加わろうとしてきた曽根を有紗は意外なものを見るように見ており、杠葉さんは特に変化なし。
普段と違うメンツが話に加わってきても動じる様子がない。本当に成長してるんだなって思う。
「へぇー! そうなんだ! ねぇ、わたしも行ってもいい?」
「――はぁっ?! なんで? ダメだけど?」
曽根は平然とニコニコしながらそう言うが……。
お前、ついこの間喧嘩売ってきただろ。そんな奴家に上げるわけねーだろ。
それ以上考えることもなくお断りしてしまった。
「えー。そんなぁー」
泣きそうな顔をしながら落ち込む曽根だが、それには騙されない。
よくそんな真似ができるもんだなと思う。
「ねぇ、良いんじゃない? これ、私的には綾女にとってチャンスだと思うのよ」
有紗はそう耳打ちしてくるが……。
俺的にはチャンスというより危険だと思う。
「ホントにダメ……?」
曽根は目元を手で拭きながら弱々しい声で聞いてくる。
白々しい演技をしやがって。周りは騙せても俺は騙せないぞ。
「まぁ良いじゃん佑くん! 紫音ちゃん、来ても大丈夫だよ!」
「――おいちょっと待てぇ!」
なんでお前が勝手に決めんだよ! 場所は俺の家だぞ?! 普通決定権は俺にあるよな?!
「まぁ良いじゃない! ねっ?」
有紗が俺の左肩に手を置きウインクした。
あら可愛い。
――じゃなくてっ! はぁ……、もう勝手にしてくれ。
陽歌も有紗も歓迎してるみたいだし、ここで再度断れば二人からの評価が下がりかねない。
転校してきてからせっせと積み上げてきた有紗からの評価を失いたくはないし、陽歌に至ってはもっと昔からだから尚更だ。
断りたい気持ちしかないが、ここはグッと堪え仕方なく承諾することにしよう。
「わかった……」
「ホント? ありがとう!」
曽根が満面の笑みでそう言った。
あー、うさんくせぇー。
「ホームルーム始めるぞー。全員席に着け」
もう少し早く来てくれよ……。そうすれば流せたかもしれなかったのに……。
「それじゃあ今から体育祭クラスリーダーを決める」
少々お疲れの様子の藤崎先生は教室に入ってきて教卓の椅子に座ると、瞬時にキリッとした表情に変わってそう言った。
すると、急に教室がざわつき始めた。それでもみんなそのこと自体は知ってる様子だ。
俺はというと……。
は? なんですかそれは? 聞いたことないんだけど?
体育祭実行委員とか体育係ならまだしも、体育祭クラスリーダーとは?
何がなんだかごっちゃになってしまっているが、面倒そうな響きではある。
でもまぁ、どーせ二岡がやるんだろうし俺には関係ない――。
「はじめに、今回の体育祭クラスリーダーは学級委員にはやらせない」
――二岡がやると思っていたのだが、今回はそういうわけにはいかないらしい。藤崎先生がそう言うと教室内に異様な空気が流れた。
クラスメイト各々の心は読めないが、二岡を差し置いてできるわけがないとか、そもそもやりたくないといったところだろう。
俺はもちろんそもそもやりたくない側。
学級委員にはやらせないということで、体育祭クラスリーダーになる可能性がゼロではなくなってしまったことに少し焦る。
「待ってください藤崎先生! どうして学級委員は体育祭リーダーができないのですか?」
二岡が立ち上がり藤崎先生に問い質す。
やっぱりやりたかったんだな、体育祭クラスリーダー。
面倒事だし、常にそれを引き受けてくれる二岡にやってほしかったんだけどな。
「先日の学年会議でそういう話になった。特に二年生は生徒の主体性が欠けている」
どうやら二年生限定の話らしい。
確かに、俺も含めこの学年は人に流される人ばかりな気がする。
「学級委員にしても一年の頃からやる生徒はほぼ決まってしまっている。そこでだ、一人でも多くの生徒が自分自身で考え、行動できる人間になってほしいという願いからまずはこの体育祭クラスリーダー、これを普段責任ある立場に置かれている生徒以外の生徒にやらせてみようという話になったというわけだ」
藤崎先生は淡々とそうなった経緯を俺たちに伝えた。
ほう、てことはこれから先、体育祭クラスリーダー以外にもそんな感じのことがあるかもしれないってことだよね?
