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3 少女との約束

 翌日以降も俺は当然のように母親に図書館に向かわされた。


 その日は例の席には誰も座っていなかった。


 一瞬前日の少女のことが頭をよぎったが、すぐに切り替えて宿題にとりかかった、のだが……。


 席の一番近くの本棚の片隅からこちらをじっと見ている人影が目に入った。例の少女が本を片手にこちらの様子を窺っていた。


 (またか……)


 用件を聞こうか迷ったが、どうせ聞いても同じ反応が返ってくるだけで聞くだけ無駄。半諦めで宿題に取り組み、ルーティン通り公園に行き壁打ちをした。


 その間少女は、やはり大きな木に隠れてこちらを見ている。


 そんな日々が三日間は続いた。


 そしていよいよ流石の俺も耐えきれなくなり言ってしまった。


 『こっち来れば?』

 『――ひゃわ?! こ、こっちって……?』

 『だーかーらー、そんな遠目で監視されるとめちゃくちゃ気になるからもうこの際こっち来れば?』

 『私もそこに座っても、いいの……?』

 『空いてるんだし別にいいけど』


 俺がそう言うと、少女はオドオドしながらゆっくりとこちらに歩いてきて向かいの席に座った。

 近くから距離でジロジロ見られるのも気になるが、少し離れた所から監視するかのようにコソコソと見られるのより遥かにマシで気分はかなり落ち着いた。


 だから少女が正面からこちらを見て来ようが、俺は気にせず宿題に取り掛かれた。


 『――あのっ!』


 意外なことに少女の方から俺に話しかけてきた。


 『……え? なに?』

 『――こ、ここ間違ってるよ!』


 その声にはやたら勢いがあったのだが、緊張していたのかすぐに本で顔を隠してしまう。


 『え? マジ? どこ?』

 『ここ、二十三じゃなくて、答えは八だから……』


 答えが違うことに焦った俺がすぐさま少女にどこが違うのか聞き直すと、ヒョイっと本の上から顔を出し、指を指して再度指摘し、答えまで教えてくれた。


 というか、朧げな記憶だけど確か割り算の計算をかなり的外れな数字で間違えていたはずだ。

 やっぱ小学生の時からバカだったんだな、俺。


 『おぉー! 教えてくれてありがとな! というか、もしかしてこの前も……?』


 小さく首を縦に振って頷く少女。

 

 (マジか……、恥ずかしい。)


 少しばかりの羞恥心を覚えた。


 『ご、ごめんね……。私、お友達とかいたことなくて、家族とか先生以外とお話ししたことあんまりないから、あの時もつい隠れちゃって……』

 『ふ、ふーん。よれよりさ、読んでるのか読んでないのかわかんねーけどお前いっつも手に本持ってるよな。面白いのか? それ』


 俺の反応が予想外だったのか少女は目を丸くして驚いていたが、とりあえず羞恥心を誤魔化したかった俺にとって、少女に友達がいるとかいないとかそんなことはどうでもいいことだった。


