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6 悪夢ではない夢

 五月も終盤に入り、春の陽気も薄れつつ徐々に蒸し暑さが出てきた今日この頃、少しばかりの眠気に襲われている俺は、今現在林間学校行きの貸し切りバスに乗り、出発の時を待っている。


 バスの席順は完全自由。こういうところは融通が効く良い学校だと思う。

 ちなみにバスの中には俺の他に陽歌と運転手しかいない。


 早朝、家を出る予定の時間より一時間三十分も早く俺の家のインターホンを連打して襲撃してきた陽歌に重たい足を無理矢理動かされた末に、集合時間の三十分以上も前に学校に着いたのである。


 だから眠い。本当に眠い……。


「みんな来ないねー」


 俺の座る席の通りを挟んで反対側の窓際に座る陽歌がポツリと呟く。


「どう考えても早いからな。ホント早すぎだわ」


 眠すぎて自然と欠伸が出てしまう。


「眠いの?」


 睡眠を一時間以上あなたに削減されましたからね。普通に眠いですよ。


 目蓋が開けていられないほど重くなってきた。意識が遠のいていく。

 ぼんやりと聞こえてくる陽歌の鼻歌を子守唄代わりにし、浅い眠りに落ちた。


★★★


『佑紀くん、どうして?』


 だ、誰だ……? 

 目の前に現れる顔の見えない幻影。だが、聞き覚えのある声だった。


『私のこと、やっぱり忘れちゃった?』


 ――チラ子か?! 忘れてなんかないっ……!


『じゃあどうして、諦めちゃったの?』


 ……諦めた? 俺は、諦めたのか?


『どうして、約束‥…守ってくれなかったの?』


 違う……! 俺は守ろうとした! でも……!


『じゃあ、またね。佑紀くん』


 おい、ちょっと待て……! 行くな! チラ子ぉっーー!

 どんどん遠くなる少女の幻。俺にとって、それが消えていくのがあまりにも怖かった。


 ★★★


「椎名、おい椎名、大丈夫か?! 起きろ椎名!」

「……んん? ――っはぁっ! はぁ、はぁ……」


 夢、か……。


「おい大丈夫か椎名。酷くうなされてたけど……。悪い夢でも見たのか?」


 誰も座っていなかったはずの隣には相沢が座っていて、近くの席に座る生徒たちもこちらの様子を気にしている。できればやめてほしい。

 というか、バスが動いている。寝てる間に出発したみたいだ。


「おーい椎名」

「え……? あぁ、大丈夫。大丈夫だから」

「大丈夫ならいいけどよ? ならなんでお前、泣いてんだ……?」

「――はっ?!」


 目から(しずく)が頬を伝って流れているのを感じ、慌ててそれを手で拭う。


「なんでもない、なんでもないから」

「ま、多くは聞かねーけどよ」


 こういう時、相沢は無理に深入りしてこようとしないから助かる。


「ごめんね佑くん。私が朝無理に起こしちゃったからだよね?」


 反対側の席に座る陽歌も心配したのか、一言声をかけてくる。だが、早朝陽歌に無理矢理起こされたことと今回の夢は一切関係ない。


「別にそのせいじゃねーから」

「それにしても椎名っちの泣いてるところ見れるなんて激レアだよねぇ! 写メるの忘れちゃったのはホント失敗だよー!」


 人をスマホゲームのガチャみたいに言うのはやめてほしい。

 俺もスマホゲームでフェス限とか出たときスクショしたりするときあるよ。……じゃなくてっ! 大声で言うのやめてくれる? 恥ずかしいんですけど?!


「おい春田、ちょっと声が大きすぎるぞ。こりゃ店長に報告だな」

「はっ! ごめんなさい! それだけはやめてくださいお願いします良介さま!」


 両手を合わせて懇願している春田に、相沢は苦笑いを浮かべている。相沢も別に本気で言ったわけではなく、釘を刺しただけなのに大袈裟に反応されて困っているのだろう。


「ぐっ……あっ! 休憩みたいだぞ。お前も外の空気吸った方がいいだろ。ちょうどよかったな」


 バスがサービスエリアの駐車場に停止する。予定では出発から一時間程度で休憩になると聞いていたから結構寝ていたらしい。


 前方の扉が開いて続々とクラスメイトが降りていく。


「大丈夫? 椎名、酷くうなされてたって聞いたけど」


 相沢に言われた通り、外の空気を吸う為に降りる支度をしていると、後方から来た一人の生徒が話しかけてきた。


 どうしてこうも簡単に、一番後ろの席に座っていた二岡にまで先程の話が伝わっているのだ。

 伝言ゲームでもしていたのか? それともクラスのグループトークでネタにでもされてるのか?