その度に押し付け合いをするわけか……。嫌なもんですな。
でもとりあえず、今回選ばれないように最大限に影を薄くしとこ。
「わかったら座りなさい」
藤崎先生はまだ立ったままだった二岡に着席を促すと、二岡は素直に従った。
もう少し食いつくと思ってたから少し意外だ。
「では、男女各一名ずつ、やりたいものはいるか?」
そんなのこのクラスにやりたい奴なんているはず――。
「はい! わたしやりたいです!」
――予想に反して真っ先に曽根が立候補した。
俺にはこいつの行動全てに何か裏があるとしか思えない。
それともこいつを介して二岡が指揮を取るとか? その可能性は大いにありそうだ。
「他、いないか? いないなら女子は曽根に決定するが……」
他に手が挙がることを期待しているのか、藤崎先生は決定と断言しない。
「おい有紗、やれば?」
藤崎先生がそれはもう他の生徒にも手を挙げてほしそうな顔をしている為、少し可哀想だなと思いコソッと隣の有紗に体育祭リーダーを勧めてみた。
「――やれるわけないじゃない……! 私を誰だと思ってるの?! 運動音痴の有紗ちゃんよ?」
何それ可愛い。
「それに曽根さんがやるんでしょ? それで良いじゃない」
確かにそれもそうなのだが……。
何となく、嫌な予感がするんだよなぁ。
でも有紗はマジで運動できないっぽいし、強要したいわけではないからここら辺で引き下がっておくことにしよう。
「はぁ……。いない、か。それでは女子の体育祭リーダーは曽根に決定する」
しばらく待っていたものの一向に手が挙がらないことに諦めたのか、藤崎先生は深いため息を吐いたあとそう言った。
「では次は男子、誰かやる者はいないか?」
藤崎先生と目が合わないように前の席の佐藤の背に隠れ、静かに息を殺す。
教室を見渡すこともせず、この時間が終わるのをじっと待つ。
誰も手を挙げていないことはわかる。藤崎先生がまだ何も言わないから。
今回もさっきと同じ顔をしてるんだろうなと思うと少し悪い気はするが、それでもやりたくないものはやりたくないから息を殺し続ける。
「誰もいない……か」
ほんの数分が経った時、藤崎先生の声が聞こえた。
どんな顔をしているかわからないが、声だけで残念な様子が伝わってくる。
可哀想だから誰か手を挙げてやれよー。
と、他人任せなことを心の中で呟いた。
「はぁ……、仕方ない。では先程からずっと佐藤の背に隠れている椎名」
「――ふぁい?!」
バレていたのか、不意に名前を呼ばれて思わず変な声が出てしまった。
と、というより何故俺を呼ぶ……? ――まさか?!
「椎名が体育祭クラスリーダーをやりなさい」
「――は?! なんでですか?!」
「良いじゃん佑くん! やりなよ!」
いいからちょっと黙っててくれる? ただでさえ藤崎先生のせいでクラスから注目を集めたのに、今ので余計に注目されたんだけど?
「他のみんなが顔を上げて考えている時に椎名だけ佐藤の背に隠れて下を向いていたからな。みんなじっくり考えた上で今回は立候補しないという選択をしたと思うが、椎名はそうじゃないと思ってな。ならば椎名にだけじっくり考えれば立候補という選択をする可能性があるわけだ」
いやいやいや、俺だけじゃなく誰もがやらないという考えの元、時が来るのを待ってただけだと思うんだけど?!
それにじっくり考えてもその可能性はないよ?
「それにこれは決定だ。この意味が理解できるかな?」
「い、いえ……、全然理解できませんけど?」
「おかしいな……? 理解できると思ったんだが……。もう少しわかりやすく言おう。略してティーエーだ」
いやわかんねえよ?! 余計に遠ざかった気しかしねぇよ?!
クラスメイトも揃って頭にはてなマーク浮かんでるように見えるよ?!
「ではこれで朝のホームルームを終わりにする。一時間目は体育だろ? 急いで着替えるように」
藤崎先生は最後にそれだけ言い残して教室から出ていった。
……ちょっと待て。いくらなんでも無理やりすぎんだろ……。
「ふふっ……。ドンマイ……」
有紗が同情するかのようにそう言ってくる。
「まさかホントに今ので決定なの……?」
額から汗が流れてきた。冷たい……。
「そうみたいね。じゃ、私は更衣室行くから……」
有紗は着替えの入った袋と体育館シューズを手に持ち教室から出ていく。
物凄く取り残された気分になった。
女子がいなくなり教室で着替えだす男子は、どいつもこいつもほとんどの奴が救われたかのように晴れやかな表情で着替えだす。
俺が犠牲になったわけだから無性にムカつく。
今日は朝から色々と最悪だ。本当、ツキがないというかなんというか……。
渚沙との二人暮らしを宣告されるし。流石にこれを最悪とは思うことはできないけどさ。
でも曽根がうちに来ることになったのは普通に最悪。
加えてトドメの体育祭クラスリーダーに強制的に決定されるしこれも普通に最悪。
はぁ……。マジで誰か俺を助けてください。
今日から見学ではなくなる体育の授業に向かう為、全く気分が乗らないまま着替え始めた。