 それとは別に、この時既に、この少女に少なからず興味を抱いていたのもまた、事実だった。


 『お、面白いよ! よ、読んでみる……?』


 少女が持っていた本を俺に渡してくるからパラパラと目を通してみたが、漢字も読めないし何より細かな文字が敷き詰められていた。それだけでギブアップだ。


 『え……? 何これ全然つまんない。読めないし』

 『そ、そんなことないよぉ』

 『もっと文字が少なくて読みやすいやつとかないのか?』

 『それなら、絵本とか読みやすいよ』

 『バカにしてんのか?!』

 『――ひゃう! ごめんなさいぃ……』


 俺が少し強い口調で言うと、少女は目をうるうるさせ本で顔を隠してしまった。


 そこまで怖がらせるつもりだったわけではなく、バツが悪かったから絵本で妥協することにした。


 『でもまぁこの際絵本でもいいや』

 『――えっ? じゃあ絵本コーナー、行こう?』

 『これ終わったらなー。だからちょっと待ってて』

 『――うんっ!』


 宿題に目を向けていたから少女がどんな表情をしていたのかは知らない。ただ、少女の声は確かに、出会ってから一番弾んでいた。


 絵本コーナーに行くと、少女は何冊も手に取り渡してきた。


 その中にはもちろん読んだことがある物も含まれていて、もう一度読み返してみたり、感想を言い合ったり。


 しまいには俺が読んだことがない絵本をいきなり読み聞かせてきたり。それがなんだか、心地よく感じている自分がいた。


 そんなことをしていたらその日もあっという間に時間が過ぎ、図書館の閉館時間になった。


 『ごめんね。私といるの、迷惑じゃなかった?』

 『はぁ? なんでそうなるの……』

 『だって、昨日まではお勉強が終わったら公園で壁に向かってボール打ってたから、今日も本当はそれがしたかったんじゃないかと思って』


 したかったかと聞かれたらもちろんしたかったが、それ以上にいつもより充実感を感じていた。


 『昨日まではマジで迷惑だった。でも今日は迷惑じゃなかったよ。楽しかった! ありがとう』


 そのまま思ったことを口に出した。嘘偽りのない本音だった。


 『――えっ?』


 少女の頬を涙が伝い、止めどなく流れては地面に落ちていった。


 『えっ?! な、なに? 今の、言わない方が良かった?!』


 少女は手で涙を拭くがそれでも、止まることなく流れては地面に落ちた。


 『違うよぉ……。嬉しかったの。私といて楽しい人なんていないと思ってたから……。嬉しかったよ。だから、私こそありがとう。一緒に遊んでくれて、ありがとう……!』


 涙を止めるのを諦めた少女は、これまでで一番の笑顔を向けてハッキリと言葉で伝えてきた。


 その言葉にも嘘偽りはないと確信したし、今でもそう信じている。


 『……私たちって友達、だよね?』

 『そりゃもう友達だろ』

 『――うんっ! 友達! また明日! バイバイ……!』


 少女は友達がいないと言っていた。だから友達ができたことが嬉しかったんだ。


 満足そうな笑顔を見せて小さく手を振り帰っていった。


 (また明日、か。行くなんて一言も言ってないのにな)


 短い別れの挨拶、その響きに次の日また図書館に行くのが待ち遠しくなっていた。


 次の日以降、昼過ぎに図書館に行けば必ずあの席で少女は待っていた。昨日までとは打って変わってオドオドした様子もなかった。


 三日ほどだろうか、俺と少女は同じ時間を過ごし、その分だけ心の距離も近くなった。

 自信過剰かもしれないが、もう既にゼロ距離だったと思う。


 『お前、ずっと見てるだけで楽しいか?』


 公園で俺が壁打ちするのをただ楽しそうに見てただけの少女。ただ、最初の頃と違い、木に隠れていることはない。


 『私は見てるだけでも楽しいよ』

 『つってもなぁ……。あ、お前なんかやりたい事とかないのか?』

 『やりたいこと……。――ずっと一緒にいたい!』


 少女は真っ直ぐ目を見て真剣に言ってきた。当時の俺も、小学生ながら流石に照れ臭くなった。


 『ま、まぁ、一緒にいてやらんでもない』

 『ホント?!』

 『うん。あ、それより明日は夏休み最後の日だな』

 『うん、そうだね……』


 夏休みが終わるのが嬉しくないのはほとんどの人がそうだと思うが、友達が他にいない少女にとってそれは比にならないくらい嫌なことだったのか、物凄く悲しそうな顔をしていた。


 『ということで、明日はチラ子がやりたいことをやります』

 『さっきずっと一緒にいたいって言ったよ? ……チラ子って私のこと?』

 『チラチラ見てきたからチラ子。お前のあだ名な』

 『――チラ子。うん! チラ子!』


 我ながらネーミングセンスのかけらもないあだ名だと思う。だが当時の俺には他に思いつかなかったし今も思いつかない。


 『はいこれ』


 俺は鞄の中から宿題のプリントを取り出し文字がなにも印字されていない真っ白な部分を破りチラ子に渡した。


 『何これ……? 学校のプリント破っちゃダメなんだよ?』

 『まぁいいからいいから。ずっと一緒にいたいってのはわかったから、もっと具体的に、何というか、お前の願いを叶えてやるからそれ書いてこい。明日はそれをやるぞ』

 『願い事……? ホント?!』

 『ホントだ。あ、でも絶対無理なのとかはやめてね』

 『うん、わかった! でも絶対叶えてね! 約束だよ?』


 少女は、俺と少女の小指を絡ませてニッコリと微笑んだ。


 『佑紀くん! また明日! バイバイ!』


 チラ子は家に帰っていた。


 チラ子はなぜか俺の名前を知っていて、俺はチラ子の名前を未だ知らず。


 その日以来、チラ子と会うことはなかった――。



◇◇◇


 チラ子との思い出の机に辿り着き、机に鞄を置いて恐る恐る椅子を引く。


 その瞬間、向かいに座る人物と目が合った。


 白い肌、眼鏡の内側に大きな瞳、そして奇麗な艶のある肩の先まで伸びた黒髪をした女の子。


 「ゆ、杠葉さん……?!」

 「ゆ、佑紀さん……! ――あっ……! こんにちわ! 佑紀さんも勉強ですか?」

 「あー、うん。まぁそんなところ」

 「では、一緒に勉強しませんか?」

 「う、うん。お願いします」


 違った。そんなこと最初からわかってた。それでも期待してしまった。けど違う。違うんだ――。


 杠葉さんはチラ子にどこか似た雰囲気がある。けど杠葉さんは姉以外には丁寧な言葉遣いで、チラ子はそうじゃなくて。


 杠葉さんは早速俺に日本史を教えてくれる。分かりやすく、丁寧に、優しく。


 心地よさを感じる。それは、チラ子といた時と似ているけど僅かにずれていて――。


 距離もまた、僅かに離れている気がした。


 だから今、目の前にいるのは、杠葉綾女、その人だ。

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