18 ブレザーの汚れ
弥生日和の扉を開くと、鈴の音が鳴り響いた。相変わらず良い音色だ。
今日は昨日と違い、店内にお客さんがそこそこいるからか少し騒がしい。
「お! やっと来たね! それにこんなに連れてきてくれるなんてやるねぇ!」
四名様ご来店ということで春田もご満悦な様子だ。案内された席は昨日の二人がけのテーブル席ではなく四人座れる座敷の席。
各々食べるメニューを決めて注文をする。俺は昨日抹茶ぜんざいを頼んだから、今日はもう一つの杠葉さんのおすすめであった抹茶パフェを頼むことにした。
昨日は杠葉さんと二人で来たから春田が色々と指摘してきたが、今日はしてくる気配もなければ気にしている素振りもなく普段接する姿だった。
一応四人で来ているから大丈夫なんてこと、あの学園の生徒の常識から考えると無いはずだ。
恐らく、男子が杠葉さんとプライベートで接することは二岡以外に許されることではなく、悪であるという共通認識の元に成り立っている。
それでも春田が何も言ってこないのは、既に俺のことに関しては諦めているのか、はたまた相沢が言っていたように気付き始めているのか。
俺としては、これからも普通に杠葉さんと接していく為には周りの理解者の存在も重要になってくると思っている。
今はまだ有紗と陽歌、それに相沢しかいない理解者に、春田もいつかはなってくれることを俺は期待している。
杠葉さんの決意を知った俺に、今後杠葉さんと学校で距離を置く気など全くない。まだ対策を使う必要はあるのかも知れないが、それが尽きれば関わらないという事もない。
通用しなくなれば開き直ってプライベートと同様に接するのみだ。
いずれ必ず杠葉さんが杠葉さん自身の存在を認められ、学園の生徒達が彼女自身を見る時が来ると信じている。
その時にはきっと、誰もが今の俺と同じように彼女と接することができている、そんな未来に期待したい。
「お待たせしましたー! 抹茶パフェ二つと抹茶ぜんざい、苺大福二つに豆大福二つ、抹茶大福二つになります! あとこれはサービスね! ちゃんと相沢っちにお礼言ってね!」
今日もせっせとアルバイトに勤しむ相沢のお財布事情を抉るように昨日の倍のサービスが置かれた。
昨日の抹茶わらび餅に加えてみたらし団子が四本……。本当すまんな相沢。ま、こんなサービスさせたの有紗だけど。
「相沢は出てこれるのか?」
流石にお礼を直接言いたいから、呼べるか聞いてみた。
「あー、今日はお客さん結構多いから難しいかも」
「そっか。じゃあ明日学校でお礼言うわ」
「うん! そうしてあげて!」
春田はそう言って慌ただしく別のテーブルに向かう。
それにしても……。
有紗の目の前には大量の大福が置かれている。合計六個。サイズも少し大きめだから相当な量なはずだ。
食欲旺盛なのは構わないが、この時間にこんな食べて夕飯が食べれるのかと心配になって――。
いや、ならない。
絶対食えるだろこいつ。もういっそのこと大食い大会とか出ればいいのに。優勝できそうじゃん?
「お、抹茶ぜんざいも美味かったけどこれもマジで美味いな」
「オススメした甲斐がありました!」
杠葉さんは抹茶ぜんざいを食べながらニコッと笑う。
うん、今日もやっぱり可愛いね。
「ほういえばさぁ、あんだだぢもじかしでいっじょにきだこどあるの?」
有紗がくちゃくちゃと大福を口に頬張りながら喋る。
「なんて言ってんのかわかんねーんだけど」
俺がそう言うと――。
「うっさいわね! 私も言ってて我に返って恥ずかしくなっちゃったじゃないの!」
――有紗はお茶を一気に飲み干して、顔を真っ赤にして声を荒げた。
「佑くん、相変わらずデリカシーないね」
陽歌の辛辣な言葉が胸に刺さる。
けど、あることないことテキトーに言いやがるお前にだけは言われたくない。
「綾女とあんたここ一緒に来たことあるでしょ?」
「はい! 昨日来ました!」
有紗の質問に杠葉さんが即答する。
「やっぱりねー。この店のメニューにやけに詳しいと思ったのよ」
「ここは良いとこだよなー。デザートは美味いし、クラスメイトは頑張ってるし。あの相沢があんな真面目に働いてる姿を見ることになるなんて感慨深いわ」
「あ、アルバイトと言えばなんだけど、あんた部活とかはやらないわけ?」
「ぜんっぜん『アルバイトと言えば』じゃねーな。……やんねーよ」
俺がそう言うと、有紗は少し意外そうな表情をしてきた。
「へー、てっきりやるもんだと思ってたわ。あんた、テニスだけはめちゃくちゃ上手いわけだし?」
「あー、私もテニス部入ると思ってたんだけどねー。やっぱちょっともったいない気もしちゃうな」
有紗の言葉に陽歌も同調するが、杠葉さんだけはただ静かに聞いていた。
俺自身はこのことについてあまり口を開きたいとは思っていないから、早く話題が変わってほしいと思っている。
「やっぱあんたテニス部入った方がいいんじゃない?」
「やらない」
有紗は執拗に部活に入るよう勧めてくるが、俺はそれを頑なに拒否する。
「なによ、ぶっきらぼうな言い方しちゃって」
「まぁまぁ、有紗ちゃん落ち着いて。佑くんにはテニスを続けてた理由があったみたいでね。それが……って、あれ……? そういえばどうなったの?」
勝手に人の事情を話し出す陽歌がキョトンしている。
