11 導き出すための一歩
美味しいはずのカレーの味がわからない。
みんなが会話していても、無意識に口を閉じてしまう。
周りの声が入ってこない。
ただ一点だけを見つめてしまう。
スプーンに反射する誰かの顔だけが目に入る。
お前は誰だと心の中で呟いてしまう。
「え……? な、何言ってんのあんた? スプーンに向かって」
目とスプーンの間に何かが入ってきては出て行き、それが二、三回繰り返され、俺とスプーンに映る誰かだけの世界が切断される。
「おーい……」
「――はっ! え、と……、何?」
隣に座る有紗が、俺の顔を覗き込むようにして俺の顔の前で手を振っていた。おかげで現実世界に引き戻された。
「カ、カレーの味、どうかなぁって?」
「――カレーの味?!」
俺は急いでカレーを口に運ぶ。先程までと違って味も感じた。
「普通に美味いぞ。学食のカレー以上うちの母さんのカレー以上ってとこだ」
「ややこしい言い方ね。でも良かったわ! みんなで一生懸命作った甲斐があった!」
有紗はニコッと笑うと自分の口にカレーを運び始める。
そういえば、十二合も用意された米はどういった配分がなされたのだろう。終始別のことを考えていた為、自分の皿にどれだけの量のカレーが用意されたのかすらわからない。
「そういえばさ、十二合も米炊いたじゃん? あれってどうなったの? やっぱ有紗が三合分くらい?!」
遂に気になって有紗に耳打ちして聞いてみたのだが、いつも通り顔を真っ赤にした有紗に睨まれてしまう。
「違うわよ! 二合よ! 三合も自分の皿に乗せたらバレるじゃない!」
強めの口調で耳打ちしてくる有紗だが、周りに聞こえないか不安になってしまう。
そもそも、二合でも充分危ない橋渡ってるけどね。
普段通りの会話をしていると徐々に自分が落ち着いてくるのがわかり、冷静さが蘇る。
「椎名先輩! さっきの話なんですけど……!」
反対側の俺の対角線上に座る橘が口を開くが、今この場で話すことではない。
「あ、その話は後でな」
俺の制止に橘はひとまず口を止めた。
あの時は急な告白で頭が真っ白になってしまったが、冷静に状況を整理しなければいけない。
何故いきなりチラ子が現れたのか。中学の後輩なら、何故今まで黙っていたのか。
はっきり言って謎だらけだ。
それに、最も重要なことは、そもそも橘芽衣は、本物のチラ子であるのかということだ――。
※※※※※
昼食の時間が終わり、片付けを開始する。
班員で分担して食器等を洗い指定された場所に置いて本日のカレー作り、別名飯盒炊爨は終了した。
この後約一時間の休憩を挟んだ後、ハイキングを行うらしい。
山を登り頂点まで行ったら戻ってくる。ただそれだけ。
何故そんなことをしなきゃいけないんだと内心思うが、決まり事なので行くしかない。
とりあえず時間まで一時間程あるから、束の間の休息で頭の中を整理していこうと思う。
おっと、その前に……。
「さっきはありがとな」
「――っ?!」
ただ一言有紗に礼を言ってから部屋に戻る。有紗が何か言っていた気がするが聞こえなかった。
部屋に戻ると既に他のメンバーは戻ってきていた。
「おっ! 椎名! トランプやろうぜトランプ!」
涌井は俺を見るや開口一番トランプに誘ってくる。そんなことしてる暇は俺にはないのだが、ここで断れば部屋の空気はさらに重くなるかもしれない。とりあえず一戦だけやってあげることにしよう。
涌井が提案してきたのはスピード。これでは俺と涌井の二人だけでしかできない。だが相沢や反町弟は遠慮気味だった為、ひとまずさっさと終わらせて頭の中を整理する時間を作ることに専念させてもらおう。
「よっしゃー! 俺の勝ち~! 椎名ちょっと弱くね?!」
勝ち誇った顔で涌井は言ってくるがどうでも良い。とりあえず早く終わりさえすれば結果なんて気にしない。
「おー、強いな涌井。全然歯が立たなかったよ。というわけで、俺、今からやることあるから! また後でな!」
「えっ?! おいちょっと待てよ!」
涌井の制止に対し、聞こえないフリをして部屋を飛び出す。
飛び出したは良いものの、さてこれからどうしよう。一人で考え事ができて座っても大丈夫そうな日陰があればいいのだが。
ひとまず宿泊施設の外に出てみると、他クラスの生徒や他の一年生たちが戯れていた。
我らが二年三組の生徒はっと……、うん、いないね。みんなお部屋でゴロゴロタイムかな。
というよりこの施設、かなり壮大だ。冷静に考えてみると約八十人も宿泊できる施設が八棟も立ち並んでいることに目を疑ってしまう。
他クラスの生徒が騒々しくてとても考え事が出来そうになかった為、黄の荘の裏側に回ってみると一面日陰に覆われていた。
この時間は太陽の位置的にこちら側には日が当たらないようだ。イスやベンチがあるわけではないが、コンクリートだから汚れることもないと判断し座り込む。
さて、それでは今から橘芽衣が本物のチラ子であるのかどうか考えてみよう。
まず、橘芽衣は自分がチラ子だと言った。
これは圧倒的に重要なことで、チラ子については俺と渚沙、それにチラ子本人しか知らないはずだ。相沢には軽く話したことがあるが、チラ子というあだ名は言った覚えがないから、相沢はこの件には関わっていない。
チラ子があの夏以降、友達が出来てチラ子というあだ名について話したという可能性も考えられるが、その可能性は極めて低い。
そうなれば、必然的にチラ子を名乗る橘芽衣が最有力チラ子候補となる。
では、何故チラ子は中学校の頃俺に接触してこなかった?
