9 大火傷危機一髪
カレー作りの注意事項を説明する杠葉さんは、以前のオドオドした様子もなく実にハキハキしていて、メガホン有りでだがよく声が通っていた。
俺の班のクラスメイト二人、また近くのテーブルのクラスメイト達が杠葉さんの変化に驚いていることが話し声から聞き取れもする。
注意事項の説明も無事終わり、これからカレー作りが始まるのだが、いったい俺は何をすればいいのやら。
「あのー、俺は何をすればいいのでしょうか?」
橘の一件ですっかり有紗にフォローをお願いするのを忘れていた俺にとって、いざカレー作り開始とはいかない。
料理経験皆無の俺が勝手に動くことはしない方がいいに決まっているし、誰かに指示される方が間違いなく上手くいく。
故に俺は、両手暇してますよアピールをしてみた。
「じゃあ男子チームはお米炊いてきて。女子チームはカレーを作るわ」
この一、二年合同班の実質リーダー有紗がテキパキと指示を出す。
それに対して意見を言う者はいない。一年生の男の子達なんてむしろ嬉しそうにしている。
まさに憧れの有紗さんに指示を出してもらえた俺幸せ! といった感じだ。
もちろん俺も例外ではなく、担当がカレーではないことに幸せを感じている。
飯盒を二つ手に持ち、一年生を引き連れ指定の場所に歩いていく。俺が持っている飯盒二つと俺のクラスメイトが持つ飯盒二つを合わせて四つ、合同班の人数は八人だから計八合。先程まではそう思っていた。
だがしかし、米炊きに向かう直前に有紗が耳打ちしてきたのだ。
『全部で十二合お願いね!』
相変わらずよく食べますねホントに。どうせ男子の分多くして自分の量が多いことがバレないようにカモフラージュするんだろうけどさ。
程々にしないと良い加減そろそろバレるんじゃないですかね?
とはいえ、十二合用意することは米を研ぎ始める前に先に言っておかなければならない。研ぎ始めてしまったら後の祭りだからだ。
「あー、有紗からの要望なんだけど、十二合炊いてこいだってさ。だから各々飯盒には三合分用意してくれ」
「別にいいけどなんで十二合なんだ? 全部で八人なんだけど多すぎたりしないか?」
了承しつつもそのように俺に疑問を投げかけてくるのは同じ班の男子、佐藤充だ。
佐藤はクラスに二人いて、こっちの佐藤は俺の前の席、もう一人は前の前の席だから同じ班ではない。ちなみにもう一人の佐藤は女子だ。
ややこしいが俺はもう一人の佐藤とは関わりがないから、こっちを普通に佐藤と呼んでいる。
「それがな、佐藤。せっかくのカレーなんだし沢山お米もあった方が良いって有紗が言うからさ。一年生も食べ盛りだろうからってさ」
もちろん嘘である。真実は間違いなく有紗が沢山食べたいだけに決まってる。
だがそれは言えない。俺が殺されるから。
バレるなら勝手に自爆してくれ。俺は死にたくないんだ。
「あー、なるほどな。そういうことか」
佐藤はすんなり納得してくれて飯盒に三合用意し始める。
対する一年生の反応、これを俺は予想できたから今の発言ができたのだ。
「ひ、姫宮先輩が言うなら俺たちどんな量でも食べれるっす!」
「そうだな! よくよく考えたらそれって姫宮先輩の手料理を長い時間堪能できるってことだよな! 全然大丈夫っす! むしろ二十合炊きましょう!」
と、わかっていた通りこいつらは有紗にデレデレだ。
思う存分、有紗の食欲の糧となってくれたまえ。
「ちょっと二十合は多すぎるかな。もし残したら有紗に嫌われるかもしれないぞ。言われた通り十二合にしておく方が良い」
二十合だろうが有紗は食べ切ってしまう気がしてならないが、もしそんな事態になれば大食いバレ必至だ。
そうなればほぼ確実に俺に矛先が向く。それだけは絶対に避けたい。
「あーっ! 姫宮先輩に嫌われるのだけは嫌だぁ! わかりました! 椎名先輩の言う通り十二合にしましょう!」
頭を抱えてしゃがみ込んだ後、すぐに立ち上がって自分の有紗への思いを熱弁する一年生男子。
有紗の名前を出してしまいさえすれば一年生男子の扱いは簡単だ。やりやすくて助かってしまう。
各々三合の米を研ぎ終わった後、米を炊く場所を探す。どの班もすでに来ていて中々場所が見つからない。
「おい椎名!」
名前を呼ばれた方向に顔を向けると、担任教師の藤崎先生がこの場の監督をしていた。
「なんですか?」
「あそこが空いてるぞ」
藤崎先生が指差す方向を向くと、一箇所空いている場所があった。
「珍しいですね、藤崎先生が気を利かせて教えてくれるなんて」
「普段の私がお前にどう映ってるか心配になってくるよ……。いいか? 私は教師だぞ? この場で生徒がスムーズに動けるようにするのも私の仕事だ」
生徒の自主性に任せると言っていた気がするが、この場においてはその発言の意味とはニュアンスが違うのだろう。あの時の発言は俺の胸の内に深く残っているが、今はとりあえず感謝しておこう。
「そうみたいですね。ありがとうございます」
一度、藤崎先生に軽く会釈してから空いていた場所へ向かうと、そこにはブロックが四つ、飯盒を吊す棒が二本と薪が用意されていた。
「これ、どうやって使うんだ?」
ご丁寧に用意されていても使い方がわからないのでは全く意味がない。とりあえず佐藤に聞くことにしたのだが、班の一年生の一人が真っ先に口を開いた。
「あ、僕わかりますよ。これをこうして、こうでっと。後は薪に火をつけて棒に飯盒を吊るしてブロックの上に掛ければおーけーです!」
ブツブツ呟きながらも手際よく組み立ててくれる彼。瞬く間に二セット完成させてくれる。
「ほぉ! すげえな。佐藤、心配だから俺がこの子とペア組んでも良い?」
「おういいぞ。じゃあそっちは任せるな」
佐藤から了承ももらい早速薪に火をつけていく。
「えっと、あとはこれを乗せるんだっけ?」
「はい! そうですよ椎名先輩」
確認してから恐る恐るブロックの上に飯盒を吊るした棒を掛ける。ただそれだけなのにいちいち緊張してしまう。未知の経験は意外と楽しいかもしれないと思った。
「そういえば、君の、名前は?」
思い返してみれば俺はこの一年生の男の子の名前を知らない。一緒にペアを組んでいるのに知らないのも変な話だと思い聞いてみた。映画風に。
「僕、佐藤俊彦って言います! よろしくお願いします!」
さ、佐藤だと……。世の中には佐藤さんが沢山いるのは知っているが、いきなり三人も現れると少しビックリしてしまう。
「そうか。じゃああっちの佐藤と区別するために名前で呼ぶな。よろしく、俊彦くん」
五分間、弱火で炊き中火にし、また五分間炊き強火にする。その間ただボーッと火を眺めているだけなのも暇だから俊彦くんと雑談して過ごしていたのだが……。
「椎名先輩~」
急に後ろから首元に手を回された。隣にいる俊彦くんは苦笑いを浮かべている。今回俺はすぐに気付いた。
ストーカー野郎が襲撃してきたことを……。
火が目の前にあるのに、後ろから抱きついてくるの、やめてくれない……?
これが初めてのことだったら俺、ビックリしすぎて思わず前のめりになって火に飛び込んじゃってたかもしれないよ? そうなってたら俺、ただの火傷では済まなかったんだけど?
ホント、大火傷危機一髪だったよこの野郎!