やめてくれませんかね? 話がややこしくなったら困るんですけど。
「――ね、ねえっ! 目的って達成したの?!」
陽歌にはテニスをやるのには理由があることを話したことはあるが、その理由については何度聞かれても口を固く閉ざしてきた。だから今回もこの事については口を開くつもりはない。
「なに黙ってるのよ。はるちゃんが聞いてるじゃないの。というか、目的って何なのよ?」
有紗も興味深げに聞いてくるが、俺には答える気はない。頑なに拒否させていただきます。
「なに、だんまりってわけ?」
「それがね有紗ちゃん、昔から何度聞いても教えてくれないの。だから今日も教えてくれないと思う。でもこの様子だと……、目的は達成してないっぽいね」
「察しがいいですね。そうです目的は達成していません。はい、この話終わり」
「あ、なに勝手に終わらせてるのよ!」
有紗は不満をあらわにするが、とりあえずこの場を凌ぐ為に聞いていないふりをしてスプーンでパフェをすくい口に運ぶ。
その拍子に、昔のことが頭を過ぎり手が僅かに震え、パフェをブレザーに落としてしまった。
「あ……」
「もーう! お行儀悪いよ!」
隣に座る陽歌がペーパーを手に取り、俺が落としたパフェを拭き取り始めた。
「す、すまん……」
「手、震えてるよ? 怒ってるよね……? ごめんね、私が余計なこと言ったせいで追及されちゃって」
「別にお前のせいじゃないから」
隣に座る陽歌が、ペーパーで俺のブレザーに落ちたパフェを拭き取りながら、有紗と杠葉さんに聞こえないくらいの声で謝ってくる為、フォローを入れる。
「あんたのブレザー、背中らへんが屋上の壁の汚れで汚いんだし丁度いいじゃない。クリーニング出しなさいよ」
「え? そんな汚い?」
「はい、結構汚いですよ?」
マジか、言ってくれよ。
確かに、陽歌には屋上で注意されたけどそこまで汚いとは……、見えないからわかんないじゃん?
堂々と着たまま、ここまで歩いて来ちゃったんだけど。
あ、そういえばここに来る途中、他校の制服着た女子高生になんか俺だけ笑われてた気が……。
「よろしければ私の家でお洗濯しましょうか?」
「え? できるの? ブレザーだけど」
「あ、そういえば私もはるちゃんも綾女の家で普段洗ってもらってるんだったわ! あんたもそうすれば?」
「え? そんなことまでしてもらっていいの?」
俺は杠葉さんに確かめてみる。
「はい、そのくらい全然いいですよ。任せてください!」
杠葉さんはガッツポーズらしきポーズを取り、やる気をアピールしてくる。
「じゃあお願いします。というか杠葉さん、ブレザーの洗濯できるなんて凄いな」
「あ、あの……。私じゃなくて、お、お姉ちゃんができるんです……」
あ、あのガッツポーズは一体なんだったんだ……。
あの自信に満ちた表情は一体どこから出てきたんだ……。
あ、そういえばいつのまにか話題変わってる。よかった……。
この時、様々な思考が俺の頭を駆け巡っていた。
「そ、そういえば陽歌は汚れてなくね? なんで?」
「なんでって、私は壁を背もたれになんてしてないもん」
ごく当たり前な返答が返ってきた。そして俺は誓った。金輪際屋上の壁を背もたれになんてしてやらないことを。
「あ、そういえばあやちゃん、最近何か変わったこととかない? た、例えば、私と有紗ちゃん以外とも連絡を取ったりする……とか?!」
「あ! それ! 私もすごく気になってたこと!」
陽歌の杠葉さんへの急な質問に有紗もすぐに食いついた。
陽歌のことだから、再び部活についての話題に戻らないように気を回してくれたのだろう。今はそれが非常に有り難かった。
「嬉しい事に、この間のクラス会では同じテーブルだった方達と連絡先を交換していただいて、弥生さんや希さんはよくメッセージを送ってくださいます」
とりあえず女子同士だけでも少しずつ仲良く慣れているようで、少し安心してしまう。
ただ、有紗と陽歌もそんなことそもそも杠葉さんから聴いているはずで、彼女たちが本当に聞きたいことは別にある。
「それと、言っていなかったのですが二岡さんからも何故かメッセージが来まして。交換した覚えは無いのですが……」
「やっぱり……。してやられたわ。まさか本当にそれだけの為に……ね」
本当にクラスの団結力を高める為にクラスのグループを作りクラス会を開いたというのなら称賛されるべきだと思うが、ただ杠葉さんの連絡先を入手する為だけだったのだとしたら普通にドン引きだ。
有紗が大きなため息を吐いているが、それが今、証明されたのだからため息が出てしまうのも理解できる。
「どういうことですか?」
「クラスのグループのところから追加されちゃったのよ。ほら、例えば、この男子でいっか。こんな風にっと。ほら、私の友達の所に追加されてるでしょ?」
あ、この登録された男子、誰か知らねーけど大喜びだろうな。
そして勘違いして撃沈。ここまで読める。
「はい、確かに追加されてますね。――あっ! そういえばこの方法、佑紀さんがクラス会の時に丁寧に説明してくださいましたよね?」
杠葉さんはあの時の説明を覚えていたらしい。そして有紗が実践して完全なる理解に及んだということか。
それはそれとして、有紗が何故か俺を強烈に睨んでいる。
え……? なんで……?