「え? 大丈夫大丈夫! 特に問題はないから!」

「そうか。なら良かった。良かったらこれ飲んで! 眠気覚ましにもなると思うから!」


 そう言って二岡がエナジードリンクを手渡してくる。


 え? 何これ? 貰っちゃっていいの? というか二岡、わかっちゃいたけどめっちゃイケメンなんだけど。ヤバイ、男なのにときめきそう。


 人気の理由がまた一つわかってしまった。


「ホントに良いのか?」

「良いって! 実は十本持ってきてるからさ」

「――十本?! ま、まさかみんなに配るために……?」

「まさか! そんなわけないよ。そんなに他人に配れるほどお財布事情は(かんば)しくないからさ。普通に自分で飲むためだよ。これ、好きなんだ」


 よかった……。この人気は諭吉を叩いて手に入れているわけではなさそうだ。ちょっと安心。


「じゃあ遠慮なくもらうよ! サンキューな二岡」

「どういたしまして。じゃあ俺は先に降りるから」


 イケメン、イケメンだわこいつ。涼しげな爽やかスマイルを俺に向けるんじゃない! ついついニヤけちゃうじゃないか! 


 学園中の女が惚れるのも頷ける。なのに手を出せない葛藤が学園中に蔓延(はびこ)ってるに違いないと確信させられる。


 本当は手を出してもいいはずなんだけどね? 頑張れよ、花櫻の女達。


 二岡にもらったエナジードリンクを手に持ち、バスを降りる。


「おい椎名」

「ん?」


 バスを降りた所で待ち構えていたのは我らが担任、藤崎翔子だ。


「なんですか?」

「少し様子がおかしかったみたいだが、大丈夫か?」


 何故知っている。クラスのグループトークにもいなければ、伝言ゲームでもこの人には流石に伝わったりしないはずだ。背中に目でも付いてるのかと言いたくなる。


「別になんともないですよ。気のせいです」

「なら良いが、体調が悪かったらちゃんと言うんだぞ? 無理はさせられんからな」


 こういうところはちゃんと教師だと思えるが、あの発言が俺的には全てを帳消しにする。


「わかってますよ。それじゃ」


 軽く会釈して歩き出してから辺りを見回すとサービスエリアの端の所にちょうどいいベンチを見つけたのでそこに向かう。


 ベンチに座り、先ほどもらったエナジードリンクの蓋を開けて一気に飲んでいく。

 初めて飲んだけど結構美味い。眠気も一気に飛んでいく。


「何こんなところで一人で黄昏(たそがれ)てんのよ?」

「おはようございます佑紀さん」

「あ、杠葉さんおはよう。あとそっちの、今のがそう見えるなら一度眼科に行くことをお勧めする」


 ただ、ベンチに座ってエナジードリンクを一気飲みして目を覚ましていただけなのに、そんなこと言われる意味がわからない。


「そっちのって……。あんた、私の扱い最近雑になってきてるわよ」


 あなたは最初から俺の扱い雑でした。


「酷い悪夢にうなされてたって聞きましたけど、大丈夫ですか? 気分は悪くありませんか?」

「あーそうそうそれ! いきなり伝言ゲームみたいに伝わってきたけどホントなのそれ?」


 正体は伝言ゲームでしたか。人が寝ている間にずいぶん楽しそうなことしてますね。


「別に悪夢じゃないから大丈夫。ただの寝不足だから気にしないでくれ。それもバスの中で寝て治ったし」

「なら、良いのですが……体調が悪かったりしたら言ってくださいね。お薬も持ってきてますから」

「わかった。その時はそうさせてもらうよ。じゃ、戻りますか」


 眠気も無くなり、軽くなった腰を持ち上げ立ち上がり深呼吸をする。


 悪夢ではない。夢の中のチラ子に言われた言葉に強い違和感を感じていた。

 バスから降りて、ベンチまで歩きながら俺は自問自答していた。本当にチラ子を探すことを諦めたのかと自分に問い、それに対して言葉が出ない。何度繰り返しても肯定できなかった。


 俺は理解した。結局チラ子に会って謝らなきゃ気が済まない自分がいることに。

 わがままだ。一言で片付けられるくらい俺はわがままだ。


 チラ子は会いたいなんて思ってくれてなどいないかもしれない。強く俺を拒絶しているかもしれない。

 それでも良い。俺がそうしたいからチラ子を見つけ出す。


 最近捨てた目的とは別の目的。いや、決心といったところだろう。

 新たなる決意を胸にしまい、有紗と杠葉さんの後を追った。


 側から見たら悪夢に映るあの夢は、俺にとって悪夢ではなかった。

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