この点において、橘芽衣は陽歌がいたから遠くから眺めていたと言っていた。チラ子の特性上何となくその様子が想像できてしまう。物陰に隠れて俺を見ていても不思議じゃない。
あれ……? もしかしてチラ子、ストーカー気質高くね? やっぱ橘芽衣が本物なの?
ここまで整理すると、チラ子と橘芽衣の共通点は存在していた。
だが、俺の知りうるチラ子と橘芽衣とでは違う部分も存在する。
まずチラ子は黒髪で橘芽衣は赤髪だ。染めたという可能性もあるが、あの性格上想像がつかない。
それに、チラ子はコミュ力が無いし、交友関係も俺以外にはなかったはずだ。仮に友達が出来たとしても、あそこまで飛躍的にコミュ力が上昇するとは思えない。そんな人間はほんの僅かだ。
あと、橘芽衣は『可愛く上目遣い』、なんて言っていたり一人称が『私』ではなく『芽衣』であったりする。
チラ子の一人称は『私』だったし、『可愛く上目遣い』なんて狙ってやってくるような小悪魔的あざとさはなかった。そんなこと狙ってできるような子ではなくむしろ自然にするタイプだ。
ここまで整理してみた結果、結論は出ていない。チラ子確率五十パーセントといったところだ。
幸い、橘芽衣がチラ子なら俺に対して嫌悪感を抱いているということはない。むしろ好印象の模様だ。
ならば、ここはひとまず探りを入れにいくことにしよう。過去の話をしていけばチラ子なら答えられるし、そうでなければボロが出るはずだ。
林間学校、残された時間は大いにある。
願わくば、本物のチラ子であってくれたなら嬉しい。
気がつけば日陰は無くなり一面を日光が照らしている。
雲一つ見当たらない大空を、祈るように見つめた――。
□□□
『ありがとな』
あいつは私にそう言った。
だけど私に感謝なんてしなくていい。
あと少しだけ早く私があの場に行っていさえすれば、あんなに思い悩むこともなかったんだから。
カレーを食べている時のあいつに私の声は届いていなくて、何を話しかけても反応がなくて。
『お前は誰だ?』
スプーンを見つめて言っていたけど、誰に対して言っていたのかはわからない。もしかしたらあいつ自身もわかってないかもしれない。
でも、スプーンに映ってるのはあいつの顔。
私は怖かった。あいつが自分を認識出来てないかもしれないことが怖かった。
一縷の望みを掛けてあいつの目の前で手を振ってみた。あいつとスプーンだけの世界から引きずり出してあげたかったから。
あいつは帰ってきてくれた。私に気付いてくれたことが嬉しくて、そのあとの普段通りの会話も楽しくて。
その後すぐに、普段通りに戻ったあいつに橘さんが声を掛けていて。
あいつは平気そうだったけどやっぱり私は心配で。
というより……、どうして私があいつの心配なんてしなきゃいけないの!
……ホント私、どうしちゃったんだろ。
そんなこと考えたって、心配で仕方ない。
何かしてあげたくてどうしようもない私がいる。
外の自動販売機で飲み物を買い宿舎に戻ろうとした時、あいつが玄関から出てくるのを見かけた。
やけにキョロキョロしてるなぁ。誰か探してるのかな?
なんて、考えれば考えるほど嫌な予感がした。これが橘さんだったら取り返しがつかなくなってしまうかもしれない。
大急ぎであいつの後を追うと、それは杞憂に終わり安心した。
座り込んで考え事をしているあいつ。
普段だったら当たり前のように首を突っ込む私だけど、今日はなぜかそれが出来なくて……。
ただ物陰からあいつを見ていることしか出来ない私。
あいつが考え事をしている間、ずっと見ている私。
どれくらいの時間が経ったかな? スマホを開いて時間を見ると集合時間までもうすぐだ。
合同班には橘さんがいる。あいつをその場に放り込むのは不安だけど、流石に遅れるわけにはいかない。
何かあったら私がなんとかするんだ。仮に、あいつが騙されてしまったとしても、なんとかしてみせる。いいえ、その前に絶対に騙されないようにしてみせる。
そう自分に言い聞かせ、一歩ずつあいつに近づいた。
□□□
「ね、ねぇっ……! そろそろ時間なんだけど!」
空を見つめる俺の目に有紗の顔が飛び込んできた。至近距離から俺の顔を見つめている。
「――うぇっ! び、びっくりした……」
あらまあ可愛いお顔。思わずドキッとしちゃったよ。
「い、いつからいた?」
「え? いたっていうか見てたっていうか……」
「見てた……?」
「な、なんか考え事してるっぽかったし、邪魔しちゃ悪いかなぁって思ってあそこから」
有紗の視線の先は、黄の荘の裏に回ってくる丁度曲がり角の所。あそこから様子を窺ってたらしい。
「そ、そんなことより! 時間っ……!」
「え……? あぁ、そうだな。じゃあ行きますか」
砂埃を払う。
今から行う活動はハイキング。林間学校は合同班で行動する為、橘芽衣との接触機会も非常に多い。
橘芽衣チラ子説の結論を出す為の道のりに、大きく一歩踏み出した。
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