「あんた、クラス会の時にその説明したならもっと早く気付けたでしょ?! あんたのせいで綾女の連絡先が二岡の奴に知られたじゃない!」
「――ちょ、ちょっと待て! いくらなんでも理不尽すぎるぞ! 仮にあの時気付いてても、阻止する方法とか二岡を退会させるしかないし、誰がやるんだよ? それに、グループが出来上がった時にはとっくに登録されてたかもしれないし! いや、てか絶対そうだろっ……!」
そもそも誰も思いつかないような方法だぞ? 阻止のしようがなかったと思うんですが……。
「クラス中が敵に回ったとしても、退会なんて私がさせるわよ! 確かにグループが出来上がった時には追加してそうだけど、阻止できた可能性はあったはずよ」
「有紗さん、私は二岡さんとの噂には困っています。でも、あの方自体を否定しているわけではないですよ? メッセージが来たときにはびっくりしてしまいましたが、最低限必要なメッセージのやりとりは構わないと思っています。その、私も学級委員ですし」
「で、でも……」
杠葉さんを守る事ばかり考えている有紗は、失敗したことに対して落ち込んでいるのか、見るからに辛そうな表情を浮かべている。
「周りの方々に二岡さんとの関係を勘違いされる事はハッキリ言って嫌です。でも、有紗さんが傷ついてしまうやり方はもっと嫌なんです。有紗さんが傷つかない、傷つけられない限り私は大丈夫です。だから、信じてください。きっとやり遂げてみせます」
杠葉さんの言葉に納得したのか、有紗も素直に頷いた。
「わかったわ。でも困ったことがあったらすぐに言うこと」
「はい、最初からそのつもりですよ」
ここまでお互いのことを考えて助け合える関係は、凄く尊いものだと感じてしまう。
仮にこの二人、そして陽歌の気持ちが踏みにじられるようなことがあれば、俺も黙ってみているわけにもいかないなと思えてしまう。
「すいませーん」
少々重たい空気になった気がしたから、適当に何か追加で注文することにする。
「お待たせしましたー!」
呼べば慌ただしく春田がやって来て、忙しいのに申し訳なく思ってしまうが、今日だけは許してほしい。
「苺大福一つと豆大福一つ、それから抹茶大福三つください」
「かしこまりましたー! 少々お待ちくださいねー」
注文を終えると春田は厨房の中に入っていく。
「ゆ、佑くんそんなに頼んで大丈夫なの……?」
「え? 多分無理でしょ」
「大丈夫よ! 私が食べるから!」
うん、知ってた。そのつもりで頼んだから。
「そういえば有紗さん、佑紀さんの前でそんなに食べて大丈夫なのですか?」
杠葉さんも有紗が大食いだと知っているのか、心配そうに聞いている。
「大丈夫よ。不運なことにバレちゃってるから」
「そうだったんですか。でもよかったですね有紗さん。これからは佑紀さんの前でも好きなだけ食べれるじゃないですか」
「ま、あの時はホント最悪って思ったけど結果的には良かったわね」
有紗も納得しているようだし、あの時の出来事は俺としても良い思い出だったということにしておこう。
ちなみに、追加した大福は俺の腹に入ることなく有紗の口に全て運ばれて行きましたとさ……。
次回が第一章の最終話です。その後番外編を二話ほど更新したあと第二章に入ります。今後ともよろしくお願いします。




